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【母の日の物語】保健師だけど公務員やめてベンチャーに転職したって親に言ってみた

こんにちは!株式会社Appdate Tohandsカスタマーサクセス部保健師のいわきりです。

今年の母の日は5月10日だ。今週の日曜日。

みなさまはもう、母上に言う言葉やプレゼントは決まっただろうか。

母の日が発祥のアメリカから日本に伝わったのは明治の時代だという。

文明開化と一緒に母に感謝する習慣も伝わったのだから、時代の変わり目というのはメリットも伴う。

さて、私は今年、母の日に感謝の言葉と共に伝えなければならないことがあった。

公務員を勝手に辞め、勝手にベンチャー企業に就職したことを報告せねばならなかった。

本記事では、私が両親に上記の事実を伝えた実話を記すものである。

なお、実際の会話に近い描写とするため、いい歳の社会人だが所々両親を「ママ」「パパ」と称することをご了承願いたい。

いわきりの家族背景

まず、私が公務員から株式会社Appdateという産業保健ベンチャーへ就職したいきさつはこちらの記事をお読みいただきたい。

さて私いわきりは、某地方都市のド田舎、いまだ古き良き悪き日本文化が残る地域で育ち、民間企業でエンジニアをしている父と子ども好きで保育士をしている母のもとに育った。

勉強は苦手だったが体が強く理不尽なことに耐えうる精神力を有した弟はそっち系の国家公務員になり、勉強は人並みで運動がからっきしだった私は、ある時、時々持病で体調を崩すことがあった母の病気を調べるうちに「これは病気になる前になんとかする方法がないか」と考え、父と仲良くしていただいていた看護大学(のちの母校)の教授に「なんかそーいう仕事ないですか」と聞いたところ公衆衛生のことを教えてもらい、疑うことなく保健師の道に進んだ。

で、ハマったのだ。保健師という仕事に。

この仕事は非常に面白い。なぜなら正解がなく、社会の流れに応じて様々な課題に直面させられるからだ。

保健師の面白さは別の機会に書くとして、大多数の保健師学生同様、公務員として行政保健師になった私だったが、前述の記事にあるように、保健師として新しい世界に挑戦したくなり、4年の行政キャリアを悔いなく脱いだ。

ここまではいい。

問題は両親だった。

民間で荒波にもまれた父は「公務員はいいゾ」と信じて疑わなかったし、母は弟も私も公務員となったことで、国や地域に貢献する仕事についた私たちを誇りに思ってくれていた。(なにより両祖父母は全員公務員だった)

だから、言えなかったのだ。

いや、嘘だ、転職を決めたあとに思い出した。

「やばい、言ってない」

私は「やりたいことは即行動、自分のことは自分で決めて自分で責任を取る」が信条なので、こういうミスが起こったわけだ。

ステップ1:パパに言ってみた

まず、父に伝えてみた。

なぜかというと、母はショックを受けると文字通りかなりわかりやすくショックを受け体調をこわす癖があったので、とりあえずワンクッション置こうと思ったのだ。

転職が決まり、恐る恐る父に電話した。

い「ねぇ、ちょっと話があるんやけど」
パ「なに。変なこと言うなよ」
い「いや変ではない、まじめなやつ」
パ「あ?」
い「公務員やめた」
パ「はぁあああああああ」(クソでかため息)
い「ごめんて、〜〜〜で、〜〜〜だったから〜〜〜(説明)」
パ「なーんでお前はそんなブッとんだ人生なんだよ」
い「えへへ」
パ「ほめてないから。もぉ〜ママ倒れるぞ〜」

公務員をやめただけで「ブッとんだ人生」扱いはたまげたが、田舎の人間は今でもそういうもんなのだ。

母の体調と笑顔を一番に考える父によって、母への報告は父が隣でゆっくり話を聴けるタイミングを見計らうということで、GW中となった。

ステップ2:パパがママに言っちゃった

GWがきて、私は小池都知事の言いつけをしっかり守り、一歩も外に出ることなく、むしろベッドの上をも動かず、YouTubeを見るかTikTokを見るかの2択で廃用症候群目前の数日間を過ごしていた。

父からGoサインが出たら母に電話しようと思っていたが、なんと向こうから電話が来た。

マ「ちょっとぉっ!ことちゃん(家族にはそう呼ばれている)!どういうことなのぉっ!?」

どうやら父が母に言ったようだ。

い「あぁ〜、じゃ、説明するね」

心の準備はできていなかったが、散々いろいろな人に伝えてきたからスラスラ出てきた。

・同期がうつで辞めたこと

・産業保健という世界を知ったこと

・今働かせてもらっているベンチャー企業はとても温かいこと

・仕事が楽しくて仕方がないこと

1時間ほど話しただろうか。

マ「まぁ、一応、わかった。とりあえず元気でやってんのね」

意外とあっさり、その時は終わった。

なんだ、心配して損したな…

とりあえず両親に嘘をついていた時間が終わり肩の荷が降りた。

そう思って3日が経った今日、また母から電話がきた。

ステップ3:母の日の薔薇のリースが紐解いた母の本音

マ「ありがとう、届いたよお花。」

母の日は日曜日だというのに、日時指定を忘れていたから今日届いたようなのだ。

い「ありゃ、届いちゃったんだ。じゃあ、いつもありがとうってことで。花など送ってみました」
マ「ありがとうね。で、聞きたいことがあるの」
い「なに?転職のこと?」
マ「うん、あの、保健師なんだよね?」
い「はい?」

ここから、母は私が学生の時どれだけ楽しそうに健康教育の準備をしていたか、最初の職場である保健所で出会った子どもたちの可愛さを語っていたかや、うまくいかない担当ケースの話を悩みすぎて食卓で泣きながら母に相談したこと、酔うと行政で保健師が持てる役割について熱心に(偉そうに)語っていたことなどを話してくれた。

マ「だからさ、ママはことちゃんが保健師をしているときが一番楽しそうだと思ってたから、保健師であることに変わりはないのか、それをこないだ聞き忘れちゃって、心配だったのよ。だってママ、『べんちゃー』が何か、わからないんだもん。」

なるほど。

私は26年も育ててもらいながら、母のことを全く理解していなかったのだ。

母が悲しむのは「公務員をやめたから」だと思っていた。

母は私が大好きな「保健師」の仕事を手放してしまうことに悲しんでくれる人だったのだ。

この後私は、母に説明不足だったことを謝罪し、今の会社で私がどれだけ保健師としてやりがいを感じているかや、産業保健という仕事について説明した。

それを知った母は「あぁよかった〜」と何度もいいながら、

自分の働いている保育園の可愛い子どもたちのエピソードや、面白い先生たちの話で1時間以上のマシンガントークを展開し、無事私は電話を切ることができたのだった。

まとめ

今回は恥ずかしながら私の失敗談になってしまったが、やはり親というのはすごいもので、親の心子知らずということわざは本当のようだ。

私は今日、母のすごさというのを知った。この人は永遠に私の「すごい人」で「無条件の理解者」だ。

今年の母の日は5月10日の日曜日。

母が住む私の実家の玄関には私が送った薔薇のリースが飾られ、もうすぐ私が昨日送った、「産業保健の楽しさ」を書き連ねた無駄に厚い封筒が届くことだろう。

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追伸

今回の一件で一番の心労が生じた父であるが、さきほどお礼と「パパ大好きだよ」の愛溢れるLINEをしたところ「了解」の2文字でのみ返信された。

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父の無愛想が最近結婚した弟に遺伝していないことを祈るばかりである。

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