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オデツンを構造化する

 本項では,さっこん話題にあがる回転寿司屋で備品を舐めまわしたりコンビニのおでんを触るような蛮行を仲間内で共有(武勇伝かの如く吹聴)したがる者たちをレーサーと総称する。さらに,かような蛮行をオデツンと呼ぶことにする。

 さて,次のツイートは,レーサーの心理や文化をかなりの精度で分析しているとおもう。

 本項ではこの分析を採用することにして,行為 X が文化 Y に対してオデツンになる必要十分条件を,次の3つだと考えたい。

  1. X が,その行為者が参加するレースにおいて為されていること

  2. 1 のレースが Y に内在しないこと

  3. X が Yに悪影響を及ぼすこと

 例えば私は,男女混合の集団における男が,恰も俺の方がもっとデカい声で笑えるぞ!とでも言わんばかりに大声を出し合うあの(求愛?)行動にもオデツンを感ずるのである。

 他方で,次に添付する動画にある行為は,上掲した必要十分条件の1と2を満たすように見えるが,然るにわれわれの社会において非難を受けるどころか歓待されるようにさえ見えるのは,3を満たしておらず,冗談としても相当に愉快なものであるからに見える。

 少し具体的な例を当て嵌めてみたい。1と2を満たさず3を満たす行為としては,例えば電車内の脱糞が考えられるが,本項ではやはりかような行為とオデツンとを峻別したいのである。逆に,1と2を満たして3を満たさないものには,先の動画のように,しばしば可愛げさえ感ぜしむるものが認められ,こちらもとうぜんオデツンとは峻別される。

 さらに,1と3を満たして2を満たさぬものとしては(一概に言うことは難しいが,想定としては)行き過ぎた焚書や生贄の文化を考えることはできよう。これもオデツンとは峻別すべきであろう。

 ところで(次のことはあまり私の関心事ではないが),1のレースのルールや目的・利得が分析できれば,オデツンの防除は或る程度は可能であるように見える。

 例えば,回転寿司屋で備品を舐めまわすような営みが,自分に被害が及ばない(その備品の所有者や他の利用者に見つからない)節度の反社会的な行為を成し遂げて,それをレーサー内で共有してみせよというルールであり,その目的が恰好がつくからということであれば,レーサー内に共有をするというフェーズを利用して,そのような場に自分がいることをレーサーが恥じるような(いわゆる〝お子様用の店〟というような)ブランディングが成功すれば,或る程度のオデツンへの防除力に期待してよいとはおもう。

 しかし,そのためだけにブランディングを変更する価値は殆どなく,むしろ(元々のブランドにもよるとはいえ)ビジネス戦略ぜんたいとして見ればリスクの方が大きい場合は往々にして認められよう。ブランディングによってオデツンを防除するだけならば或る程度は可能であろうが,そうするリスクはやはり得てして巨大なのである。

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