難聴というイメージ
みなさん、こんにちは。
岩尾です。
今日は、「難聴」というイメージについてお話ししたいと思います。
まず、本当によく思うのが、「無意識に軽く見られがち」なんだろうなということです。
ニュアンスが難しいのですが、聞こえづらいって、これは大変なことです。でも、お互いのフォローとちょっとした工夫があればなんとかやっていけるケースは多いと思っています。
ところが、社会では、無意識に軽く見られてしまってるんだろうなということによく出遭います。
例えば、うちの娘は現在小学校3年生ですが、補聴器をつけていて、補聴器に直接声を飛ばすマイクがあります。このマイクには、先生用と、友達用があります。
このマイクを見せて、使い方を説明して、使ってくださいと先生に伝えるんですけど、何と使ってなかったりします。
先生が使ってないこともありまして、これはその先生があまりにおかしかったからですが、友達用のマイクが教室にあるのに使わないということが複数の先生でありました。
子どもたちは使いだすと自分たちから使ってくれます。
でも、最初のマイクを出せばなんですね。
そこを先生が出さなければ子どもたちも使えません。
まさか、あれだけ説明して使ってないとは思ってなかったので発見が遅れてしまいましたが、なぜか使わない例がよくあります。
これ、ものすごく協力的な先生でも使ってなかったりすることがありました。
おそらく、これが、「無意識に軽く見てしまう」ということだろうと思います。
なぜ軽く見てしまうのかというと、難聴の子たちは、傍から見ると、普通に動いているからでしょう。
「今何と言ったか?」を都度都度聞くと、ヌケモレが多いことに気づくでしょうが、そんなことはやっている暇はありません。
なので、傍から見ると何の問題もないように見えてしまうんです。
だから、わざわざマイクを使うという行為が、「余計なこと」に思えてしまうんじゃないのかなと僕は考えています。
同じように、難聴者は、
「聞こえないので字で書いてもらえませんか?」
と、頼むときがありますが、聞こえないと言った本人がしゃべっていると、無意識に「大丈夫そうだな」と捉えられてしまうことが多いようです。
つまり、本人がしゃべっていると、字で書いてもらえず声で話されることが多いようなのです。
これは、知らないと、ついつい「しゃべっているから、こちらも声だけで話して大丈夫そうだな」と思ってしまうかもしれません。
ですが、難聴の人は、しゃべっていても聞こえてはいません。
しゃべっていたとしても、聞こえのフォローは必要なんです。
このことは、仕事の場面でもよく起こります。
しゃべっていると、ついつい大丈夫そうだと思ってしまい、声だけでコミュニケーションを取ってしまう。
そこでヌケモレがあると、相手に怒ってしまう。
そして、能力が低いと思われてしまうこともあります。
僕の友人は、しゃべっていると、そういうことがあるので、しゃべれるけど、職場では声を出すのをやめたと言っていました。
これは、お互いにもったいないことですよね。
音声で意思疎通できるときはできた方が時間もかからずスムーズです。
わからないところを文字なり、アプリなり、簡単な手話なり、ジェスチャーなりで補っていけば、しっかりと意思疎通はできるはずなんです。
これもイメージの弊害ですね。
こんな話も聞いたことがあります。
子どもが難聴だと発覚したけど、
「補聴器をつけるといじめの原因になるかもしれないのでつけないでおく」と、補聴器をつけないでいる家族がいるようです。
これに関してはどこから突っ込めばいいのか・・・
まず、「補聴器をつけるといじめられる」というイメージ。
確かに、実際に補聴器をからかわれたという話は聞いたことはあります。
でも、どう考えても補聴器をからかう方が良くないですよね。
もっと言うと、説明がなければ子どもは変わったものをからかうことはあります。
説明さえすれば、いじめは大きく防ぐことはできると思います。
もちろん、説明してもからかう子はいるかもしれません。
でも、説明を続けるんです。
講座などで、難聴を知ってもらうことを続けるんです。
そうすれば、ケンカしたときに補聴器のことを言われたとしても、いじめとかにはつながならくて済むケースも多くなるはずです。
そして何より、補聴器をつけないのであれば、手話でコミュニケーションを取らない限りは言葉が聞こえてませんので、もちろん聴力によりますけど、聞き洩らしは必ず出てきます。
そうなると、言語力が身に付きません。
二次的なマイナス面が大きくのしかかってくることになります。
これも、子どもが軽度や中度難聴で、少し話していると、「大丈夫そうだ」と、親でも思ってしまうわけです。
無意識に軽く見てしまうんですね。
こんな人もいました。
補聴器は、重度になると、出力も大きくしなければいけないので、機器も大きめの、耳掛け式というものになります。
しかし、目立つのが嫌だから、耳の穴に入れるだけの耳穴式にしろと補聴器店で話している親御さんがいたようです。
子どもの補聴器をめぐってのことです。
当然、出力の弱い補聴器だと聞こえませんので、言語力が身に付かなくなります。
補聴器が格好悪いと思っているのか、つけさせたくない様子だったとか。
これもイメージですね。
目が悪かったら、普通にメガネをつけます。
メガネを格好悪いと思うことは最近はほとんどないでしょう。
と言いつつ、実は僕は昔メガネをかけたくありませんでした。
小学校3年生からメガネを授業中だけかけるようになりましたが、僕はメガネが似合わず、メガネ姿で人前に出るのが嫌で、授業中だけにしていました。
思うのですが、補聴器をつけている人を見て、「似合わない」と思ったことが、僕にはないんです。
メガネはありますし、自分のメガネ姿は嫌なんですけど、補聴器は似合わないなんていう感覚はないんですよね。
誰もが見た目は何の違和感もないと思うんです。
もちろん、補聴器を見たことがなければ違和感があるのかもしれませんが、似合うか似合わないかで言うと、似合わない人はいないと僕には思えます。
それをなぜメガネよりも嫌がる人が多いのか?
「補聴器」というのが、あまりになじみがなく、つける方も、つけているのを見る方も違和感を感じてしまうのか?
年配の方がつけているという印象で、若い頃からつけると格好悪いと思われてしまうのか?
年配の人は年配の人で、加齢が進んだと思われたくないということもあるのか?
いずれにしても、
「あまりつけたくない」
「つけているのを見ると、マイナスな感情を持ってしまう」
というイメージが多いのかもしれません。
だから「つけない」
子どもに「つけさせたくない」
となると、これは難聴を軽く見ていることになりますよね。
ちなみに、年配の方で言うと、音が聞こえないままになってしまうと、脳が言葉を認識しないことが多くなるので、思考力が低下する一因にもなります。
そのせいかどうかはわかりませんが、難聴は認知症を進ませるという研究結果もあるようです。
補聴器をつけるか、または手話でしっかりと言語を使っていかないと、思考力は衰退していくと言えます。
軽く見ていると、そういうことにもつながっていきます。
ちょうど、先週末、公民館でアニメで知ろう!難聴講座をやらせてもらったとき、
「子ども向けもいいけど、自分のような高齢者向けにももっともっとやってほしい」
と、言ってくれた方がいました。
その時は、大人向けでして、僕の活動の基盤に難聴の子を持つ家族会があるので、高齢者向けももっとやってほしいと言って頂いたのですが、こちらとしては本当に励みになります。
年齢関係なく、難聴理解は拡げていきたいところです。
なんせ、75歳以上の3人に1人は難聴です。
なのに、なかなか実態を知られてなく、軽く捉えられてしまうのが難聴なのです。
本当に、もっと多くの場所で講座をして、少しずつでも知ってもらいたいと強く思っています。
そして、補聴器は格好悪くないということ、これも拡げたいと思っています。
実際に、補聴器が似合わない人はいないと思っていますし、もっとオシャレにきこなしていけるものでもありますよね。
ワイデックスさんが、「デフメタル」という補聴器に絡めたアクセサリーを販売し始めました。
補聴器に絡めたアクセサリーは、個人の方も作ったりしています。
かわいい!
カッコイイ!
となれば、補聴器をつけやすくなりますよね。
いえ、つけずに手話で生きる選択肢ももちろんありますけど、つけたいのに嫌だということは避けたいと思っています。
周りの認識も、「補聴器なんて○○だ・・・」というマイナスな印象はなくしていきたいですね。
やるべきことはまだまだありますね。
もしよろしければ、企業研修でも地域での講座でも学校の講座でも、難聴講座に、ぜひ僕を呼んでください!
どの年代にも、誰にでもお役に立てる内容です。
高齢になれば誰もがなり得るのが難聴です。
ぜひ、アニメで知ろう!難聴講座、ご検討ください!
言葉のかけはしの記事、活動に共感いただきましたら、ぜひ、サポートをお願いします! いただいたサポートは、難聴の啓発活動に使わせていただきます。 難聴の子どもたち、難聴者と企業双方の発展、そして聞こえの共生社会の実現のため、どうぞよろしくお願いします!