7月26日(月) 定家の鵜飼

久方の中なる川の鵜飼舟いかに契りて闇を待つらむ
   (新古今和歌集・夏・二五四・藤原定家朝臣)

 前回に続き今回も「鵜飼舟」の歌を取り上げました。定家の歌です。

 前回↓↓↓


 鵜飼はこの時代には既に定番の歌題になっています。さらに鮎を殺す鵜飼の来世を心配しちゃう系の詠み方は有力歌人が何人も詠んでいるんです。上の投稿で紹介した崇徳院や慈円の歌もそうです。慈円の歌が詠まれた『六百番歌合』では藤原有家も

後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟かな(二一九)
(来世での地獄の業火をちらちらとほのめかすように篝火が燃え焦がれて過ぎてゆく鵜飼舟よ)

と詠んでいます。他に藤原兼宗も。君ら鵜飼舟が嫌いなんか。

 きっと嫌いなのは鵜飼舟ではなくて殺生をする奴らなんでしょうけれど。


 そしてその『六百番歌合』で慈円の先の歌と番えられて負けたのが藤原定家の

をちこちにながめやかはす鵜飼舟闇を光の篝火の影(二二一)

という歌でした。

 その負けた定家が鮎を殺す鵜飼の来世を心配しちゃう系の歌を詠んで『新古今集』に入集させたのが今回の歌です。

 定家さんのやり口に何かを感じちゃいますね。


 では歌です。定家さんの歌は情報量が鬼畜レベルの多さです。定家さんですから仕方が無いんです。

 まず「久方の中なる」は「遙か遠いあの場所にあるもの」。それは何でしょう?
 ヒント①。「久方」にあるものです。
 ヒント②。「久方の」と言えば和歌では何にかかるでしょうか?
 ヒント③。その語と「川」とで川の固有名前になります。「久方の中なる川」で一つの存在を示します。

 さあ答えは!
 じゃじゃん!
 「桂」です!

 ってクイズか!連想クイズか定家さん!分かりにくいわ!

  さてもう一つ仕込みます定家さん。
 「久方の中なる」つまり月の中にいる人はどんなことを考えるでしょうか?
  答えは「光を求める」でした!なぜか!
 『古今集』に大歌人・伊勢の次の歌があるからです。

久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる(雑下・九六八)
(私がおりますのは、久方の月と言い習わすその月の中に生まれた桂の里ですので、桂が月光を浴びるように、中宮様の恩恵のみをお頼みするほかないように思います)

 この歌があるおかげで後の時代の人は「桂の地に居る=光を浴びる」という発想の共有ができていたんです。

 定家さんはその共有を逆手にとって疑問を投げかけました。あれえ?光あふれる桂川に生きる鵜飼さんたちい。どうして闇を待つことになっちゃってるのお?と。
 
 慈円さんの呪いかけるような調子にもゾクゾクしました。しかし定家さんの歌い方はもはや嫌みにすら聞こえますね。

《現代語訳》
遙か遠い
月を流れる桂川の
鵜飼舟たちよ
光あふれるその地に生きながら、お前達はどんな因縁を抱えて
地獄の闇を待っているというのだろうね

 



 



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