令和のボクたちがユダヤ人の迫害から学ぶこと

ヒトラーがユダヤ人を大量虐殺したアウシュビッツ強制収容所にて

おはようございます。
虎徹社長です。
最近は読書の時間増えました。
オーディオブックで本を聴くことも可能になったのでジョギングとか運転しながらでも本を読めるのがいいなと。

ということで読んだ本のレビューなんかも良いインプットとアウトプットになると思うのでやってみよ〜ってのが今回の記事の趣旨です。

で記念すべき第1回目が夜と霧。
重たい。。

知ってますか?
ビクトルフランクルというユダヤ人の心理学専門の医師がアウシュビッツ強制収容所に入れられた時のことを赤裸々に書きつつ自身や周りの被収容者と監視人たちの心理などについても触れた本です。
なぜこの時期にボクがこれを読んだのかというとコロナで会社が大変だからです。
大変と言っても世の中には自分が想像を絶するような環境の中で、それでも強く軸を持って生き抜いた人がいるという事実を知りたかったから。
では「夜と霧」のレビューいきます。

収監されてからの絶望
ただユダヤ人というだけで収容されたわけです。
逆らっても病気になっても働かなくてもガス室行き。
ガス室は死刑。
明日は我が身、というのがこんなにダイレクトに響く環境はないです。
また環境は雪が積もる季節。
着るものも寝具もままならない中で常に極寒に耐えながら。
食事は1日に1回。ひとかけらのパンと味のない薄いスープ。
カポーと言われる監視者からは理不尽に殴られ罵られる毎日。
ボクが思うのはそんな環境なら人は容易に絶望や諦めを感じると思っていました。
だっていつでられるか、いや、今日死ぬかもしれない極限の環境だからです。
その中にあって大多数が死んだ魚のように廃人になり、事実として大半がなくなりました。
しかし一部の生き残った人々は決して諦めることをしなかった。
それは根性論ではなくこの環境に何らかの意味づけをして目的を明確にしていたのです。
著者は自らが心理学者だということもありこの環境下で人の精神がどのように移り変わるのかを観察することに価値を見出していました。
またあるものは自分が苦しみを受けた分だけ数キロ離れたところにいる女性の収容所にいる妻が受ける苦しみを代替わりしていると意味づけていました。
人はどんな環境であれ結局捉え方を決めるのは自分次第であるというとを極限を経験した人の重い言葉として感じることができたのです。

看守の心理
アウシュビッツの管理者は上層部こそナチスの人間がいましたが実際に現場を監視するほどの人数はいませんでした。
そこで被収容者であるユダヤ人の中から選別したんです。
カポーと呼ばれる人間でここに選ばれることはある意味ラッキーでした。
なぜなら被収容者の立場から収容者の立場になるわけですから十分な食事や環境が与えられたわけです。
この本にはナチスの監視者よりもむしろこのカポーの残虐な行為によって命を落とした人間は多かったと記されています。
カポー選別の際に基準となったのが残忍性です。
フランクルは人間の中には一定数強烈に残忍な人間がいると結論付けています。
カポーはドイツ人ではなくユダヤ人です!
また逆にそんな立場にありながら最後の最後まで被収容者たちに対して人間らしく優しさで接した人もいた。
人間はその立場や環境に左右されることなく自らの生き方を選択することができる。というのが結論。


解放されてからの苦しみ
この本を読んで非常にショッキングだったのは終戦でごくわずかの生き残った人たちが解放された時の心理。
万歳するほどに喜んだのかというと多くの被収容者がそうではなかった。
現実社会に戻った後すでに家族は全員なくなっている現実を目の当たりにしたり、これだけひどい目にあったのだからちょっとくらいの悪行は許されるはずだと犯罪に手を染めるものも多かったそうです。
人間は肉体的な苦しみよりもこうした精神的な苦しみがより辛いものとしてのしかかることを記述されています。

まとめ
こうした経験は想像を絶するものなので軽々しく理解したつもりになるのは違う。
だけど気づいたこととしては人間はどれだけ理不尽で苦しみの環境に身を置かざるを得なくなたとしてもその精神活動においては自分で意思決定することができる一面を持つということ。
これからの人生、辛いことや悲しいこともたくさんあるでしょうけど一つ一つきちんと乗り越え積み重ねていきたいと思うのでした。

今日も素敵な1日を。
バイバイ!

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