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3月31日 動物園の中学生と越前の庭

 1年強ぶりの動物園は、コロナの前を思い出すほどに人が多かった。ソーシャルディスタンスは2m。平均的なオオカンガルーの頭としっぽの先を直線で結ぶ程度、だそうだ。カンガルーたちは日曜のダメ親父のごとく地面に寝そべっていること多いので、あまりピンとは来ない。

 世界のサルコーナーが終わったあたりですれ違った二人組が印象に残った。中学生くらいの男の子と、その祖父と思しき男性だ。男の子は男性の左側(内側)を歩きつつ、他の客とすれ違う時には男性の左から前にすすっと移動する。まるで男の子が男性を誘導しているようで、男性の目が悪いのかな、なんて思ったりもした。

 だけどたぶん違う、と後で気づいた。
 僕らは正規の回り方をしていて、彼らは逆走している。
 男の子は生真面目に、僕らとのソーシャルディスタンスをキープしようとしたのだ、たぶん。祖父の左にいたままでは、すれ違う瞬間に僕らとの距離が2mを切る。そこで祖父の歩みを気にしつつ、彼が動いた。

 すれ違いざまに目礼を送る男の子のすまなさそうな表情を思い出す。何が理由で逆走していたのかはわからないけれど、彼は逆走していることに自覚的だったし、申し訳なさをも抱いていたようだった。それと同時に高齢の祖父を労わる視線を同時に持ち得ていた。
 あちこちに心を配る彼が、なんだかまぶしく思い出される。

祖父を抱き世間に頭を下げる君は君が思うよりちょっと尊い

☆ ☆ ☆

 花が盛りを終えつつあるようだ。今日近くで見上げた桜のほとんどは、すでに初夏の緑を見せ始めていた。

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 桜がこうなると、散った花弁、また花弁の散り敷いた庭などが賞美されることも増えてくる。『新古今和歌集』の歌を見る。

山里の庭よりほかの道もがな花散りぬやと人もこそ問へ(127 越前)

 「庭よりほかの道もがな」がまず難しい。

 「もがな」と願望を表現するのだから、今は「庭よりほかの道」とは「庭以外の道」だ。庭を通らなくてよい裏口を使ってほしいようだ。同時に現実には庭しかないことが分かる。「庭」に、何かある。

 さて、「もこそ」は「~すると大変だ」などと訳す。
 客が訪問すると、何が大変なのだろう。しかもその客は、「花は散ってしまいましたか」などと問うてくれる優しい人だ。

 つまりどんなに心優しく、落花をあわれんでくれるような風流をわきまえた人でも、我が家には出入りの動線が庭である以上、訪問されると困ってしまう、ということだ。
 何に困るか、分かるだろうか。ヒントはこの歌が、『新古今和歌集』の配列の中では「桜の歌」の半ばほどだということだ。桜と関係はある。

 答えは、あまりにも美しい落花、だ。その美しさは、新雪の清純さと変わらない。その落花を踏みにじって庭をやってくることを回避したい、という歌なのだ。

私は、私の住むこの山里に
庭以外の
我が家へ至る道が欲しい
あんまり美しく花が庭に散り敷いたから、花が散ったのですか、などと
誰かが尋ねてきたら、大変だ、この可憐な花が踏みにじられてしまう。


 


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