#1 春はあけぼの

どうも、綴人です。

今回から、本編です。

とはいえ、今回は、清少納言の感性についてのお話。

「春はあけぼの」は『枕草子』の初段として有名ですね。最近は小学校でも国語の教科書に掲載されています。

中学校、高校でも掲載されていますが、皆さん、この書き出しについて、どう思いますか?

あけぼの、とは夜明け頃のことを言います。確かに、春霞が立つ朝は風情があるものです。

春については、この「あけぼの」「だんだんと白くなっていく山際」「春霞」が挙げられています。

もし、学校でこの段を読みながら、「昔の人はこういうのを美しいと思っていたんだね」とか習っていたら、ちょっとストップしてください。

確かにそうかもしれませんが、今も昔も春の代名詞は「花」です。梅や桜なんです。それが書かれていないって、どういうことなんでしょうか?

前回も少しお話しましたが、この「春はあけぼの」段だけは、『枕草子』の初段であることがほぼ確実とされています。

一番最初に、風情があると思うものを挙げておきながら、そこに、万人受けする「花」を書かない。ここに、清少納言の感性というか、皆をこの作品に釘付けにする仕掛けがあるのだと思います。

先程書いた通り、春霞が立つ朝は風情があるもの、これは今も昔も変わりません。でも、「春は」と書き出されて、当然「花」を連想した当時の読者は、「あけぼの」と裏切られて、「あぁ、確かになぁ」と納得させられてしまうのです。

この意外性こそが清少納言の武器だったと思われてなりません。

意外でありながら、相手を納得させる、感嘆させる、時には驚かせる。

どれも、現代人が求めて止まない雑談力、コミュニケーション力のように思います。


今回はこの辺りで。

また、機会がありましたら。

それでは、よい一日を。


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