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誰にも言ってない話

自分の父と母が別居してること。親しい友達にも言えてない。

父と母は自分が物心ついた頃から、毎晩言い争いをしていた。言い争いというより醜い叫び合い。
母も父も目に見えて疲弊していた。父は深夜に帰宅することが当たり前で、決まってため息をつきながら寝室へ直行していたから、先生に父の日に際して似顔絵を描けと言われても無理な話だった。

最も鮮烈だったのは、夜中に尋常ではない母の悲鳴で飛び起きたとき。自分は多分小学校の高学年だったと思う。あわてて居間に向かうと、肩で息をする父と母がそこにいた。
助けて、と母は言いながら涙を流していた。

父は母の首を締めていた。これは後で聞いた話だけど、母は世界が白くなり、意識が消えかけていたらしい。自分を見た父はただ黙っていた。

これ以来も不穏な日々は当たり前に続いた。母は自分の二の腕や脚の写真を証拠として撮っていたし、しょっちゅう祖母や叔母と電話していた。
祖母は、思わず受話器を耳から離してしまうくらい声が大きい。
父は多くの借金をしていたこと。休日に仕事に出ると言った父の動向調査には、叔母も協力してくれていること。その答えがギャンブルだったこと。
母は自分や妹にもらすことはなかったが、自分は電話から聞こえた内容とただならぬ雰囲気でおおよそ分かっていたし、そうするのが正しいと思って知らないフリをしていた。

茨城県を見下している父方の祖父が、初めて、しかも唐突に大阪から家に来たときも、父について話し合うために来たに決まっていた。表面上は久しぶりの微笑ましい再会だったが、夜中に大人たちはコソコソ不穏な雰囲気で話し合っていた。(茨城にもショピングモールあるんやな〜、と祖父は言ってた)

小学校の小さなコミュニティでは、〇〇くんのお母さんはこんな人で、〇〇ちゃんはここに住んでて、と言ったある程度の家庭環境はみんなに共有される。もちろん、両親が離婚してるかどうも。
そのような子どもはほとんど異質な目で見られていた。その子は何も悪くないのに、言ってはいけないことをコソコソ話で教え合うように噂される。片親という事実は、いわゆる小学校に特有の、授業中に全員が振り返って自分を見てくる対象だった。

だから、仲がいい友達に〇〇(私)ちゃんのお父さんみたことないけど何で?と言われると、仕事で忙しいからと自分は答えるように努めていた。何となく、離婚だの親の喧嘩だのを人に言うのは恥ずかしいことのような気がしていた。それに、みんなから異質な目で見られたくなかった。

それから自分も他者と軋轢を生まずに周囲に溶け込む方法を会得していき、表面上は普通の幸せな家族だということにしていた。実際母は優しかったし、自分や妹のことを本当によく考えてくれていた。自分は周りの友達に、母や妹の面白いエピソードをたくさん話した。

相変わらず父は日付が回るころに帰って来てたし、もう何年も会話していなかった。驚くべきことに自分が大学受験するときも、そして国立に合格しても一切話さなかった。父は自分が通っている大学がどこなのか知っているのかさえ分からない。合格発表の夜も、いつも通り、ずっとそうしてきたように、家族3人でご飯を食べてお祝いしてもらった。父はその日も帰って来なかったが、自分は幸せだった。

母は正規雇用でないため経済的には父に頼っていたが、自分の中で父という存在はないものとして考えるようになっていた。一つ屋根の下にいながら、父は家族に一切興味を示さないようだったし、自分の姿を見ても全く話しかけてくれなかった。

自分が受験や入学準備であたふたしてる間に、実は、母は忙しい自分に気を遣って隠し事をしていた。

父と別居するということ。
しかし大荷物を移動させるとなると、隠し通すのは至難の業で、察するなと言われる方が難しかった。
母に聞くと単身赴任だと言ったが、それはあまりにも見え透いた嘘だった。自分も気が付かないうちに、父は家を出ていた。例のごとく、一言も話さなかった。妹もそうだった。

それから2年以上経ち、父宛に送った荷物は宛先不明で家に帰ってくるようになった。お盆や年末年始も音沙汰はなく、いまはどこに住んでいるかも分からない。どうでもいい、というのが正直な気持ちだった。

ここまで過去の話をつらつらと書いたのは、自分が可哀想だからでもなく、同情してほしいからでもない。自分は暴力を受けてもいないし、怒鳴られた覚えもないからマイナスがない。世間には父親からマイナスを受けている人がいるから、自分は本当に何も思わなかった。父に対する感情はただただ、無だった。

どうすればいいのか分からない、というのが曖昧だけど率直な答えだ。
今まで母というフィルターを通して父を見るしかなかったが、自分はもう成人した。
自分は父を本当の意味で知る必要はあるだろうか。少なくても、次に対面するときは病室で、というのはなるべく避けるべきだろう。

父と母は世間体をひどく気にしているから、おそらく離婚はしない。そうでなかったら、とっくの前に本当の他人になっているはずだった。
形式的には家族であるとすれば、自分には介護の義務があるらしい。
今の自分には到底無理、というのが正直なところだ。母に毎日父の悪口を聞かされてきたし、母を精神的にも肉体的にも傷つけた、という点では自分は父を憎んでいる。しかし、父は自分と妹を金銭面で育ててくれたということは分かっている。母はそのことは気にしなくていいと言ったが、自分はそうすべきでないことくらい分かる。

父の本質も住所も連絡先も分からない自分はどうしたら良いだろうか。このままでいいのだろうか。
自分は大学生だから、道筋を探そうと思えばできるはずだ。そうすべきと分かっていても、しようとすればするほど、父と母のあの光景や、母の疲弊した姿を思い出してしまう。
あと少し、背中を押してくれるきっかけがほしい。

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