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イッパンシャダンホウジン キョウドウガクドウホイクショ ニジノコクラブ...って名前、長過ぎませんか ?!

2022年に40周年を迎える、一般社団法人共同学童保育所 虹の子クラブ。
この、ながーい名前になったのは 2015年、任意団体だった「共同学童保育所 虹の子クラブ」を法人化した時。

今後、虹の子クラブがこの地に長くあり続けるためには法人格を取る必要がある、と判断し、準備をし始めてから3年後の法人成り。(法人化しようと決めるまでの経緯についてはまたの機会に)

名前、どうする?
当然上がった候補は「一般社団法人 虹の子クラブ」。でも「どうしても ”共同学童保育所” の文言を残したい!」という指導員と当時の三役(会長・副会長・会計)をはじめとする役員の願いを込めて、「一般社団法人 共同学童保育所 虹の子クラブ」という、なが〜い名前となりました。

そして、これまでの、保護者と指導員が渾然一体となった任意団体「共同学童保育所虹の子クラブ」は、以下の2つに分かれることとなりました。

 1. 「一般社団法人 共同学童保育所 虹の子クラブ」
 2. 「 共同学童保育所 虹の子クラブ 保護者会」

このように、団体も会計も2つに分けることで、

 1. 保育事業: 子どもの健全な育ちと親の就労支援のための非営利団体
 2. 保育事業が円滑に進むように汗をかいて支える任意団体

とそれぞれの役割をはっきりさせました。.....させたいと願っていました。
イメージ図でご覧ください。(見てください、この図の保護者会の存在の大きさ!) ※ 図は指導員Gの力作

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指導員が強く名前に残したいと願った「共同学童保育所」では、
保護者は、働いている間に子どもをみてもらうサービスの受け取り手でありながら、指導員の雇用主であり、学童の安定経営を考える経営者でもあるのが特徴です。

時に丁々発止のやりとりをしながら、保護者と指導員が渾然一体となって理想の保育環境を作るところです。

ないものはつくる
それはあそびだけでなく、保育サービスや福利厚生においてもです。
例えば、インフルエンザ流行時の学級閉鎖時の学童開所。残業が恒常化している親たちの要望に応えての延長保育。夏休みの開所時間の前倒し。女性指導員の産休育休制度。

いま、当たり前に私たちが使っているサービスは、過去の保護者たちが指導員との話し合いの末に築いてきた財産です。公設学童にはない保護者に寄り添った手厚いサービス(最初からあると当たり前と思ってしまいますが)がいくつもあります。

法人化によって団体としては2つに分かれるけれど、心は共同学童保育所時代のままひとつでまとまっていたい、という願いが、この長い名前にはこめられています。

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法人化を遂げた後も変わらぬものがいろいろあります。
そのひとつが「虹の子5原則」。

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ひとつずつ見ていきましょう!

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虹の子には5原則の他にもモットー「子育てに科学とロマンを」があります。その「科学」とは、個人の経験に裏打ちされた、その人にしかわからない職人技や秘伝・奥義のような保育ではなく、複数の目で科学的に分析し、その中から学び取った多くのものを保育に生かしていこう、という姿勢です。

虹の子の指導員に限らず、学童業界には熱心な素敵な指導員がたくさんいます。そんな指導員ばかりが集まって勉強会をし、事例を出し合ってああでもないこうでもないと私たちの知らないところで学びあってくれています。自分の子で培われた保育のコツが、いつか日本のどこか別の学童の誰かを助けているかもしれません。

また、人が生まれてから大人になるまで、心も体もさまざまな変化があるわけですが、科学の発達した現代では科学的に解明された「育ちの科学」というものがあります(かつてよく言われた「三歳児神話は実は間違ってました」とか)。そういった最新の子育て科学を知ったり。今の学童を取り巻く社会の問題を自分ごととして考えたり。「思春期の子どもの変化についていけない....みんなこんなふうなん??」と初めての子育てで戸惑った時に「うちもそうやったよー」とそれぞれの家の工夫を教えあったり。

子どもたちは、けん玉のモシカメをいかに長く続けるかのコツや、酒蓋ゴマがどうやったら長く回るか、自分たちの秘伝の技を伝えあったり。
指導員も保護者も子どもも。誰もが教え教えられの関係です。


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客なし、というのは、一方的にサービスを受けるだけの人はいません、ということです。保護者全員が何かしらの委員だ、ということばかりではなく、自分が虹の子のためにできることは何やろう、と自分ごととして虹の子の問題を考えられる人がたくさんいるのが虹の子のめざす姿です。


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(3) 地域開放の原則
今の中3の代のお父さん(代々ご近所にお住まいです)曰く、
「僕ねえ、子どもの頃、ここは親のいぃひんかわいそうな貧しい子が住んでるとこやと思てたんですわ。自分の子を通わすようになってはじめて、ああこういう場所やったんかとわかりました!」

そんなふうに知られていなかった(?!)虹の子も、今の場所へ引っ越してはや27年。

ぶーが学校連絡協議会の会長を務めて地域の信頼を得たり、秋まつりを新町小学校でやれるようになり、地域の方々にバザーを楽しみにしていただけるようになったり。老人ホームに入所者の方と卓球の試合をするために定期的に訪問したり(現在はしていません)。若手不足で掃除の人員が集まらない...と困っていた小川公園のある町内の重役さんに頼まれて、公園掃除をするようになったり。近所の酒屋さんに酒蓋をもらったり。近所のNゲージおじさんと友好を深めた鉄分高め男子グループも。地域に溶け込む努力はまだまだ続いています。

なぜ、そこまで努力を?

子どもが育つには地域の温かい目が必要だからです。
あああの、なんかようわからんけど、うるさい、迷惑施設の子らか....と冷ややかな目で眺められたり、はたまた怒鳴られたり、「子どもが小さい時くらい家で見てあげたらいいのに....かわいそうな子たち」(専業主婦が多数派の時代、なんの気なしにこういう人たちがなんと多かったことか....)と言われるのと、「ああ、虹の子の子か!おっちゃんの友達の子も小さい時行ってたで!いいとこやよな!」と言われるのとでは子どもたちの自信の持ちようが変わります。

あの人もこの人も知ってる、このあたりの人はみんな私の/ぼくの味方や、という信頼感のなかで育つ子と、「世の中いい人ばっかりじゃないからな、話しかけられても返事したらあかんで!」とまず人を疑ってかからなくてはならない子とでは見える景色が変わってきます。

"解決しがたい難題を多く抱え、速いスピードで変化し、先を見通すことがますます難しくなるであろう未来を生きるには、何よりも柔軟で豊かで大きな人の器が育つことが重要です。

そのためには、「どう勝ち残るか」の我が子優先な個人主義的な子育てではなく、社会で子どもを育てる、家庭同士が手をつなぎ育て合う、昔ながらな原点回帰の子育てがますます力を発揮するのではないでしょうか"

子ども時代からのリベラルアーツ「Co-Musubi」より。


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(4) 遠距離通所に配慮
もともと、虹の子クラブは小川公園のすぐ近くにありました。
そのため、その頃は室町小学校区の子が一番多かったのですが、小学校の統廃合で新町・西陣中央小の子が増え、新町小学校区への引っ越し、さらに室町小学校内に室町児童館学童保育ができたことで室町小学校の子がぐっと減りました。そのなかで「虹の子が嫌や」「学童に行きたくない」と言い出す室町の子たちが出てきます。

当時の指導員は「〇〇大会」「**ツアー」などのイベントをたくさん企画して何とかしようとしますが「おもんない」の声はやまず...さまざまな葛藤を経て指導員がたどり着いたのは、こんな思いでした。

"とにかく反省、そして子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。親の思いも自分の思いもたくさんランドセルに詰め、虹の子にがんばって自分の足で歩いて帰ってくる子どもたち。そのひとりひとりの気持ちに向き合い、寄り添い、受け止めることが何より指導員にとって必要なことであり、その安心感があってこそ「遊びたい」「〇〇したい!」というエネルギーを発し前に進もうという衝動を表せるのである"

-- 森徹「21世紀のスタートライン」(虹の子クラブ30周年記念誌, 2012年)

子どもの集団というのはどうしても多数派が強くなりがちです。
ですが、虹の子に入所したある年、1年生の子どもがある日、にこにこと「お母さん、ミンシュシュギっていうのはな、タスウケツのことじゃないんやで。ショウスウの人の意見も大事にするんがミンシュシュギなんやで!」「帰りの会で教えてもらってん!」と教えてくれて感じ入りました。

本当に少数意見が大事にされているのかはわかりません。
子ども集団なので、やはり多数派が幅をきかせる場面があるのではないかと想像します。でも、きっと少数派の子が楽しめるよう、うちの指導員はいろいろ工夫を凝らしてくれていると思います。


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(5) 指導員こそ宝
虹の子は過去に、指導員の確保ができず、閉所せざるを得なかった時期があります。それは1985年1月14日からしばらくの間。

学生アルバイト指導員が中心だったために、卒業でいなくなるたびに指導員が交代することとなり定着しない、保育内容の企画を親がしなければならず負担大、試験や就職活動で指導員の都合がつかないと閉所せざるを得ない、そんな状態なので子どもがどんどん退所してしまう。

この「虹の子5原則」は1985年3月。
指導員が確保できずに閉所に追い込まれた、その2ヶ月後に生まれました。

そのことを知ると、5原則の最後に置かれた「指導員こそ宝」の意味の重さがわかります。われらが指導員 B の採用は「虹の子5原則」策定 1年後でした。

 "そんな(注:勤め始めてすぐの) 私を支えてくださったのが森指導員と当時の保護者の方々でした。
 保護者会の前に「晩御飯食べにおいで」と手料理をご馳走してくれた I さん、高学年キャンプの後「今からご飯作るのはたいへんでしょう」とお弁当をくださった H さん、クリスマス会に出れば「先生もっとオシャレしなきゃ」とご自分がつけていたネックレスをくださった H さん。--(以下略)--"

-- 羽玉みどり「『指導員は宝』に守られて」(同30周年記念誌, 2012年)
※ 羽玉指導員は1994年、大卒後すぐに虹の子へ就職された女性指導員。19年間勤務後、ご退職。

結婚相手にと良い人を紹介(!)、結婚祝いにウエディングドレス姿の羽玉指導員の絵を大凧に描いて凧あげ大会で一生懸命に揚げてくれた(!)など、この後、まだまだエピソードが続きます。

「指導員こそ宝」の気持ちを、自分ならどんな形で伝えるかなあと考えてちょっと楽しくなりました。みなさんも、どうぞ一緒に考えてみませんか?


* 虹の子ミニ知識 *
虹の子の記事を書く時によく参考にしている、虹の子クラブ30周年記念誌「虹ー NANA-IRO ー」は、読むたびに新しい発見があっておすすめです。たぶん、虹の子で頼むと見せてもらえます。図解:虹の子間取り図あり。

今回は新人時代のごんちが子どもたちとの関係作りに苦悩した文章に歴史を感じ、指導員 B のこんな文章にしみじみしました。確かに そんな 2世保護者が多い気がします。:-)

"「学童はめっちゃたのしいところやで!」と感じる子どもが大人になったら、きっと自分の子どもをそんな学童で育てたいと思うだろう。そして、働きながら学童を支えていた自分の親の姿を振り返り人とのつながりの大切さを感じ取ることだろう。今、少しずつそんな時代が芽吹いてきている実感がある。"

-- 森徹「21世紀のスタートライン」(虹の子クラブ30周年記念誌, 2012年)

※トップ画像は高学年キャンプの聖地「古座川」。
  指導員や仲間に見守られるなか、果敢に高いところから「ジャ〜ンプ!」


私たちの学童:
一般社団法人 共同学童保育所 虹の子クラブ 
2022年に創設40周年を迎える京都市上京区の学童保育施設。
民設で学区のしばりがないため、新町学区、西陣中央学区、御所南学区、乾隆学区のほか、国立大附属、インターナショナルスクールなどさまざまな学校の小学生が集います。

保護者全員が経営者として運営に関わる「共同学童保育」というスタイル。創設時から6年生までの多年齢保育を実施、経験豊かな指導力ある指導員とともに、親も成長できる場としてみんなで協力して運営しています。

モットーは
「子育てに夢とロマンを」
「里芋は子芋と一緒に親芋も育つんだって。里芋のような親子になろう! 」

URL: http://nijinoko.org/
facebook: https://www.facebook.com/nijinokoclub
instagram: https://www.instagram.com/nijinoko_club/


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