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Gonoï VS 暇空茜
友人からの依頼があったため,Gonoï 氏と暇空氏の間で生じた諍いについての分析を掲載しておこうとおもう。
さて,文脈を読めば,Gonoï 氏が「私は,山上の諸発言を現象(分析対象の謂であろう)として見ている(諸発言に分析対象を超えた身分を与えない)」旨の意見をしていることは容易に読めるはずだが,暇空氏は,恰もここで Gonoï 氏が「私は現象だ」と主張したかのように誤読を犯したようだ。*
屁理屈こねんないつお前が現象になったんだよ https://t.co/s5jqItMjZ5
— 暇空茜 (@himasoraakane) January 10, 2023
諸言動を以て彼の心情や動機を分析する手法は,精神分析学や犯罪心理学の臨床でも伝統的に採用されてきた。
山上の諸言動を「現象として見てい」る旨と共に貼った Gonoï 氏を,山上の発言を鵜呑みにしている旨を以て非難する暇空氏の態度も,酷い誤読もしくは邪推を孕むと評せざるをえない。Gonoï 氏のこの態度は,山上の発言を鵜呑みにしていなくとも,無理のない関心と現実的な期待値に基づいて,有意味に実行できよう。
山上容疑者についてわたしは、①見田宗介が『まなざしの地獄』を永山則夫論としなかったのと同様の手法を採っているので鵜呑みも本心と確信もせず現象として見ています。暇空氏の読み間違いですね。②その逆です。あれは反語的でしょう。以下山上容疑者本人のジョーカー論評ツイートを貼っておきます。 https://t.co/QKADKSWM0o pic.twitter.com/znEFk6OraP
— Ikuo Gonoï (@gonoi) January 10, 2023
ところで,フッサール現象学における「現象」の謂でこれを用いていたのであれば Gonoï 氏にも誤用が認められる。この「現象」はレアールな分析とは相性が悪い。
現象学的還元を理解せず、とりあえずカッコでくくりなぜ現象が出てきているのかを考える発想のない方にも学問は開かれています。『イデーン』を読めとは言いません。とまれ熊野純彦『西洋哲学史: 近代から現代へ』(岩波新書)のフッサールの箇所は目を通してほしいものです。https://t.co/I64CieYGR0
— Ikuo Gonoï (@gonoi) January 10, 2023
むろん本項の冒頭で Gonoï 氏の「現象」を「分析対象」と私も翻訳したように行間は読めるが,このコンテクストで「現象学的還元」を持ち出すのであれば,「現象」は『事象』や『分析材料』に表現を改めた方が正確になるようにおもわれる。
Gonoï 氏の「『まなざしの地獄』[……]と同様の手法を採っている」という自称を信ずるなら,この誤用はもはや明らかだ。
『まなざしの地獄』の実績は,永山の諸言動に現象学的還元を施してしまっては(すなわち,あれらをフッサール現象学のタームとしての「現象」に定位させてしまっては)成しえない。当著は,寧ろあれらに対する解釈の精妙化を試みたものであろう。
山上容疑者についてわたしは、①見田宗介が『まなざしの地獄』を永山則夫論としなかったのと同様の手法を採っているので鵜呑みも本心と確信もせず現象として見ています。暇空氏の読み間違いですね。②その逆です。あれは反語的でしょう。以下山上容疑者本人のジョーカー論評ツイートを貼っておきます。 https://t.co/QKADKSWM0o pic.twitter.com/znEFk6OraP
— Ikuo Gonoï (@gonoi) January 10, 2023
フッサール現象学の文脈では,「わたしという現象」と判断出来てはならない。「わたしという」という判断は留保(エポケー)されなくてはならない。
総評をしてみると,既述したように暇空氏も誤読が酷いが,Gonoï 氏は「現象学的還元」や「現象」というタームの濫用が酷いように私にはおもわれる。
相手を値踏みせず、ウエメセではなく手加減せず語るとこうなります。現象について理解できないのであれば学ばれてはいかがでしょうか。ちなみにわたしも「わたしという現象」ですよ。「屁理屈」でもなんでもなく真面目な話です。例えば以下をお読みになることをお勧めします。https://t.co/H7CmLCD0G9 https://t.co/DjvC8Iq1ji
— Ikuo Gonoï (@gonoi) January 10, 2023
* むろん,Gonoï 氏も述べたように彼自身も「現象」たりうる。ここで私が指摘したことは,暇空氏が指摘を向けたテクストでは Gonoï 氏は然様な含意を主張していないはずであり,しかも本旨が見逃されているという要旨である。
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