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「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」の意味について、感じたこと。

この間、小さな娘さんのいる知り合いの男性と交わした短い会話が、とても実り多く感じたので、そのことについて書いてみたいと思います。


父親との関係について

いつも仲睦まじい様子を拝見していたんですが、娘さんとまた一緒にお出かけされると聞いて、「わぁ、いいですねぇ。私は関係が悪いまま父を亡くしたので、罰悪く感じています」と笑って話したところ。

一瞬だけ考えたような表情をされ、「何歳の時に亡くなったの?」と聞かれたので、「28歳の時です。時代もありますが、父は仕事ばかりしていて、いつも強いストレスを抱えていたようで。時々突然怒鳴り出すので、私はいつもビクビクしていまい。大人になっても人の顔色を常に気にする癖がついてしまいました。でも、私のことを大切に思ってくれていたことは分かっているんですけどね、ハハッ」と軽く話したところ。

少し間があって、父の気持ちが上手く私に伝わらなかったことを残念に思う気持ちが、彼から伝わってきました。

そして「僕の父親は46歳で亡くなってね。僕はその時高校生だったんだ。今、自分はもう当時の父親の年齢に近いし、いつ死ぬかもしれないな、と思って過ごしているんだ」と仰いました。

その言葉を聞いて、日頃の彼の娘さんへの接し方にとても納得がいき、終わりを意識した生き方って、大切さなのかもしれない、と思いました。

忙しさに翻弄され優先順位を誤っていないか

日々のスピードがどんどん速まっている昨今、もちろん生活のために必要ではあるんですが、仕事仕事…と必死になるうちに、生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってしまう。

人生は長いようでとても短い。時間を意識することが最重要だよね、という話になりました。

唸るほどお金を持っていても、一分一秒が惜しいほど時間に追われ神経をすり減らしながら生活を送っていたら、目の前の大切なものを逃してしまう。

お忙しいはずなのに、ピリピリしているのを見たことがなく、彼がいつもほんわかした雰囲気を醸しているのは、こういう心の姿勢が理由なのかもしれないな、と思いました。

今日を人生最後の日だと思って生きろ、と聞きますが。これまで私は、高尚な目標を持ち、妥協や先延ばしは一切せず、粉骨砕身の思いで自分を極限まで追い込め!という意味だと思っていたんですが、違う受け取り方があるかもしれない、と思うに至りました。

もちろん、何かを実現するために、目標を一つずつ達成していく、といったビジネス的な教えでもあるんだけれど、実はもっと基本的な、本質的な部分への思いも含んでいるのかも、と思いました。

彼を見ていたら、“今日を人生最後の日だと思って生きろ”の意味は、自分は何を大切に思って生きていきたいのか、自分がどうありたいのか、を常に意識すること、とも受け取れるかもなぁ、と感じました。

今日が最後の日だとしたら、自分は何をやりたいか?とスティーブ・ジョブズも発言しており、世界を変える偉業を成し遂げた彼からの発信ということもあって、こういった自己啓発系の名言は、とかくビジネス的な奮起材料として使われがちですが。

何でもビジネス枠に引っぱり込んで、地位、名声、富を追う活動をする人達のバイブル的にもてはやされるのを見ると、よく聞く名言も、実は誤解されて伝わっていることも多いんじゃないだろうか、と思います。

本当の学びにつなげるには

ビジネス書や自己啓発本、セミナーなどには、成長するための要素が詰め込まれていて、心がけるべきことを目次からサッと探せて便利ですし、省エネではあるけれど。

自分を徹底的に振り返る、という手順を省くと、頭でっかちになって人の粗探しだけする人になる危険があるなぁ、と感じています。

一つのものから学ぶと、どうしても偏りが出てしまうんじゃないか、という自論もあります。他の情報源からも知識を入れて、日常の出来事や人間関係に当てはめていろいろ発見していく中で、初めて本当の深い学びになっていくのでは、と思っています。

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