見出し画像

かえりみちのおとのはなし

画像1

画像2

朝でも昼でも夕方でも夜でも時間は関係なく、また、1人でも誰かと一緒でも人数も関係なく、そして、近くのスーパーであろうが遠くのおでかけだろうが場所も関係ないのだけれど、いつでもどこでも「その時」の”帰る場所”に向かうときだけに響く音がとても好きで、聞こえると、ふふっとなる。「聞こえると」と書いたけれど、自分が無意識に聞こえてきたときが「聞こえる時」であり、その音が聞こえる時というのは、「帰り道」だけなので私の中では”帰り道にきこえる音”としているのだけれど文章って難しい。(なので絵にもしてみたけれど、それも100%は伝えられず)
初めて「帰り道の音だ」と思ったのは、小さい頃に母と、祖父祖母のお家から帰る帰り道。持たせてくれた物とか、帰ってからすぐ食べれるお惣菜とか、紙袋がカシャ。クシャ。と当たる音とテク、トコ、と足音。当時は砂利道もよくあったので、砂利道とコンクリートでの音。
たぶん、荷物もちょっと重かったりして、ちゃんと歩いている気持ちだったけれど、足が地面に擦れ気味だったのかも。疲れているけれど、この音は大好きで、よく、「帰り道の音がまたする」と話したけれど母はなんて答えてたかな。

ただ、この音は、こころがきゅっ。となることも一緒に思い出されて要注意事項でもあり、それはというと、
私はあまりおでかけがすきではなくて、ただただつかれるだけ…と思っている娘だったので、始終ムスリ。としていたし、母からの受け答えもムスムスしていたし。私がもし、この様子を「見て」いたらとても嫌な子だなあ。と思うの間違いなし。なのだけれど、本当に、お出かけがすきではなくて。近くのスーパーすら一緒にいきたくなくて。思い出せば思い出すほど、母、ほんとうにあのときはごめん。と下を向いてしまう。
大学の頃に、このままでは確実にいつか「後悔する」と思って、一緒にでかけるときは、気をつけるようにしたけれど、その気をつける、はどうだったかなんて自分にはわからず、思い出されるのは、ムスムスの受け答えばかりの10代の自分。
もっとにこにこでいれればよかったのに。母もつらかっただろうな、つまらなかっただろうな。と思わずにはいられなくて、ああ。これは、もっと自分が歳をとって、直接ごめんね、も言えなくなったとき、とても、きついだろうなあ。とただただ思う。こういう蓋が、ときどきぱかり、と開く。
好きな足音なのに、下を向きたくなる思い出も一緒に蘇るなんてなあ。と、しょうがないね。自分がやってきたことだもんね。と思いながら、1人の帰り道の時はとくにぬぬぬ。となりながら聞く。
そうね。誰かと一緒の時に聞くほうが、ただただ良い音、と聞けるかも。
ただいまー。

画像3

なんだか反省文みたいになってしまったので、おいしかったセブンイレブンのとろ生かぼちゃプリンも置いておきますね。