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産業保健ベンチャーで働いている保健師の私が「産業保健師」を名乗らない理由

こんにちは!いわきりです。

私は保健師として4年間働き、現在は産業保健ベンチャーのカスタマーサクセス部門で働いています。


産業保健がやりたくてこの会社に拾ってもらった保健師ですが、私はどの産業保健コミュニティでも「私は産業保健師ではありません」とおことわりした上で、参加させていただいています。

今回はその理由を書き連ねていきます。

理由1:私はCS(カスタマーサクセス)だから

もうこれに尽きるんですが。

弊社は産業医に関する業務や、オンラインセミナー、ストレスチェックなどを主な事業としてやっている会社です。

私たちが目指すものは「人財保全」という言葉に集約されています。

企業が働く人を守り、はたらく人が企業をまわす。その「健康にはたらく状態」を提供する仕事です。

そのために産業医の先生方にどう動いていただくか。企業にとって「産業保健に投資した意味があった」と思っていただけるか。

カスタマーサクセス部では、産業医の先生方の「産業医業務外」部分を代行したり、CSが人事労務担当者の「産業保健業務めんどくさい」を請け負います。

これにより、産業医の先生方にはより産業医としての仕事に専念していただきつつ、人事労務担当者の業務を軽減しながらその間の潤滑油となり、使いやすい産業保健を提供し続ける。

結果として、「企業において人財が保たれる状態が全うされる」

私はこのカスタマーサクセス部に所属し、CSとして働いています。

企業訪問はいたしますが、保健師業務ではありません。あくまでCSとして。

新人CSとして、産業保健に携わるという貴重な経験をしている途中なのです。

保健師という医療職経験があるからこそ、産業医の先生方との共通言語があることは私の結構な強みにはなっているんですけどね。

理由2:保健師じゃない自分が欲しかった

私は保健師という仕事が大好きです。

中学3年のときにこの仕事に出会い、憧れの保健師となって働いた4年間は本当に楽しかった。

今でもありがたいことに沢山の保健師さんたちとお話させていただいていて、その度にとてもワクワクします。

こんなに楽しい仕事だから、将来、「もう関東でやりきったわ」と思えたら、私を育ててくれた大好きな宮崎の母校に帰って恩返ししたい。保健師学生を育てる側に回りたい。と、ずっと考えてきました。

でも、働きながら、自信を持って学生たちに保健師になったらいいよ!と言えなくなっている自分がいたのです。

なぜか。

上京した私の趣味は飲み歩きでした。(急になに)

上野の高架下や新宿、赤坂や六本木に西麻布。

少ない給料から毎月2回、飲み屋を渡り歩いて、カウンターの隣に座った人たちと交わす会話は新しい発見の連続でした。

同じ歳なのに起業して新しいプロダクトを生み出し続けていたり、海外を転々としながら働いていたり、海外の有名大学を数年休学し続けてアプリ開発していたり、2つの会社を経営しながらサラリーマンしてみたり、30歳でリタイアしてみてたり。

なんだか面白い働き方の人たちに次々と出会いました。

専門職という「食いっぱぐれない切符」を手に入れた私は、自分の世界がそこだけだと思い込んで、自分で自分の世界を狭めていなかったか。

一回保健師やめてみたら、違う世界が見えるかも。

いろんな世界を、いろんな立場でみた上で、

学生に保健師の魅力を伝えたい。

そう思って、私は「保健師」としてお給料をもらうことを辞めてみることにしたのです。

保健師じゃなくなってみて思うこと

あ、いや、資格を放棄したわけではないですし、「保健師Youtuber」なんて名乗っちゃっているし、保健師ではあるのですが(汗)

でも、いち社員として会社の方向性や事業を考えたり、広報をやってみたり、営業してみたりすると、保健師の時に見えてこなかった世界が一気に広がるのを感じています。

カスタマーサクセスはもちろん、マーケティングやWebライティング、プログラミングも、この状況にならなければ学ばなかったこと、開かなかった書籍たちです。

しかも、面白いことにそれらは保健師業務に変換したり、応用して考えることもできるのです。

例えばこんなふうに。


保健師の世界が狭い世界だと言いたいわけではありません。保健師という仕事は母子や高齢者、感染症など分野はさることながら、生きる全ての人々に関わる広くて深い世界です。

だからこそ、全く違う場所から「保健師」を見てみると新しい発見がある。

結局、私はどこまでいっても保健師から逃れられないようです。


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