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女性が生きやすい世の中になるために私ができること

3月8日は国際女性デー(ミモザの日)。イタリアではこの日、男性が感謝の気持ちを込めて女性にミモザの花を贈るのだそう。ミモザの花言葉には「感謝」「思いやり」などがある。

日本でも「思いやりと感謝」があれば、もっと女性が生きやすくなるのに…とよく思う。今回は、私がまだママになったばかりの頃のエピソードをお伝えしたい。

イクメン扱いされていた夫

高校生の息子が赤ちゃんの頃、私は専業主婦でいわゆるワンオペ育児をしていた。夫も家にいるときは手伝おうとはしてくれたが、あくまでも「手伝い」というスタンス。お風呂は入れられてもおむつ替えはできない、機嫌がいいときには遊ぶけれども泣き出したら私に丸投げ。

にもかかわらず「仕事が忙しいのに、育児も手伝うなんてえらいわね」「旦那さん、やさしいね」と、親世代や友人からは「イクメン」扱いされていて、本人もまんざらでもない様子。私は納得いかなかった。けれども、当時は「どの家庭もそんなものなのだろう。専業主婦なんだから私が頑張ればいいだけ」と、不満を感じながらもそう自分に言い聞かせていた。

身内から理解されないワンオペ育児のつらさ

実家に帰省すれば、母が息子の面倒を見てくれたけれども、近い距離に住んでいたわけではない。そんなに頻繁には頼れなかったし、田舎なので一人で出かけることもできず、結局実家で過ごすだけだった。

平日は自宅でずっと一人で子育てし、週末は夫と息子の3人で出かける日々。一人で出かけられたのは、産後から半年経って美容院に行ったときが初めてだった。

育児を投げ出したいわけじゃない。息子だって可愛い。それでも一人になる時間がほしい。夫に話しても「週末は手伝っているし、一緒に出かけているのに何が不満なの?」と言わんばかりの口調で、私の気持ちは理解してもらえなかった。

それならば一時保育に預けて、少しでも自分の時間を持ちたいと伝えたら「そんなことしたら息子が可哀想だろ。お金もかかるのに」と、私のつらさは完全に置き去り。
母に相談すると「まだ赤ちゃんなのに可哀想。なにを贅沢なことを言っているの」とたしなめられた。
夫からも母からも、私が一人の時間を持つことは罪であるかのように言われ、心の糸はぷつんと切れた。つらくても、自分でなんとかしなければならないのが育児なのか…心に残ったのは虚しさだけ。
「母親なんだから育児するのは当たり前。預けるなんておかしい」と身内から責められるだけで、感謝や思いやりは微塵もなかった。

ぷつんと切れた糸は戻らない

それから16年近くたった今でも、この出来事は忘れていない。糸が切れたと自分でもハッキリとわかったあの瞬間を一生忘れることはないだろう。一度切れてしまった糸は戻らないのだから。もちろんほかにも恨み言はあるし、それらも覚えている。

自分がかつて言われてきたことは、令和の時代ではもう通用しないと思いつつも、まだ「育児や家事は母親がやって当たり前」という意識は根強く残っているなと感じる。今の子育て世代には悪しき考えを受け継いでほしくない。それなのに現実は…

私にできることは、夫や母のような人が昭和時代の育児論を押し付けようとしたら、全力で否定すること。子育て世代を追い詰めるような発言はしないこと。困っているママやパパがいたら全力で応援すること。
あとはライターとして子育ての現状を訴えたり、整理収納アドバイザーとして家事が楽になるサポートをしたりすることも続けていきたい。

家事も育児もお互いに感謝と思いやりの気持ちを持って、みんなで協力していくもの。これが当たり前の世の中になってほしいと切に願う。そうでなければ、いつまでたっても女性が生きやすくなることはないだろう。


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