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酒は知っている、
自分が出される場所に、
出会いと別れがある事を。

勤務最終日、
男は会社から離れた馬込という場所に居た。
現場である。

勤務最終日だと言うのに現場に駆り出され、
時刻は間もなく定時を迎えようとしていた。

男と一緒にいるのは営業の倉知。
倉知が過去に担当した客先でトラブルが出たからと、
手隙の男が現場に同行する事になった。

トラブルの内容はこうだった。
客先はちょっとした展示博物館なのだが、
プロジェクターで映し出す映像の色合いがどうも悪い。
ケーブルの劣化なのか設定の問題なのか、
それに対応して下さいとの御達し。

現場に四時半には到着した男達だったが、
館内の営業が終わってから調整をしなければならず、
その時刻はなんと午後六時。
裏側の様子を覗いたり機材の準備をしたり等したが、
そのどれも十分な時間つぶしにはならなかった。
倉知と二人でスマホを弄り、
六時の閉館が迫る頃には仲良く二人であくびを出した。

作業自体はあっけないもので。
誰かがバックヤードのケーブルを虐めたのか、
どうも内部で接触不良が起きているらしかった。
予め持参した長引きのケーブルと差し替え、
映像の不良は無事改善と相成った。

所要時間は約十分。
待ち時間はおよそ一時間半。

そうだった、これはこういう仕事だったなぁ。
そんな事を感慨深げに思いながら映像を男が見ていると、
倉知が言った。

「お前、会社に何か荷物残しとるんか」
「いえ何も。もう全部ハケてます」
「じゃあここでバレて(解散の意)良いで。
 もう定時も過ぎるし会社戻るのもダルいやろ。
 最終日位は定時に帰らんと。」

御疲れさん。
男がそう言われたのは定時十分前。
プロジェクターも電気を落とし、
作業道具をハイエースに積み込み、
羽織っていた再通季のジャケットを後部座席に置いて、

「じゃあお前は直帰って伝えとくから。
 ほな、小説家、がんばってなりや」

の言葉を置いて走り去った倉知を見送った。

どうにも男が想像していた退社と違った。

てっきり最終日に退社する時には、
会う人、会う人に「もう最後だな」と言われ、
少なからずの哀愁を感じながら会社の門をくぐり、
振り返ったりもしながら世話になった事を噛みしめるものだと。
そう、その予想は男が前社で体験した退職であり、
今回もてっきりそうだと思っていた。

だが現実は会社の外に駆り出され、
ただ一人ポツンと、定時前に現場に置いてけぼり。
別れの挨拶を交わしたのは一人だけ。
後は東京メトロに乗り込んで、
そのまま家に帰れ、てなもんだ。

「まぁ、らしいっちゃらしいなぁ。
 なんだかんだいい会社だった、忙しさを除けば。」

ここに居てももう何も無い。
誰が迎えに来る訳でもないし、
さぁ、駅へと歩こう、俺はもう自由だ。

男がそう思い歩き出した矢先、
男のスマホが鳴った。
鰻の社用携帯の番号だった。

『もしもし?』
「もしもし?鰻さん?」
『君いつ会社戻ってくんのや』
「すいません、もうこのまま帰ります」
『ええそうなん?』
「倉知さんが会社に伝えとくって言ってたんですが」
『はぁそうか、定時前やけどお疲れさん』

ケータイのマイクってのは本当に性能が良い。
鰻の声の他に、遠くで車の走るような音が聞こえた。

「鰻さん、今外ですか?」
『ああ出てきた。あのなぁ』
「はい」
『正直ショックやったわ、君が辞める言うた時。』
「  」
『ええマジかーって思うて。
 君割と真面目に働く方やし、現場でもおもろいし』
「俺は」
『うん』
「何度も鰻さんの事、ぶん殴りたいと思いましたけどね」
『ええーほんまか?僕ほど良い先輩もおらんやろ?』
「本当、やったね!って言われるたんびに、
 もう何度コイツぶん殴ってやろうと思った事か」
『こっわ、やっぱ君、辞めて貰って正解やわ。
 僕のキュート☆な顔面、変形してまう前でヨカッター』
「もう本当ぶん殴りたい。」
『止めてや』
「――でも、鰻さんほど良い先輩も居ませんでした。
 それは前の職場と合わせても言える事です。
 鰻さんと一緒に仕事出来て本当に楽しかったです」
『ホントか?でもぶん殴りたいんか?』
「そうですね」
『二重人格やんけ最早』
「今、もうこのコンテストに出そうっての、決めてるんです」
『おお、ええやん』
「それで一番取れなかったら連絡するんで、
 その時にまたやったね!って言って貰えませんか。」
『ええー?落選するっていう前提なん?
 そんなんイヤやわ、一番取った時に連絡してよ』
「ダメですか」
『僕は君の人生相談所やないんやからさ』
「まぁ、そうですね。」
『せやろ?』
「でも救われました。
 鰻さんに救われました。
 毎日現場で馬鹿みたいな事ばかり喋り合って、
 ミスしてもやったね!って良い笑顔で言われて、
 そりゃ、身体が壊れそうな現場もありました。
 でも身体が壊れて行く半面、心は戻って来て、
 今はこんな物語書きたいって思うまで持ち直しました。
 前までは物語を書く事すら怖かったですもん」
『僕が君の心を直した?』
「そうですね」
『それで会社辞める決心もついた?』
「そうですね」
『悪い先輩やなぁ』
「最高の先輩でした」
『   出来れば会社に居続けて欲しかった』
「  そう言って頂けただけで十分です」
『十分なんか知るかいや、僕の勝手な願望や、我儘や。
 君に教えたケーブルの種類も、
 コテライザーの使い方もハンダの付け方も、
 図面の作り方もハイエースの運転も、
 そや!今でも忘れへんで、
 君に初めてハイエース運転させた時、脇こすったやろ!』
「あれはペーパーの俺に運転させた鰻さんが悪いです」
『他にも道曲がれ言うたのに曲がれへんとかあって』
「ありましたねそんな事。鰻さん指示が遅いんですよ」
『君、車はもっとるっけ?』
「持ってませんよ。もう何度も言ったじゃないすか」
『じゃあ全部無駄やな、僕が君に教えた事は。
 もうこの業界に戻ってこん限り、全部ムダ』
「無駄にしません。
 物書きってのは経験の全部使えるんですよ。
 絶対無駄にしません、全部使います」
『ほんまかぁ?君、そこまで器用じゃないやろ』
「手先の話でしょ。関係無いですから」
『ほんまぁ?』
「本当ぶん殴りたい。」
『はっは、……はぁ。やったね』
「はい?」
『もう二度と言わんで、
 駄目だった時に思い出しや。
 失敗はそのまま放っといたら失敗のままやけど、
 良くしようと続ける限り成功に変わる可能性があるんやから。
 気張りや。』
「……今まで有難う御座いました。」
『こちらこそありがとうな。楽しかったで』

男はその後、
幾つものコンテストに応募するが頂点を取り逃す。
頂点を取らなければ、何位でも意味はないのだ。
毎回悔しさで下唇を噛み、拳を握る。
そして男は必ず心の中で、鰻に報告をした。

「鰻さん、今回も駄目でした」

そう報告をすると決まって鰻の声が聞こえた。

『そうか、やったね!』

目を閉じて思い描くと、
男の瞼の裏にニカっと笑った鰻が写る。
相変わらず、ぶん殴りたい顔をしている。
ムカムカと腹が立った後に、息が抜ける様な笑いが出てしまう。
それは会社で働いている時と同じであった。

男も自分の口でやったね、と呟き、

「よし、次やるか」

と気分を切り替えるのが恒例であった。


男の挑戦はまだ続いている。

(筆者後書き)

ここまでの長丁場、お付き合い頂き誠に有難う御座いました、けんいちろうです。一つ言及しておきたい事があります。中編の中で男よりも先に退職した原口という若手社員、彼にはモデルが居ます。レオモンというゲーム実況者です。今作中の原口は『釣りのゲーム動画を作る為』とされていましたが、レオモンさんはポケットモンスターというゲームの動画を当時作っていました。彼が挑戦していたのはコイキングというゲーム中最弱のモンスター一匹のみを連れ、ゲームを攻略するという無謀なものでした。しかも、ただのコイキングではなく金色に輝く希少個体。それを捕獲するまで何万匹も『釣り』を行ったので釣り人と揶揄される事もしばしば。当初彼が大学生の時に動画作りは始まるのですが、あまりに無謀な挑戦の為時間は経過し、ついに彼は就職してしまい、ぱったりと動画の更新は途絶えます。それから三年の月日が経過し、彼は帰ってきました。「動画の事が頭から離れなかった」と語る彼は動画を作る為に会社を辞めたのです。動画を作る為に会社を辞めるとは言えなかったのか、社内では的外れな噂が流れたらしく、農家をやるから会社を辞めるらしいという噂が本人の耳に入った時には「まぁ漁師だから似たようなもんか」と笑い飛ばしたエピソードがあります。彼の「この動画を終わらせる為に戻ってきた」という言葉には当時胸が震えました。もし興味を持って下さったなら「金鯱の逆鱗」のキーワードで検索下さい。

ここまでの読了、誠に有難う御座いました。
今後はまたショートショートの更新になります。
けんいちろうでした、またどうぞ。

お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。