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考えたこと・思ったことをまとめたマガジン

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毎日の中で考えたことをまとめたマガジン。「コンテンツ会議系マガジン」に含まれないnoteは、全てこのマガジンで読むことができます。他のマガジンとも被る時があります。
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#エッセイ

エモいの、その先へ行きたい

久しぶりに本を読んだ。そうしたら、ふと、やっぱり今の自分は少し前の自分とずいぶん違うなと思った。 昔、とは言っても数年前だが、間をあけて繰り返し悩み続けていたようなことに悩まなくなったし、「生きる意味」や「運命」について自分なりの考えを答えられるようになった。 歳を取るごとに考え方が変わると思っていたけれど、今までを振り返ってみると、案外変わらないなと思うことの方が多い。 好きがわからないと疑ってみては、結局昔から手を伸ばしていたものが一番好きだったし、天職を探してみて

がんばって休む。アクティブレスティングという考え方。

人間関係でも仕事でも、ストレスを抱えた状態で毎日を送る。 中学受験を決めた小学四年生のある日から、そんな毎日が当たり前になった。 当たり前になりすぎて、自分がどれくらいストレスを抱えているのか、限界にどのくらい近いのか、わからなくなってくる。 特にわたしは、自覚はないけれどストレス耐性が高い。他の人に比べると、大抵の作業は「はぁ、やるか」で片付けることができるし、諦めも悪い。 諦めも悪いし、感度も悪い。周りのご自愛が上手な友達を見ていると、ストレス耐性が高いというより

絶望の夜に、私を救わないコピーたち

ただ「死にたい」があたまを占拠して、どうしようもなく涙が止まらない夜がある。 そんな夜を、キャッチコピーは救ってくれない。 たった一文。 そう、広告のキャッチコピーは、たった一文なのだ。 たった一文で、この気持ちを解決なんてできるはずがない。いや、されてたまるものか。 わたしは、高校生の頃からコピーライターになりたかった。きっかけは、文理選択を迫られたときに、10問であなたの天職を診断します!といった類のものをぽちぽちと進め、出てきた職業がクリエイティブディレクター

他人への想像力とは、知識、能力と態度。

最近、「想像力」という言葉を耳にする。わたしもよく使う。 大きなお城とか壮大な冒険を描く能力とはまた別の、他人を慮る能力という意味だと理解している。 でもけっきょく、他人への想像力ってなんだろう。 「他人への想像力がない」という批判に、もう一歩踏み込んでみる。他人への想像力がない人は、具体的になにが欠けているのだろう。想像力には、何が必要なのだろう。 わたしは、「他人への想像力=知識 × 能力 × 態度」という仮説を立ててみた。 他人の人生、感じ方についてのデータ想

やりたいことがないうちは、目の前のことを全力で

最近、わからないことに対して焦らなくなった。 自分の就くべき仕事がわからないこと、幸せの定義がわからないこと、辛さの原因がわからないこと。 自分についての大事なことがわからないままでも、大丈夫になった。 それは、わからないことがいつかわかるようになる。経験からそう思えるようになったからだと思う。 昭和の産物なのかわからないけれど、目の前の仕事に熱中していて自分にとって本当に大切なもの、夢や家族とか、を忘れてしまった人の物語をたくさんみてきた。 だからこそ、やりたくな

偏頭痛から生まれた想像力

高校からの友人に、行きたい会社の選考のために推薦状を書いて欲しいとたのまれた。形式は自由とのこと。ワードやパワーポイントも検討したが、みなさんからのいいねが彼女の自信にもなるのではないかと思い、noteを選んでみた。 彼女とは中学校も一緒だったが、その頃はあまり話したことがなかった。高校二年生で初めて同じクラスになったが、それでも違う友達の輪にいたのでたまに世間話をするくらいの仲だった。 高校三年になり、選択授業いわゆる文理に分かれた授業が始まった。たまたま時間割がほとん

失うものは、何もない。

小学生ぶり以来に、トランプの大富豪にハマった。 大富豪のルールは大抵の人が知っていると思うけれど、その中でも他のゲームにはない特徴的なものが、ゲームの勝者と敗者が次戦でカードを交換しなければいけないというもの。 今考えると、お金持ちの人にお金が流れていく様がいやにリアルな反面、カード交換によりカードが四枚揃いやすくなり、一気にカードの強さが入れ替わる「革命」が起こりやすくなるのだから、よくできたゲームだ。 カード交換ともう一つ、都落ちというルールもある。これは、大富豪以

働ける総量はきっと同じ

アメリカの大学にいると、本当に同じスケジュールで日々を過ごす。だいたい同じ時間に起きて、ご飯を食べて、授業を受けて、寝る。 一方で、日本で過ごす長期休みは全く逆。家を出る時間も帰る時間も、どこで何をするかも毎日バラバラだ。 不規則な生活だと、気分や集中力の変化の理由がわかりづらい。なんとなくやる気が出ない程度の不調の原因が、前日動きすぎたのか、精神的なものなのか、私とは何も関係のない気圧なのか、特定できないのだ。 ところで前学期、少し無理をして活動した。普通の人より授業

短距離走に見せかけた、持久力レースで走り続けるには。

半年ほど前、やりたいことが見つかったと言ってnoteの毎日更新を休止した。 まだ半年か、という感覚になるくらいには、いろんなことをしたと思う。 「コピーライターほぼ全史」という、これが歴史の教科書だったら絶対に読み終わらないであろう厚さの本も終盤に差し掛かり、コピーライターというのはなんて終わりのない仕事なのだろうかと思った。 そしておそらく、どんな仕事でも本気でやろうと思ったら、終わりがないのだ。 常に時代は変わり、若い子が意味のわからない言葉を使いだし(高3の妹に

恵まれて、幸せを勝ち取るということ。

成功した人が、口を揃えて人に恵まれていたと答える。 それは、偶然ではない気がする。 たまたま人に恵まれている人だけが成功するというよりも、その人は恵まれるべくして恵まれていたような、そんな感覚。 最近、友達の友達に誘ってもらってコピーライターとしての仕事を始めることができたり、以前通ったライター講座のつながりで記事を書く話をもらったりした。 友達の友達にクリエイティブカンパニーを起業しようと思う人がいたこと、メディアの編集長をしている人が同じライター講座に通ってい

理不尽に傷つけられたあなたに、戦う義理はない。

「私も悪かった。」という社交辞令に、「本当だよね、君も悪い。」と返されたら、基本的に誰でもイラっとするのではないだろうか。 「お前が言うな」をまとめたこのツイートは、とてもしっくりきた。 謙遜と相手を思いやる表面上のやり取りは、両者に相手を敬う心があって初めて成立する。 片方にそれが欠けていれば相手が搾取される形になり、搾取された側はじゃあ私もと相手を蔑む形で応戦するか、そっと離れる。 さっきの例でいえば、「いやいやでも、本当に悪いのはそっちでしょ!」とさらに言い返

幸せは、ありがとうと近いところにあるのかも。

しあわせってなんだろう。 幸せになるにはどうしたらいいんだろう。 そんなことを日頃から考えていたら、最近気がついたことがある。 何かに感謝することと、幸せだと感じることは、ほとんどイコールだということだ。 私は幸せの中でも、お金持ちになるとか、結婚するとか、夢を叶えるとか大きな出来事よりも、毎日の生活の中に隠れる小さな幸せを大切にすることに重きを置いている。 それは、たまに食べるご褒美のコンビニスイーツだったり、やっぱり好きだなあと思う高校時代の友達と語りあかす夜だ

悩んでつらいときは、ペンと紙を取り出そう。

わたしには昔から、書くことで気持ちや思考を整理する習慣がある。 頭の中をぐるぐると同じ悩みが回っていることに気がついたら、ペンを取り、紙に書き出す。思っていること、一見関係ないような思いつきもそのまま書き連ねる。自分と会話をするように。 日記と呼べるほど、毎日決まった時間に書くわけではない。そんなことを思っていたら、アメリカで「ジャーナリング」という言葉に出会った。 Journaling is a personal record of occurrences, expe

選ぶことは、捨てること。

何かを選ぶ。私たちが毎日していることだ。 朝食のメニューくらいなら、簡単に選べる。しかし、それが仕事や恋人のように人生に大きく関わることになると、私たちは迷う。 それはなぜかというと、何か一つを選ぶということは、他の全ての選択肢を捨てるということでもあるからだ。 私は生まれて二十年間、選ぶことから逃げてきた。 言い換えると、選択肢を増やすことを一番に考えていた。 だから面白いと思ったもの、やっておいて方が良いと言われていること、あとで役にたつかもしれないと思ったもの