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教育の世界からITの世界に移った人間の話

こんにちは!

元理科の先生のKOTOです!

大学生の頃は教育のことしか考えていなかったのに、気づいたらスーパーゴリゴリプログラミングスクール42Tokyoに入学してました。
人生何があるかわからんもんです。

今回は自己紹介を兼ねて、どうして教育の世界からITの世界に転身したのか、ふんわり振り返ってみたいと思います。

2003年
いやそんなところから振り返るんかいって感じだけど、外せないイベントなのでつい。
小3のとき、祖母に連れられて行ったお台場の科学館で見たプラネタリウムで、自分の住むこの星のちっぽけさに絶望に近い衝撃を受ける。
あとニュートリノにすごく興味を持った。
この日から、理科を好きになった。

2008年
飛んで中2。
これ以前から漠然とした違和感は感じていたが、
ある日、決定的に教師や学校に不信感を抱く事件が起こる。
当時、特に将来やりたい職業はなかったけど、絶対にやりたくない職業はただ一つ「教師」と明言していたことを覚えている。

2012年
高3くらい。
進路を意識するころだからもうちょい前からかも知れないけど、中学の頃と比べて少し考えが変わった。
今もきっと同じように、学校に不信感を抱いている生徒はいるだろうと。
もし自分が先生だったら、もしかしたら同じような思いをする生徒を守れるのかもしれないと思い始めた。
「教育」と「サイエンス」の交点の1つ、理科の先生になろうと、決めた。

2013年
大学に入り、教職を目指す仲間と出会う。
ただ、自分と同じようなネガティブ(?)な動機から目指すものは極めて少数だった。
大多数は、学校が大好きだから、〇〇先生に憧れてなどだった。
前からずっと感じていた、学校という組織の違和感の正体を見た気がした。

2016年
大学4年、幸か不幸か、教員採用試験に落ちた。
この頃から、将来家庭を持った時の教員としての働き方を考えるようになった。
意識するのがやや遅かったが、自分にとってゆっくり考える良い機会だった。
採用に落ちたことをいいことに、日本の教育を、日本を外から見ることで何か知見が得られるのではと考え、翌年マレーシアに留学をすることにした。

2017年
この年は、フリーに色々活動をしていた。
特にブラックな教員の環境について、色々調べては発信をしていた。
特に部活動に関しては漆黒の闇だ。かつ渦中の人間には白く見えるタイプの闇だから、なお闇だ。

ちなみに雑誌に取り上げられたこともある。(あと一応テレビの取材も受けたりした)
マレーシア留学中、語学学校では様々な国の教育事情を聞いたりした。

2018年
とある学校で理科教師として働き始めた。
特殊な学校だったので、一般的な学校は体験していない。
けれどもその搾取的構造、思考停止的な集合体としての意識等について、深く深く考えさせられた。
この頃らへんに、孫正義さんの「登りたい山を決めろ」的なスピーチを観た。
「教育のシステムを良くすること」が、もしかしたら自分の登る山なのかもしれないと思うようになった。

2019年
教育のシステムを考えるにあたって、情報技術への理解は必要だと判断した。
色々悩んだ末、未経験からIT系の会社に転職した(良くも悪くも)。
でも結局は今思うと、シンプルに面白そうだと思ったから転職したんだと思う。
直感って大事。

2020年
業務外で独学している中、なんだか面白そうなエンジニア養成スクールを発見。
見ると完全無料でピアツーピアのカリキュラムとのこと。
「教育のシステム」の文脈としても、「エンジニア」の文脈としても惹かれるものがあったため、秒で申し込んだ。
なんやかんやで入学することができた。

まとめ
教師不信な理科好き少年が、色々あって教員を目指すも、労働環境ヤバいし部活は特にヤバいし、なんならこれが諸々諸悪の根源なんじゃね?って思い始めて、この環境を変えることに人生を費やしたいって思って、情報技術学びたいって思ってたら42っていう変わった学校に通っているなうって感じです。

以上、今後とも宜しくお願いします!

#自己紹介 #はじめまして #42Tokyo

https://note.42tokyo.jp/n/nf2e783fdb6c6

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