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どこまでも真っ直ぐに自分を表現すること

働くとは?

これは、国によって捉え方は変わってきますが、日本にいるなら、働くとは、何かの役に立つことです。

多くの人が暮らす世界の中、みんなで生きていくためには、みんなが暮らせるために必要なことを、みんなで分担してやる必要があります。

大昔は家族単位で、食べるものを得て、着るもの住む場所を作り生きてきました。
でも、これだけ人が増えた状況で家族ごとに何もかもできるかというと現実的にはできません。だから、お互いが役割を分担して生きていっているわけです。

その役割とは、「何かの役に立つこと」です。

ところが、こんな単純な最も大事なことを学ぶ機会がほとんどない。
だから、就職活動の時期になると、

「自分の好きなことは何だろう?」
「得意なことは何だろう?」
「儲かる仕事は何だろう?」
「地元で働きたい」
「あの社長と一緒に働きたい」

という視点で仕事を探す人がほとんどです。

仕事とは何かの役に立つことをするものなので、
「じゃあ、自分はどんな役に立ちたいか?」
から考えて仕事を探すのが原則となるはずです。(もちろん例外だってあります)
でもこの原則から考えることがほとんどない。
これって、よくよく考えるとすごくおかしなことですよね?

「ギターをうまく弾けるようになりたい!」
という人が、
考え方が素晴らしいヨガの先生の教室に通うでしょうか?
月謝が安いからといって、書道を習うでしょうか?
落語が好きだから落語教室に通おうとなるでしょうか?

ならないはずです。

でも、これと同じことを、なぜか仕事ではほとんどの人がやっているんです。

その結果、どうなってるかと言いますと、平成26年に厚労省が行った中小企業1万人へのアンケート調査では、「働きがいがありますか?」という質問に対して、
「ある」「どちらかといえばある」と答えた人は、何と約半分!

裏を返せば、2人に1人は働きがいがないと答えている。

非常に悲しい現実ですね。
だって、自分が客としてお店やサービスを利用するとき、2回に1回は働きがいがないって人に当たるわけなので。

まあ、どんな役に立ちたいかを考えずに選んでいるので、当たるも八卦当たらぬも八卦。
ちょうど半分になってるってわけですね。
なるべくしてなっているということです。

ちなみに、僕は若年者の就職の相談を受ける仕事もしていますが、つまずいている人のほぼ100%が、「役に立ちたい」という思いを持ってないということがわかりました。

もちろん、自分はそんなこと考えてないけど、楽しくやってるよっていう人もいます。
それは、楽しいだけでやれていることもあるでしょうし、自分が意識してないだけで、役に立ちたいという思いが心の中にはある場合もあるでしょう。
いずれにしても、「どんな役に立ちたいか?」という思いは非常に大切なんです。

今はこんなことを言っていますが、僕も若い頃はご多分に漏れず「役に立ちたい」という思いを考えたこともなく仕事をしていました。
そして、30歳にして転職を3回繰り返した何のスキルもない自分がいました。

そんな中4回目の転職活動をしていた時、やりたい仕事が見つかりませんでした。
当時は目の前が真っ暗になるほど落ち込みました。
まだ30年以上も仕事をしなければいけないのに、やりたいことがない。
でも生活のために何かしなくてはいけない。
そんな長い間、何をやればいいのか・・・
やりたくもないことを30年以上やらなきゃいけなくなるのか・・・

甘えてるといえばそうだと思いますが、当時の正直な思いです。

その時に、たまたま読んだ本で出会ったのが“キャリアカウンセラー”という仕事でした。

「仕事や就職で困っている人の相談に乗ったり、アドバイスをする仕事」
これが当時の認識でした。

まさに自分が今、仕事のことですごく困っている。
でも、仕事のことなんて学んだこともないし、学び方もわからない。
自分と同じように困ってる人って、一杯いるんじゃないだろうか?
この転職を繰り返した経験は、マイナスでしかないと思っていたけど、キャリアカウンセラーという仕事では、プラスになるんじゃないだろうか?
僕の3回の転職経験はそういう人たちの役に立てるんじゃないだろうか?
だとしたら力になりたい!

後で振り返ればですが、この時初めて「役に立ちたい」という思いが芽生えたのです。

あれから18年。
この「仕事で困っている人の力になりたい」という思いをずっと仕事にしている自分がいます。

そして、今は、それにプラスして役に立ちたいことがあります。

僕にもおかげさまで妻ができ、娘が生まれましたが、その娘が難聴でした。
難聴というのは見えづらい障害とも呼ばれていまして、なかなか理解が広がってなく、生活のいろんな場面で苦労している現状があります。

例えば、補聴器をつければ聞こえる人と同じように聞こえると思っていましたが、そうではなく、遥かに小さく歪んだ言葉でしか聞こえません(一人一人個人差はあります)。
僕も娘が生まれて初めて知ったことがたくさんありました。

だから、難聴の理解を拡げて、聞こえる人も聞こえない人もお互いに過ごしやすい社会をつくりたいという思いがあります。

そして、難聴の人の仕事ですね。
これも、非常に厳しい現状があって、難聴の人も働きがいをもって仕事ができる社会にしていきたいという活動もしています。

30歳の時以来、「役に立ちたい」を基準に、働きがいを持って仕事ができています。

そして、もう一つ貴重な経験もしました。

実は今の仕事に至るまでに、一度就職支援の仕事から離れる決意をしたことがありました。

僕は、就職支援の仕事を個人事業でやっていましたが、仕事が取れなくなったことがあります。
そのとき、既に娘も生まれていました。

これではやっていけない、生活ができないということで、44歳のとき、転職活動をしました。

これはあまり言いたくありませんが・・・44歳キャリアカウンセラーの転職活動、全て落ちました(苦笑)
いえ、自分が相談させてもらった人たちは、いい結果を結構出してもらってるんですけど、自分はダメでしたね。
まあ、娘の療育のため平日1日休みが条件の個人事業主だった44歳のおっさんを一兵卒で採用しようという会社はなかったと、言い訳をしておきます(笑)

この時、一時的に、「役に立ちたい」思いは脇に置いてもいいなと思いました。
それよりも家族との生活を優先させたいと思いました。
もちろん、就職支援の仕事も探しましたけど、それ以外で、自分ができる「営業」という仕事にも応募しました。

妥協という感覚ではなかったです。
家族の幸せのために、気持ち的にはサッパリしていました。

結局、知り合いのツテで就職支援の仕事で再就職しましたが、もし、就職支援以外の仕事に就いていたとしたら、自分は満足だったかもしれませんけど、多分、良い仕事はできてなかったと思います。

鍵は、「役に立ちたい」と思えるかどうかです。
やっぱりこれがないと良い仕事はできないと思います。

おかげさまで、知り合いのツテで入った会社は就職支援の仕事だったので、「役に立ちたい思い」を体現できました・・・
と言いたいところですが・・・

実はこれができなかったんです。
この仕事、就職支援をする対象者が限られていまして、その対象者に思うところがあり、非常にモヤモヤしていました。

あるとき、娘に仕事の内容を聞かれたことがあったのですが、言えませんでした。
幼い娘に言うので、簡単に言うこともできたのですが、言いたくなかったというのが本音です。

キャリアカウンセラーである自分が、娘に自分の仕事を説明できない現実を突きつけられ、再度の起業を決意しました。

今は、胸を張って仕事内容を言えますし、仕事に連れていくこともできました(可能なところだけですが)。

胸を張ってというか、背中を見せられるという感覚ですね。
父の背中を見せながら仕事をできていることは、働きがいを持ってやれてる証拠だなと感じます。

働くとは?
何かの役に立つこと。

じゃあ、私にとって働くとは?

もちろん、何かの役に立つことではある。
と、同時に、自分という人間を表現してるんだろうなと思います。

僕は裏表のない真っ直ぐで単純な人間で、だからこそ、仕事でも、真っ直ぐに自分を表現したいし、それを若い頃から追い求めてきたのかもしれないと、今は思います。

これからも、どこまでも真っ直ぐに、腹も背中も見せられる仕事をしていきたいですね。


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