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改めて、対話とは何か

ことばの焚き火の著者の一人、植田順です。

この本を通じて、読んだ方と一緒に「対話とは何か」について考えていきたいと思っています。ですので、出版にあたって今の自分が考えている「対話とは何か」について書いてみたいと思います。

対話に最初に出会ったのは、NPO法人ミラツクの西村勇也さんが主催していた「ダイアローグBar」でした。2010年頃に六本木で開催されていたイベントに参加し、はじめてワールドカフェに参加して、こんなコミュニケーションの仕方があるんだ、対話というコミュニケーションは面白いと思い、その可能性を感じました。その体験を踏まえて、当時所属していた組織で、組織の未来を考えるワールドカフェを企画・実施したのを覚えています。

その後、様々な場で対話について考えていきました。
Slow Innovation株式会社の野村恭彦さんと株式会社フューチャーセッションズの筧大日朗さんがまだ、富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)でフューチャーセンターの立ち上げをされていた時に、フューチャーセンターを考えるトレーニング・イベントで、フューチャーセンターと対話についてを考えていました。
南山大学人間関係研究センターの中村和彦先生と株式会社シー・シー・アイの大島岳さんが立ち上げていた、OD Network Japanの前身となる組織開発(OD)の勉強会では組織開発と対話について考えていました。
株式会社ミミクリデザインの安斎 勇樹さんが主催されていたワークショップの勉強会では、ワークショップと対話について考えていました。
エコッツェリア協会の田口 真司さんたちと、一般社団法人企業間フューチャーセンターの前身の集まりでは、企業の中での対話を考えていました。

当時は、対話よりも集合知を作るワークショップに興味がありました。ワークショップの延長として、組織開発、ホールシステムアプローチと関心が広がり、そして、その延長として、ダイアローグ(対話)をとらえていました。(その頃に対話について考えていたことはこの記事に書いています)。その後も、企業向けのワークショップ(ビジョン・戦略策定、事業環境分析、チームビルディングなど)を実施していく中で、ホールシステムアプローチの手法の一つとして、対話について考え、実施していました。

その時は対話について以下のように考えていました。

対話とは、人、社会間に存在する意味の流 れを見いだす活動と言える。共有できる意味 を見いだすことで、グループ全体に一種の意 味の流れが生じさせ、そこから何か新たな理 解を生み出す。そのことにより、断片化され た人々や社会を互いにくっつける役目を果たす。
企業で対話を活用するということは、断片 化された人あるいは社会に共通の意味を見い だすことで企業活動に貢献することである。 そして、企業での対話活用を考えるというこ とは、意味の流れを見いだすことがどのよう に企業活動に役に立つのかを考えることである。そして、活用シーンとして、①想定の可視化、共有、②チームビルディング、③グループによる創発がある。

企業での対話の活用の中で思っていたのは、「これは対話なのか」ということです。私の対話の定義はデヴィド•ボーム ダイアローグに書かれている以下の内容です。

”かつて北アメリカのある部族と長い間暮ら しをともにした人類学者がいた。それは 50 人ほどからなる小さな部族だった。狩猟採集 民は 20 人から 40 人の集団で暮らすのが普通 である。農耕民族はもっと大きな集団を作る。 さて、その北アメリカの部族はときどき寄り 合いをもつことがあった。彼らはただひたす ら話すだけで、何の目的もなく話しているの は明らかだった。そこではどんな決定もなさ れなかった。その中にリーダーもいない。そ して誰もが参加できた。他の者よりは話に耳 を傾けてもらえる賢い男か女—年長者だろう− がいたかもしれないが、誰が話してもよかっ た。会合は長々と続き、やがてまったく何の 理由もなしに終わって、集まりは解散する。 だが、そういった会合の後では誰もが自分の なすべきことを知っているように見えた。と いうのもその部族の者たちは互いを充分によ く理解したからである。そのあとで、彼らは より少人数で集まって、行動を起こしたり、 物事を決めたりするのだった。”

企業での対話の場は、その定義から程遠いと思っていました。一方、ボームは同時に企業での対話について、以下のようにも言っています。

“企業内の対話では、「対話においてはいかなる議題も設定せず、いかなる有益な事柄も達成しようとすべきではない。」ということが問題のひとつになる。”
“企業にいる人間が、自分がその会社で働く第一の目的とは利益を生み出すことだという考えを捨てられるであろうか。“
“もしそれが可能であれば、人類にとって大変革となるはずだ。“

このことは、私が企業で対話を実施する意味だと考えていることの一つです。たとえ「部分的」であっても対話をすることには意味があると思っています。この部分的な対話という考え方は、私の対話を考えていく時の一つの軸になっています。

その後、対話を考える機会になったのは、著者の一人である中村一浩さん(かず)が主催する「森のリトリート」に参加したことです。
森のリトリートには、当時一緒に働いていた、DeepCareLabの田島瑞稀さんの紹介で、NTTデータ経営研究所のチームとして参加しました。
そこでは、ある意味「部分的」ではない対話を、仕事をしている仲間と行うという体験でした。企業での対話として、ボームの定義している対話の特徴である、「目的がない」、「決定しない」を対話を行いました。「森のリトリート」での対話では、チームメンバーがお互いに相手を知ることができ、それがきっかけでチームの形を模索することにつながりました。また、個人的にも自分に向き合うことができ、自分が考えていること・感じていることを知ることもできました。森のリトリートの体験は、企業にとっての対話の意味だけでなく、個人にとっての対話の意味ついても考える機会になりました。

一番最近で、対話を考える機会となったのは、2021年に参加した「対話を学ぶ会(2期)」です。この場では、今回の本の著者である、大澤真美さん、中村一浩さん、野底稔さんの3人と知り合う場にもなりました。その時は、企業向けの新規事業創出コンサルティング・サービスデザインの仕事を再構成し、もう一段階発展させたいと思っていた時期でした。そのヒントを探しに、改めて対話について学んでみようと思い参加しました。
対話を学ぶ会は、様々な人が、それぞれの立場で対話について考えていることを話して、その内容について対話を行い、理解を深めるというスタイルで進められました。様々な方が話題を提供して頂いたのですが、私にとっては自分とは違った視点からの対話についての話が多く、対話について新たな視点で考える機会になりました。

特に、刺激を受けたというか、改めて大切だと思ったことは、「体感的に対話を感じる」、「対話によってつながりを取り戻す」ということでした。
体感的に対話を感じるというのは、対話は言葉だけではなく体を使って発信し受けとるということです。もちろん言葉にすることは大切だけども、体で感じること、沸き起こる感情、直感的なひらめき、そのような自分の中で起っていることと素直に向き合うということが対話を行うことでは大切だということに改めて考えさせられました。体感が大切というのは、フューチャーセンターを検討していた時から上がっていた話ではありましたが、最近忘れていた話でもありました。そのことを思い出すことは自分の中で対話を考える上では大きな意味がありました。
もう一つは、「対話によってつながりを取り戻す」ということです。企業での対話をしていると、どうしても対話は集合知を作り出すための手段・方法であると考えてしまうことがあります。でもそれは対話の本質ではない、対話の本質は、もともとあったつながりをそれぞれの人が思いだし、取り戻すことなんだということを考えさせられました。少し「抽象的」で、「スピリチュアル」な感じではありますが、対話をおこなっていると確かにこのつながりを取り戻すという感覚になることがあります。対話をしていく中で、その場で起こること、その場で話されていることに意味の流れを見出す時に、その場にいる人たちだけでなく、もっと大きな流れにつながっていると感じられることがあります。この「対話によってつながりを取り戻す」ということは、対話を行う本質的な意味であると考えたのもこの対話を学ぶ会でした。対話の学ぶ会では、3人の著者に出会えたことだけでなく、今回の本にもつながる対話について深く考える時間になりました。

そのような時間を経て、今、私が対話について思うことは「対話は新しい社会での基本的なインフラ」であるということです。

残念ながら、近年は、さまざまな理由で分断が進んでいます。分断が起こっている状態というのは、これから自分・自分たち、自分の子供・子供たちが幸せに生活していくためにはいい状態とはいえません。分断をどのように解消していくということは、これからの社会の大きな課題です。

分断をなくすために、専制的、権威的な仕組みで「均一化」することがいいわけがありません。ではどうするのか。その答えの一つが、「対話」だと思っています。対話をすることで、お互いを知り、お互いを知ることでお互いを尊重することができ信頼関係を築くことができる。そのことを繰り返し、信頼の輪を広げていくことで分断を解消することができるのではないかと考えています。

今回、出版する本を通じて、対話を知る人、対話について考える人、対話を体験する人が増えることで、対話が「基本的なインフラ」になっていければいいなと考えています。

是非、「対話」について対話をしましょう。そして、対話を新しい社会の基本的なインフラにしていきましょう。そんなことがこの本を通じてできたらと思っています。

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