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【ナイスガイ×生きがい】デフサッカー日本代表 松元選手からの学び

昨日は、福岡県ろうあ者スポーツ委員会事務局「デフスポーツ研修会~デフリンピックについてもっと知ろう!~」に参加してきました。
 
講師は、この方!(冒頭の写真)
あいおいニッセイ同和損保株式会社 障がい者アスリート デフサッカー日本代表 松元卓巳(まつもと たくみ)選手です。かねてより当方の出前講座やセミナーに多大なるご協力をいただいており、毎度その「難聴啓発にかける想い」やお人柄、スーパーイケメンぶりには圧倒されておりますが……。昨日はさらに熱量高く、たくさんのことを教えてくださいました!

4年に1度開かれる、聴覚障害のあるアスリート(デフアスリート)によるスポーツの祭典・デフリンピック。
デフアスリートにとってはデフリンピックが世界最大の大会です。第1回のデフリンピックが開かれたのは1924年。実は、パラリンピックより長い歴史を持つ大会なのですが……。
 
日本での認知度は16.7%。
パラリンピックの認知度は97%を超えることから、どれだけ差があるかがわかります。さらに言うと、10年前の認知度はわずか3%。ここ10年で認知度は13%しか上昇していないそうなのです。
 
と、偉そうに書いた私ですが、実は昨日の会を通じて初めて知ったことがありました。デフリンピックでは、競技会場に入ったら練習時間か試合時間かは関係なく、補聴器等を装用することは禁止されているそうです。これは、選手同士が耳の聞こえない立場でプレーするという公平性の観点によるものだそう。
 
もう衝撃でした。難聴啓発の広報をしていてそんなことも知らなかったの?とご指摘を受けそうですが、本当に知らなかった。「デフリンピック」と言う言葉だけで、知っていたつもりになっていたんだと思います。
 
昨日の講演会では、松元選手が駆け抜けてきたデフサッカー人生16年が語られました。
デフサッカーの世界に足を踏み入れるきっかけや、デフリンピックの舞台裏(臨場感あふれる会場の様子や、オフショットなど)、今後に懸ける想いなど。プロスポーツ選手と異なり、費用面などさまざまに大変な状況の中で、なぜデフサッカーを続けているかという理由を次のようにお話していました。
 
「日の丸を背負って戦えるという小さな頃からの夢であること、自分を主張できるなどいろいろありますが……。僕にとって『生きがい』だからです」
 
生きがいとは、「生きることの喜び・張り合い」であり「生きる価値」でもあります。自分自身で見つけた、掴み取ったそれを、胸を張り堂々と誇らしく話す姿の素晴らしさよ。
 
そして、最後にこう添えていました。
「デフリンピックは認知度が低いのが最大の課題。10年で13%しか認知度が向上していないことを踏まえると、僕が現役の時は、その環境がガラッと変わるとは考えにくい。でも子どもたちが大人になった時『スポーツ以外のことを考えずに練習に取り組める』環境であって欲しいと願うのです。だから僕は、小さな小さな活動ですが、全国を回ってデフリンピックや難聴の啓発をしています。」
 
松元選手、あなたは福岡の、日本の宝です。
 
帰り道の頭の中では「松元選手を始め、デフリンピックで活躍する選手のことを、そしてデフリンピックのことをみなさんにもっと知って欲しい→それはきっと難聴児を育てる親の励みになる→そのためには認知度向上が必要→そのためには自分が知ること→発信・行動すること」がループされていました。考えすぎて、JR博多駅の博多口と筑紫口間違えちゃいましたけどね笑。
 
その時思ったのです。私の生きがいって、実は「広報」なんじゃないかと。いつか胸を張って言えるその日まで、頑張ります。
 
こちらは昨日の講演会の最後のスライドと、松元選手とパチリ。
近づくとますますイケメンですYO!(全国のファンのみなさんごめんなさい)。
 
松元選手、たくさんの学びをありがとうございます! そしてこれからも難聴の啓発をご一緒してまいりましょう!


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