START ME UP!
START ME UP!
さあ始めよう!見たことない場所へ。 本日、最終の出勤日。25年務めた会社を先日ついに退社しました。今までの思い出や、思い入れのある同僚がまだ残っていて後ろ髪をひかれるおもいもありますが、START ME UP!ここから始まる日々に期待しかない心境です。
会社って何だったんだろうか?
会社っていったい何だったんだろうか?今まで必死にしがみつき、自分の考えを押し殺してでも会社の利益になればと思い、突っ走て来た。もちろんそれに見合う報酬をいただけていてたし、不満ばかりではなかった。むしろ自分のいた会社は世の中的にはいい会社だったのかもしれない。ただし、自分の人生を大きく預ける場所だということは誤解だったように思う。ワークライフバランスって言葉は嫌いだ、大体が仕事をさぼりたいだけの人の口実に使われているだけだから。仕事は死ぬまでしたいし、手を抜きたいわけではない。体質はいわゆる体のコアからブラック体質。娘に社畜と呼ばれて上等だと思っていた。
この25年で急激に時代は移り変わり、今一番に力を持っているのは実は3年目くらいに若手社員なのでは?という錯覚さえ覚える。上司はパワハラ、セクハラという言葉におびえ、間違っていること訂正することすら躊躇している。そんな会社に一体何の意味があるのだろうか?果たして、大きく世の中へのベネフィットはあるにせよ、人数分の効率を上げているといえるのであろうか?会社というつながりよりは個人事業主の集合体のほうがどれだけアウトプットが多いのでは?と考えている。
会社を飛び出す覚悟
きっかけはひょんなことだ。人事異動。横並びの方と一緒に呼ばれて、あなたとあなたは「チェンジです。」??「チェンジ?」場末のキャバクラでもあるまいし、「チェンジ」って言葉に妙に引っかかってしまった。この5年ECというなかなか実態のつかめないものに、悪戦苦闘の毎日だった。ブラック体質もそのまま、会社に13時間以上居座っていた時期もあった。結果が少し見え始めて、仕組みもできあがって、きたかな?っていうタイミングだった。上層部にとってはまたとない機会だったのかもしれないが、「チェンジ」にはならない。「チェンジ」であれば、もうひと世代下の後輩に「バトンタッチ」が正解だと考えていた。なので飲み込むことはできなかった、配属先にもその分野を長く担当していたちょっとだけ下の後輩も存在したし、そこでまた蓋になるのはまっぴらごめんだった。薄々は考えていた事ではあったが、覚悟がなかった、会社を飛び出すっていうこと。条件が揃いすぎていて、自然に辞表を手に代表の机の前に立っていた。不思議なくらいに自然に。多分僕自身の中にはすでにその覚悟があったということなんだろうか。
そして旅立ち
辞表を提出してから3か月以上時間が必要だった、引継ぎとは名ばかりで、次へ向けた準備期間としてフルに活用させてもらった。転職活動も、並行して起業への準備も。転職に至っては、当初考えていたより厳しいものだった。今になって思うが、必要なわけがない。アラフィフで前職でも中途半端に役職者だった人間は僕が生活圏にしている地方でははまるポジションがない。同じスキルであればより若い人を採用したいだろうし、僕的にも年収を大きく下げてまで会社に属するメリットを感じることはない。なので起業へ向け動くしか方法がなかったのかもしれない。
出会いも突然に。
そんな煮え切らない状況が続き、精神的にもかなり厳しくなってきたときだった。当時あまり話したこともなかった中学の同級生。20数期を迎える創業社長さん。FBで学生向けに企業についてセミナーをやっていたのを見て、アーカイブの動画を見たのがきっかけ、「すごくためになったよ!」というコメントを機に今度会おうになり、だったら企業したら、何なら手伝うし。??一体僕の何を見て、そう感じてくれたのかはわからないが、転職活動で必要とされない危機感の中、「やってみたらいいじゃん!」って言われると。そうかな?やってみようかな?になるのも必然だったのかもしれない。
そして創業の時
いつかやってみたかった。でも自身もコネもない。どうせいつか死ぬ時が来る。その時にやらなかったことを後悔したくはない。ただそれだけだ。いいんじゃない?やってみないとわからないこのご時世だしね。個人が隙間を縫える環境にもなっている。そう。
START ME UP!
やってやろうじゃないですか!会社に残っている後輩たちの為にも僕が一人で何とかやて見せることが、勇気を与えるはず。あんな生産効率の悪い環境が当たり前でないことを証明してやろうと。
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