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舞台『D.C.III~ダ・カーポIII~君と旅する時の魔法』その4 脚本編

最初に舞台化のお誘いをいただいてから一ヶ月ちょっと。
ようやく脚本を書ける段階に到達した。
ここで、舞台D.C.III(まだ副題は考えていない)という作品に課せられた目的について考えてみる。

舞台D.C.III チラシ裏面

パッと思い浮かんだのは、

・初めてD.C.IIIに触れる方に、D.C.IIIという作品が何であるか知ってもらう
・コアなファンを含む従来のD.C.IIIファンが満足する内容にする
・舞台を初めて観る人に、生のお芝居の良さを知ってもらう

という3点だ。

最初の2点は一見、両立不可能のように思えるが、この点に関しては特に問題を感じていなかった。
客層はどうだろうか? まるでD.C.シリーズに振れたことのない方、D.C.もしくはD.C.IIなら知ってるという方、最新作であるD.C.4だけ知っているという方、D.C.IIIをプレイしたことはある方、D.C.IIIガチ勢の方々。おそらく作品に対する距離感は千差万別だろう。
しかし、原作のメインライタである自分が書く以上、D.C.初心者にわかりづらいものにする気はまるで無かったし、D.C.IIIガチ勢のための……というかD.C.IIIに詳しければ詳しいほど驚くようなギミックをプロット段階で考えたつもりだった。
ちゃんと脚本に落とし込むことができれば(ここが重要なのだが)、満足してもらえるものになるだろう。た、多分……。

となると重要になってくるのは、3つ目の目標だ。
最近は2.5次元舞台も活発なので、観劇経験がある方も増えて来たとは思うが、D.C.IIIというタイトルに惹かれて劇場に足を運んできてくれる方々の何割かは、「観劇というもの自体が初だ」という初観劇勢であることが予想される。

東京や大阪などの都市部に住んでいる方々ならわかると思うが、ここ数年、コロナ禍によるダメージがあるとはいえ、都市部のあちこちに劇場があり、大小さまざまな劇団が毎週のように公演を打っている。
玉石混交ではあるが、同人誌界隈とはまた別の創作空間が白熱しており、2時間でお客を笑わせたり、泣かせたり、楽しませたりするためのノウハウやギミックが、映像作品とはまた違った進化で発展している。

『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』『サマータイムマシン・ブルース』『カメラを止めるな』などは、小劇場的なメソッド、ギミックを映像に持ち込んでヒットした作品だと個人的には感じている。

ここでいう「小劇場」というのは劇場の規模のことではない。小劇場から発展していったお芝居のジャンル「小劇場芝居」のことで、現在の2.5次元芝居にダイレクトで繋がっている。
舞台D.C.IIIも、その小劇場の楽しさを可能な限り詰め込んだ舞台にしたい。そう思いながら、僕は筆を執った。

脚本を書く上で大切なことのひとつに衣装がある。
どんな格好をしているかをぼかしたイメージ的な衣装で通す舞台もあるが、原作のある舞台なので、基本的には風見学園と風見鶏の制服を使う。
導入の初音島編を30分、本編となる風見鶏編を1時間半と考えて、プロローグが終わったところで映像に入ってもらい、その間に演者さんに着替えてもらうことにして、大枠はいいとして、細かいシーンではどうすべきか。
リッカとジルの旅装束は、制服の上から羽織れるものを用意してもらう。寝ているシャルルはどうする? 清隆視点である以上、二段ベッドの上に寝ている設定は無理だから、トイレで起きていたことにして、パジャマは? ダボダボのパジャマを制服の上から着ることでいけるだろうか?
耕助と四季は用意できる衣装の数の関係上、風見鶏からしか登場させられないが、それは特に問題ない。新聞部と非公式新聞部のやりとりだけで、十分、色濃くなるはずだ。
最後にエンドロールで、また風見学園の制服に着替えてもらって、エピローグ。
うん、衣装の流れは問題なさそうだ。

次にD.C.らしさ。
舞台であっても、この作品はD.C.だ。D.C.でなければならない。
D.C.らしさとは何だろう? もちろん題材や舞台となる場所、登場人物がD.C.IIIなのだから、D.C.であることは確定なわけだが、D.C.らしさを失ってしまっては、原作ファンに叩かれるだけだ。
ここでは、D.C.らしさというのはキャラ同士の軽快な掛け合い、と定義させてもらった。
登場人物たちが織り成す様々な掛け合いは、時に微笑ましく、時に心を引きつける。
ゲームと同じノリで掛け合いを描く必要性は高い。先述した小劇場的な楽しさにも通じるはずだ。ただ、留意しなければならないのは、これは尺の限られた舞台の脚本だということ。ゲームのように尺を気にせず、延々と終わらない天丼を繰り返すわけにはいかない。
だが、稽古の段階でカットはできる。
萎縮していてもしょうがないので、初稿段階では結果カットされることになろうとも、ノリはなるべく殺さずにキャラクタを動かそうという前提で書くことに決めた。
実際、演出・稽古の段階で多くの掛け合いは短縮された。
だが、書かずに最初からコンパクトにまとめるよりは、書いた上で後々カットする、という選択肢で正解だったことを、後々、知ることになる。

そして、悪役。
本作には悪役が登場する。
舞台が主人公視点である、ということは、「主人公(この場合、主演という意味ではない)=清隆役」であると同時に「清隆=観客」であるので、「主人公=観客」であるという図式が成立する。
つまり、作中視点とメタ視点が同時に存在していることになる。
となると、悪役は作中の登場人物の敵であると同時に、観客の敵でなければならない。
悪役は作中世界の消失を目論む。つまり、観客にとっての悪役は、作品そのものの消失を望んでいる、というダブルミーニングになる。「D.C.という作品(ひいては美少女ゲーム、恋愛ADV、ギャルゲーというコンテンツ)そのものの喪失」を観客は防がなければならない。

それから、葵のこと。
この作品のプロットをきちんと脚本として落とすために、きっちり解答を示してあげなければならないことがひとつあった。葵に関する設定だ。
ただ、原作本編では詳細は明かされていない。あくまでマクガフィン的なものであり、プロット的にも構成的にも特に明言する必要はないからだ。
ひょっとしたら雨野氏や愛羽氏には違う構想があったかもしれないが、今回は1950年代の英国の実在の事件と絡めて、前々から温めていた「その時代らしさ」を採用させてもらった。

あともうひとつ、大事なのはエトのことだ。
エトというのは、初代D.C.のうたまる、D.C.IIのはりまおに続くD.C.IIIのマスコットキャラクタで、風見鶏編にしか登場しない。
いつもシャルルと一緒におり、一見、何の動物かはわかりづらいが、トナカイということになっている。
風見鶏編を中心としたD.C.IIIを脚本化するなら、必要な存在ではあるが、実現の可否がわからず、エトを盛り込むべきか否か、少々、悩んだ。
が、前述したとおり僕は事前に劇団飛行船さんによる『スター☆トゥインクルプリキュア』のドリームステージを観ており、プルンスやフワがステージ上でどのように扱われていたかを知っていた。
だから、可能不可能は別として、まず脚本にエトの存在を盛り込むことにした。脱稿してから、劇団の方に聞いてみよう、と思った次第だ。
そして、これは盛り込んで大正解だった。プリキュアドリームステージを観てなかったら、最初の段階で諦めていたかも知れない。プリキュア観に行っておいて良かった、と心から思う。

細かいネタをあげたらキリがない。ここらで区切ろう。

かくして、脚本の初稿は、一ヶ月ちょっとで脱稿した。
だから、最初にお話をいただいてから二ヶ月半ほどで初稿は完成していたことになる。
もちろん、初稿の内容はプロット同様、上演版と大筋で変化はない。上演版と初稿との細かな違いは、また後のテーマの際に語ろうと思う。

初稿の分量は、シンプルテキストにして大体120KB程度。
ゲームのシナリオであれば10日もかからずに書き切れる量ではあるが、抱えていたメイン作業の合間に書かざるを得なかったので、三倍以上の期間を取らせてもらったというわけだ。

120KBだとドラマCDならばテンポよく読めば2時間程度の内容だが、舞台になるとそれ以上の時間がかかってしまう。
「演出さんに見てもらって、どういう風に削るか相談しなくては……」
その時点の僕は、呑気にそんな風に考えていた。

まさか、ここから加筆してシーンが増えることになるとは夢にも思ってなかったのである……。


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