『玉葉集』を読むこと/新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。
本年は1年かけて『玉葉和歌集』の四季部を読んでいこうと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。
『玉葉和歌集』およびその撰者となった京極為兼についての説明を紹介します。和歌文学会出版企画委員会編『和歌のタイムライン』(三弥井書店 2021年)より。
「ことばにて心をよまむとすると、心のままに詞のにほひゆくとは、かはれる所あるにこそ」―京極為兼『為兼卿和歌抄』の一節。
第十四番目の勅撰集『玉葉和歌集』は「京極派」による撰集として知られる。「京極派」とは為兼の理念に従い、自らの心を重んじた新しいことばの表現による和歌を詠み出した歌人たちのグループのこと。最大の支持者で最高の実作者でもあったのが、持明院統の領袖・伏見院。春宮時代に二人は出会い、互いに切磋琢磨し、新しい和歌を詠むことを目指した。
天皇となった伏見は、永仁元年(一二九三)に勅撰集撰進を思い立つが、為兼の佐渡配流や様々なことが重なり計画は頓挫。その後、ほぼ二十年の時をへて、上皇になった伏見の再度の下命により、ようやく形となった。撰者はもちろん京極為兼。勅撰和歌集史上最大、二八〇〇首の入集数を誇り、他とはひと味違った清新な歌風を示して秀歌に富む。正和元年(一三一二)に総覧、翌年に最終的に完成、その直後に伏見院と為兼は出家。為兼はその後、僭上の振る舞いにより捕縛され土佐に配流、後に赦されるも再び京に戻ることはなかった。
革新的な和歌が並ぶ歌集と言って良い。それが『玉葉和歌集』です。成立は二条為世が撰んだ『新後撰和歌集』の九年後です。『和歌のタイムライン』でバビロン捕囚の三年後だということにも気がつきます。だから何だというわけでもないですが。
『玉葉和歌集』は昨年購入した和歌文学大系『玉葉和歌集 上』を底本といたします。『玉葉和歌集』は他に岩佐美代子『玉葉和歌集全注釈』や次田香澄『玉葉和歌集』(岩波文庫)などの注釈書がありますが、近場にありませんので閲覧していません。いずれ手に入れたいとは思っています。
『玉葉和歌集』を選んだのは和歌文学大系の『玉葉和歌集』が手に入ったからという理由が一番です。それに加えて『新古今和歌集』以後の和歌史について勉強したいと考えたからでもあります。
情報が少ないので不安な船出となりますが頑張ってみようと思います。
それでは今年もどうぞよろしくお願いします。