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あーんとゆーん

 会議で遅くなった。
 家に帰ると長男(8歳)と長女(4歳)がシシリアンライスをつついている。次男(5歳)は夕食を早々に食べ終え寝ていた。
 風呂から上がって娘の食事を手伝った。たたみにくいレタスをスプーンに載せて口に運ぶ。娘は小さな口をあーんと開けて頬張る。米を運ぶ。あーんと頬張る。挽肉を運ぶ。あーんと頬張る。始終ニコニコしている。僕も笑う。おいしいねと笑う。あーんの口が一緒だったと笑う。
 食べ終わったら娘の歯を磨く。おこめみたいにキラキラだと言って磨く。娘はときどき、意地悪して口をすぼめる。僕があーんしてくださいと言うと、娘はいひひと笑ってあーんしてくれる。
 歯磨きを終え、娘を抱っこして二階の寝室に連れていく。娘が『ノンタンおやすみなさい』を読んでという。いっしょの布団に入り、くっついて寝っ転がり、『ノンタンおやすみなさい』を二人でのぞき込みながら読む。ノンタンがびったーんと転んだりバッシャーンと水たまりに突っ込んだりする。5年前の長男はなぜだかこのシーンが嫌いだったけれど、娘は気にしない。
 読み終えると娘は「おりて」と言った。ちょっと哀しいけれど、僕の時間は終わり。娘は最後に妻を待つ。きっとキラキラした目で待っている。僕はその顔を想像しながら一階に降りる。

☆ ☆ ☆

 今日の鹿児島は少し寒くて、初夏より春にまだ引っ張られている。
 先週末に訪れた公園ではあやめが咲き始めていた。優雅なたたずまいだ。
 あやめとよく似た花に杜若かきつばたがある。見分け方として生えている場所をあげられるくらいよく似ている。生えた土が乾燥していたらあやめ。水辺なら杜若。

 杜若といえば伊勢物語だ。在原業平が京に残した妻も杜若のごときたおやかな女性だったのかしらん。

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

『伊勢物語』9段

その杜若、俳諧ではこんな風に詠まれたこともある。

雨の日や門提げて行くかきつばた

伊藤信徳『俳諧一橋』

 雨の日は小野小町でなくても物憂い。玄関先を眺めるでもなく眺めている。と、門のあたりを誰かが通る。動きに目が引かれる。通る誰かより、その人が手に提げたかきつばたに目が行く。花弁を湿らせ項垂れる深紫。人の歩みに合わせてゆーんゆーんと頭を揺らしている。
 雨と杜若。そんな詩情溢れる組み合わせを家の中から見つけてしまっている。信徳、ちょっと嬉しかったんだろう、たぶん。
 

令和4年4月19日(火)

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