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7月22日(木) 慈円の鵜飼舟

 ほととぎすと五月雨の時期が終わります。夏の葉が茂り暑さが本格化する夏が来ます。『新古今和歌集』の夏歌もようやく多様性を見せ始めました。

鵜飼舟あはれとぞ思ふもののふの八十宇治川の夕闇の空
               (新古今集 251 前大僧正慈円)

 この歌は三つのアイディアとそれを貫く一つの物語で構成されています。一つ一つ確認しましょう。

1,鵜飼舟あはれとぞ思ふ 

 鵜飼いは『万葉集』の時代から詠まれています。例えば大伴家持には

婦負川(めひがは)の早き瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴の緒は鵜川立ちけり(4023)
(婦負川の急流の瀬ごとに篝火をたいて、多くの官人達は鵜飼いをしているよ)

という歌がありました。

 鵜飼いの漁は夜行うもの。水面を照らす篝火は詩情を誘ったようですね。更に『源氏物語』薄雲巻でも

いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の蛍に見えまがふもをかし。

と描写されています。篝火は鵜飼舟の篝火です。明かりが明滅する様子は蛍に例えられるような風情を帯びていたのです。その後の明石の君と源氏の贈答を読むと憂いのニュアンスも含まれてきているようではありますが。

 『源氏物語』以後は「鵜河」が歌合の歌題にもなっていきます。そして『金葉和歌集』以後の勅撰集には数首ずつ鵜飼舟の歌が入集することになりました。中でも『千載和歌集』所収の崇徳院歌は

早瀬川水脈さかのぼる鵜飼舟まづこの世にもいかが苦しき(夏歌・205)
(早瀬川の水脈をさかのぼる鵜飼い船は、今行う殺生の報いを受ける来世での苦しさはもちろんのこと、まずはこの世でもどれほど苦しいことだろう)

と詠まれています。仏教的な価値観から鵜飼舟に強い憂いを読み取っています。趣深さを掘り下げていたそれまでの歌い方とは一線を画していると言えるでしょう。

2,もののふの八十宇治川の

 こちらの元ネタは有名と言って良いかもしれません。柿本人麻呂の

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行方知らずも(万葉集 264)
(宮に仕える無数の族の、氏。ああそのようなものだ、宇治川は。その宇治川の網代の木にただよい続ける波。そんな波のごとき我が人生は、まったく行く末のはかり難いことだよ)

という歌です。慈円はこの歌を取りこむことで自分の歌に不安感を付与します。自分の歌の鵜飼舟は単純に美しい風景として提出されるわけではないぞと予告しているようです。


3、夕闇の空

 結句で慈円はその場が夕闇であったことを明かします。
 「夕闇」は日は没し月はまだ上がらない間の闇のこと。仏教者にとって月は真如です。永久不変の真理です。それが無い空。無明です。
 鵜飼舟のたどり着く先。それは輪廻から解脱することのない苦しみの来世だったのです。慈円の「あはれ」は風景としての趣深さではありませんでした。それは崇徳院と同様に鵜飼舟の救われぬ未来を哀れんでいたのです。


(現代語訳)
鵜飼い船よ、
哀れだなあ。哀れだなあ。
お前の未来はあの歌われた
行く先不明の宇治川の波。
ほらこの空は夕闇だ。お前はきっと無明に溶けていく。


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