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私がライターである理由(2)

「私がライターである理由(1)」⬇️

◉資本主義とは違う世界にいきたい。社会貢献がしたい。

華々しい世界の裏側にある、生々しい実態。ジェットコースターに乗るような、智子さんの人生の前半を聞きながら、圧倒されそうになる。

こんな細身で、こなしていることが半端ない。

会社退職から2年間の東京での子育てをへて、2009年、村上家は「貯金が底をつきそうになって(笑)」ご主人の地元である四国中央市へ移住。「やっと地に足がついた気がした」というのが本心だ。

そして、農業では生計が立てにくいご主人に変わり、大黒柱になるべく仕事を探していて出会ったのが、一般社団法人愛媛県法人会連合会が運営する「えひめ結婚支援センター」でのコーディネーター業務だった。

少子化がすすむ地域の出生率に貢献するため、若い男女の出会いの場を創出する結婚支援の仕事。はたから見れば、あまりにも”華麗な”転身。その理由を尋ねると、

「ファッション業界って、需要と供給が全くあっていなかった。大量生産が当たり前で、結局売れ残っていく。そういう売れた、売れないの世界から離れたかった」

と即答。

「次仕事をするなら、資本主義的じゃないところで、とにかく社会貢献がしたかった。社会貢献、それだけを決めて仕事を探したの。だから求人で”少子化対策”っていう言葉を見た時、もう、それいいじゃん!ってなって(笑)」。

即決で応募し、現在、コーディネーター業9年目。年間10回を超える婚活イベントの運営を通して、参加者の公募から企画、調整、御縁結びまで、全体をコーディネートする。

智子さんが企画するイベントには、地域で活躍するあらゆる業種の人たちを招く。セミナーやワークショップなど学びの時間を通じて、「男女の出会い以上に、人生のいい出会いをして欲しい」、という想いからだ。


「婚活世代は、恥ずかしさもあってどうしても自分をうまく出せない。アウトプットの場がもっとあったらいいのにっていうのは、ここ数年やってきて感じること。”この人いい!”と思ったらすぐ婚活講師の依頼をするし、そこは以前とは違って、自分の気持ちに素直に企画できてる感じがあるよ」。

◉「幸せになっちゃいけない」ってどっかで思ってた。

自分の積み重ねてきたことを手放すのは簡単なことではないのでは? そう思っていた私の固定観念を壊してくれたのは、智子さんの方だった。

智子さんの方向転換には、いい意味での「自分の無さ」がある。軽やかに業界を変え、颯爽と渡り歩いていく姿が見える。

「うーん、飽きっぽいのもあるよ」と本人はいう。「以前は、職人気質の人や、一つのことを続けている人を見ると嫉妬のようなものが湧いて仕方なかった。自分にはできない、上澄みをすって生きている気がするって」。

それでも、置かれた場所で、自分を最大限に活かそうとする懸命な姿の方に、今は智子さんらしさを感じるのだ。全く新しい環境に身を置くことで、「自分をもっと成長させたい」という智子さんなりのポジティブな気持ちを。

そう思えるのは、きっと、智子さんの子ども時代のこととも無関係ではないのだろうなと思う。

それは、本家を継いだ両親とともに、おばあちゃん、離婚して戻ってきていた叔母の家族の、計8名で暮らしていた大家族時代のこと。

物心つく頃には、自分の家族以外に5、6歳歳の離れたいとこたちが一緒にいて、憧れのお姉ちゃんがいて、さぞにぎやかで楽しい子ども時代……

っていうのは、きっと、外から見える、表面だけの話。

智子さんの心の中にくぐもった感情が生まれていくのは、叔母が病気で他界してしまってからのことだ。

「気丈なおばあちゃんが、孫たちを引き取って育てることになって。一緒に暮らしてたんだけど、でも私には両親がそろっていて、彼らはそうじゃない。そのフェアじゃない感じに、子どもながらすすごく違和感を感じるようになってしまって」

居間でテレビを見ている時に、いとこが通ったりするといたたまれなくなる。

ーー私だけ幸せになっちゃいけない。

いつの間にか、そんな思いがまとわりつくようになった。

「ずっと周りに気をつかって生きてきた気がする。ライターをやりたいと思ったのも、満たされなさを何かで埋めようとしているのかもね。その時、誰にも言えなかった言葉を、誰かのインタビューの中で聴こうとしているのかもしれない」

◉80歳になった時の自分で、インタビューがしたい

書くことは、想像以上に自分を省みる作業だ。さらには発信することで何かが跳ね返り、それによってまた自分をしる。

今まで置き去りにしてきたかもしれない「自分」を、ライターという仕事を通してつかみたい。智子さんの言葉には、その切実な想いがこもっている。

「私、人と一緒にいても世間話をどうやってしたらいいかわからなかった。でも、インタビューを始めて嬉しかったのは、深い話ができるってことだった。それまで話せなかったようなことが話せる。それってすごいこと」

インタビューが、何か偉業を成し遂げなくても、ごくごく日常の延長線上において、有意義な「気づき」と「アウトプットの場」になり得る。

その可能性を感じたからこそ、智子さんは、インタビューを通じた友人支援をスタートし、書くことで誰かの役に立ちたいと思っている。

「人の幸せってなんなのか。人間って何なのか。インタビューさせてもらいながら、そういう普遍的な問いに対する答えを、ずっと探している感じがするんだよね。とにかく、人の話を受け入れるために自分の視野と視座を広げることだけには執着していると思う」

愛媛にやってきて12年。

「気をつかって生きてきた私の当たり前をたたき壊してくれる」というご主人との、ここには書き切れないパートナーシップも加わり、おそらく智子さんはファッション業界にいた頃以上に刺激的な毎日を送っている。

いいと思うもの、好きだと感じるもの。

新しい価値観や自分を刷新してくれるものに出会うたび、筆が踊る。「飽きっぽい」と語った自分への興味は、多分、これからもずっと、尽きることがない。

「ライターはずっと続けていきたい。そんで、自分が80歳くらいになったら、80歳になった自分の視野で、インタビューがしてみたいんよね。その時の自分のものの見方で、目の前の人と向き合ったらどう見え、どう書けるのか。今はそれを楽しみにしてるんよ」


子どもの頃、思うようには自分の幸せを認めてあげられなかった智子さんが、「ライターになりたい」と言ったその言葉。

それが今、私には、「自分自身になりたい」という言葉と一緒になって響いてくるよ。


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<村上智子プロフィール>

1976年 福岡県飯岡市で生まれる。高校時代に自律神経を壊し不登校を乗り越え文化服装学院へ進学。「Black by MOUSSY」、「united arrows green label relaxing」などのファッションデザイナーとして活躍する。出産を機に退職した後は、えひめ結婚支援センターでのコーディネート業に転身。婚活支援のためのイベント企画・運営を手がけつつ、4年前からフリーライターとしても始動。地域メディア、新聞コラムなどで、婚活に関わる記事なども執筆している。

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<今回の取材・執筆>

高田ともみ フリーライター/編集者/作家
人物取材などを中心に、雑誌やウェブメディアなどで執筆。近年は、エッセイ、ノンフィクションなどにも取り組む。最近はブックライター として本づくりのお手伝いも。https://note.com/tomomitakada

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