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緊急投稿:コロナ禍の日本に「本当に」必要なもの

1 コロナに襲われて2年、状況に飲み込まれた日本

今、オミクロン株への感染者数の増加が日本のメディアを席巻している。第6波に至る現在まで、波ごとに増大し続ける感染者数。状況を悪くする要素としての新規感染者数の増加は、誰にとっても分かりやすい指標だ。

重症化率、死者数などは低くなっている、収束するのかしないのか、社会経済活動は回るのか、パンデミックは終わるのか、強毒化する最悪シナリオはあり得るのか。不安や不確実な要素が依然多く、世論は未だアナーキーだ。しかし、これらに対する是非について、ここで仔細には論じない。

2 事前想定を下回っているのに割れる国民

なぜなら、それら要素は事態に対応する本質ではないからだ。不安を煽るつもりはないが、そもそも、日本には、まだ最悪の事態が訪れていない。日本人の中で、今回のコロナによるパンデミック前に政府想定を読んだことのある人は、どれくらいいるだろうか。

【新型インフルエンザ等対策政府行動計画】(平成25年6月7日)

 国民の25%が、流行期間(約8週間)にピークを作りながら順次り患する。り患者は1週間から10 日間程度り患し、欠勤。り患した従業員の大部分は、一定の欠勤期間後、治癒し(免疫を得て)、職場に復帰する。

米国疾病予防管理センターの推計モデルを用いて、医療機関受診患者数は、約1,300 万人〜約2,500 万人と推計。

ピーク時(約2週間)に従業員が発症して欠勤する割合は、多く見積もって5%程度と考えられるが、従業員自身のり患のほか、むしろ家族の世話、看護等(学校・保育施設等の臨時休業や、一部の福祉サービ スの縮小、家庭での療養などによる)のため、出勤が困難となる者、不安により出勤しない者がいることを見込み、ピーク時(約2週間)には 従業員の最大40%程度が欠勤するケースが想定される。
【新型インフルエンザ等対策政府行動計画】(平成25年6月7日)

今回のコロナが、もしオミクロン株で終息したとしても、100年後の新型インフルエンザは今の10倍以上の威力があるかもしれない。あるいは、本当に最悪な状況はオミクロン株の次の波でやってくるのかもしれない。政府が想定していた最悪の被害規模からすれば、今の日本の状況であれば官も民も平然と対応するくらいの社会機能が備わっていなければならない。

ところが、今は全くそれができていない。経済を回すことが大事なのか、病床数を確保することが大切なのか、強い感染予防策を続けるべきなのか、高齢者と若者の関係はどうなのか。政策立案サイドも意見集約に手間取り、国民の考えは割れているように見受けられる。

3 福島原発事故から成長のない日本人の危機管理感覚

筆者を始め、東日本大震災では述べ約10万人の自衛官が災害派遣任務に従事した。私は航空自衛隊の災害派遣活動の中枢機能を担う司令部に派遣され、航空総隊司令官の指揮を支えるための幕僚として勤務していた。

そこでは、福島第一原子力発電所事故に対応するための空自の放水車の派遣を始め、米軍部隊の受け入れや、その最中におけるロシア軍機の領空接近などを間近に見ていた。

状況は刻々と変化する。今だからこそ過去を振り返れば、まるで一度読んだことのあるマンガのストーリーのごとくに、あの時にはこうなったんだよね、あれと、これがあって大変だったね、などと言うことができる。

しかし、まさにその瞬間を生きる人にとって、あの事故は完全に始めてのストーリーであって、一瞬先の未来もわからない緊迫した状況だった。本来の任務でなかったにも関わらず、指揮所の中で必死になって脳に汗をかく司令官の姿は一生忘れられない。また、救難ミッションを統括する航空支援集団司令官の、あの眼光凄まじい迫力は、まさにこの世の「鬼」であった。

それぞれの立場で、そして被災者の皆様全員が、あの時、必死で頑張っていた。その感覚は決して忘れられるものではない。

同時に、日本の国家としての事態対応には、反省すべき問題が多かったことが指摘されている。制度的裏付けのない、いわゆる「官邸5階」で総理および関係閣僚等、東京電力幹部らが集められ事故対応について指示し、混乱を招いたとされる。

これらは「福島原発事故と危機管理 ― 日米同盟協力の視点から(2012年9月 笹川平和財団)」に詳細が記載されている。日本側には「核セキュリティを含む危機管理の対策・措置について責任・権限が分散し、全ての活動を統括・指揮すべき機能を果たす一元的なシステムが事実上存在していなかった」とされる。

今回の日本のコロナ対応でも、全く同様の問題が生じているように感じられる。つまり、包括的な危機管理法体系(国家危機管理基本法、あるいは安全保障基本法)などに裏付けられた対応組織が整備されておらず、個別の法律(感染症法、インフルエンザ特措法)によって対応してしまっているのである。

4 縦割り官僚組織の弊害を助長するもの

そうなると、当然、組織は法律を所管する省庁が縦割りで動くことになり、総合調整が難しくなる。この総合調整というのは、単なる情報の共有のためにあるのではなく、複数の利害関係を何らかの形で収めていく機能だ。

例えばA省とB省と政治サイドが大切にしたいことは、それぞれで異なることも多いにあり得る為、国益に照らして最終決定していかなければならない。それが総合調整だ。したがって、危機対応で縦割りに良いことは一つもない。

日本の官僚は極めて優秀であることも同時に身にしみている。国家1種の選抜を受けてきた彼らは、凄まじく分析力と作文能力(答弁能力)に長けており、絶望的な仕事量でも省庁間調整を見事にこなす。今の「政府分科会」という形でも何とか意見を集約できているのは、実に厚労省や経産省などの官僚の努力の賜物なのだと思う。

しかし、どれ程までに官僚が優秀であっても、各省内の権限を超えるようなことを決めることはできないし、やったとしても非効率極まりない。したがって、今回のコロナ対応では、まさに「経済」なのか、「医療」なのか、行動の「自由」なのかについて意見が割れてしまっている。

内閣官房には危機管理担当機能が備わっているが、現状の人的戦力では有事における膨大な意思決定の為の政策調整は現実的でなく、総理・官房長官の国民向けアナウンスや、初動の対処に終始しているのが実情である。

ましてや、政治家個人の調整能力などを期待するべきものではない。代議士は民意の代弁者であって、複雑な状況に対応するよう訓練されている存在ではなく、代弁者としての最終決断が期待されているのだから。

私たち日本人は、東日本大震災で経験した恐れと不安を、忘れてしまったのか。何を改善してきたのであろうか。喉元過ぎれば・・なのか、というよりも、武士道に根ざした強靭な精神力が、今の不完全な状態をまでも飲み込んでしまっているのだろうか。

否、多くの日本人は決してそのような事は望んでいないはずだと信じたい。足りないのは、ただただ、方法論であると私は考えている。そして、その方法論は、実は軍事合理的な思考の中に「隠されて」いる。

5 「ミッション」ある「戦略」を実現する

東日本大震災で、短期間に約10万人を起動させた自衛隊。その数的規模は延べ人数であり、実際に前線に立った自衛官の直接的な数と同じとは言えないだろう。だが、私が外務省で日米安全保障に携わっていた当時、米国防省のとある高官がこの数字に驚愕していたのを目にしたことがある。

軍隊が軍事行動を起こす際に最初に行うことは、「任務の確認」と呼ばれるプロセスである。「任務」=「ミッション」であり、ミッションとは命がけで達成すべき目標となる。

そのミッションは、国益という最上位の優先目標から個別の部隊毎にブレイクダウンされ、最前線の指揮官は部下に対し、ミッション達成のために必要な時間的・資源的な制約を踏まえた行動オプションとして「命令」を発し、危険を顧みず「任務」にあたらせる。何をどこまでやれば、任務が完遂するかをしっかりと捉えることが、どのレベルのリーダーにも徹底される最初の手続きだ。

自衛隊が一挙に10万人を動員できたのは、国民の生命と財産を守るという明確なミッションがあり、それを実行するための基本的な仕組みが備わっていたからだ。それは組織としての「箱」が用意されていただけではなく、肝となる「方法論」に皆が精通していることが重要である。

このように、先の見えない不確実な「東日本大震災」「福島原発事故」であっても、大規模な行動を実施するためには、まず大きな目的意識の支えとなるミッションと、それを実行に移す方法が絶対に必要となる。

更に言えば、その大前提となる「戦略」が不可欠である。どのような任務を与えるかについて平素から分析を進め、人・物・金を割り当てておくことが国家としての責務だ。国家レベルで現在の問題点を直視し、平素からシナリオをじっくり真剣に捉え、どのように準備すべきかを淡々と考え、実行できる態勢を準備していく。

そして、この戦略は、ミッションと確実に同期されることが求められる。これにより活きた意味ある行動が産まれてくる。日本にはパンデミックに対応するための行動計画が策定されていたが、それが縦割り官僚の作文になっていなかっただろうか。

「戦略」を策定し、「ミッション」を明らかにしたら、そのミッションを達成するための行動オプション、そのオプションを決定するための価値観の見出しと、それらの国民レベルまでの共有と一体感の醸成ができなけばならない。その方法論は「状況判断」と呼ばれる。

6 「状況判断」プロトコルでコロナと戦う

危機的な状況では「100点は取れない」と言われる。このコロナ対応でも全くその通りで、未来がわからない以上は完全な回答が出せることはないし、事前にそれが正解かどうか知りようが無い。

そのことをサイエンスとして捉え、淡々と方法論に落とし込んだのが「状況判断」と呼ばれるプロセスだ。この一見、ありきたりなワードのように思える「状況判断」。しかし、このプロセスは米軍をはじめ、軍隊に共通して利用されており、想定外の事態に対応するための重要な手続きだ。短期間で約10万人を動員した自衛隊でも当然のよう活用されている。

「状況判断」の手続きに従えば、ミッションを明確にすることから始まり、「経済」か「医療」か行動の「自由」かを選択するための評価要素の選択、重み付けなどもプロセス中で片付いてしまう。まるで、危機における万能薬だ。

7 正しい道を選択するための絶対条件

具体的なあるべき手続きについて、コロナ発生初期における国家としてのコロナ対応バージョンで簡単に解説してみたい。

(1)ミッションは何か - 「任務の確認」

まず、日本国としての最大の目標を明確にするところから開始する。日本人の生命と財産を保護することが、国家の究極の存在意義である。では、生命と財産をどのように保護するのか。そのためには、ここで目的、目標及び手段の3要素を考える。

目的とは、コロナ対応によって得ようとする効果である。目標は、その目的達成のために具体的に達成すべき事項である。そして手段は、目標を達成するための方法だが、目標を達成するための条件、緊急度、制約事項などを考慮して定めていく。

まず目的は、国民の生命を守ることであり、財産を守ることである。では目標はどうか。国民の生命を守るということは、コロナによって亡くなる方を極限することであり、財産を守ることは、コロナの蔓延に起因して経済的に困窮する国民を極限することだ。

そしていかに目標を達成するかの方法について。毒性の強弱と感染力が不確実であるという制約があり、発生初期はワクチン・治療薬ともに存在しないという脅威度の高い第一期と設定し、緊急度の高さから当面の効果的な方策に絞る。具体的な方策は、国民の行動制限によって接触機会を極限する手段をとらざるをえない。

もちろん、この後の状況は変化していくことになり、制約事項等の変化に伴い、この「方法」は変わっていく。この時、目的・目標は変わらない。通常、軍隊で作戦計画を立てる際は、作戦時期を区切って状況変化に応じた手段を採用する。

この段階で、日本国内の状況を踏まえた上で、リーダーが国民に対してコロナ対応に関するインテンション(意図)に関するコミュニケーションをとり、日本国内におけるミッションへの共感を高めていく。具体的には、

① 演説を通じ、危機にある日本の「ミッション」について国民と共有する。
② 実行のための概略の方法を伝え、当面予想される事態推移や、それに対して今、国民にどのような努力を求めるのか、どうすれば当面の勝利になるかを伝える。
③ 状況の推移に応じ、国家機関が今後、何を決定していく可能性があるかも伝え、国家としての対応上の留意事項を明らかにしていく。例えば、コロナウィルスの毒性に関する評価によっては、強い制限を加えるための法律の制定をする事などだ。

(2)コロナという敵状を考察する - 「情報見積り」

さて、敵方のコロナのことは正直、良く分からない状況に置かれた日本。そこで、当該時点での幾つかの感染・被害パターンを算出し、その発生可能性を予測する活動を開始する。これは「情報見積り」と呼ばれる。

ここで注目して欲しいのは、達成すべきミッションが何なのか、という事は、敵方の状況が分からない中で定める、という事である。よく、情報がなければ何もできなくなる事があると思うが、不透明・不確実な情勢にあっては、そのような思考と行動の遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)は厳に戒められている。

ここで、国家的な危機に対応する全政府横断的な機能は、総理のインテンションの発出をトリガーとして各省庁の消去的権限争いを封じ込めるだけの強い権限を発動させる(現実には今の日本にないもの)。情報部門は、任務の確認以前から情報収集を連続的に継続し、ある一定のタイミングにおいて、その時点で最大限の情報分析結果を報告する。

情報見積りでは、コロナウィルスの広がりや被害規模についての状況を考え得るだけパターンとして描写する。パターンを形成する要素は、敵方(コロナウィルス)の目的、範囲、目標、時期、規模、要領である。自然災害や感染症の場合は、このうち目的、目標は自然の摂理による特性が用いられることになろう。

この活動は連続的に行われつつも、当該時点での妥当性を考慮して起こり得そうな感染パターンとして数案に絞り込み、順位付けをしておく。

(3)自分達の行動オプションを絞り込む - 「行動方針の案出」

敵方(コロナウィルス)の動向とは一旦切り離し、次に自分たちが取れる行動オプションを検討する段階に入る。ここで重要なのは、まだこの時点ではコロナのことを考えないことだ。あくまで、日本が当該時点で置かれた状況によって、ミッションを達成するために自分達はどういう行動をとることができるかをゼロベースで考えることだ。

具体的に行動オプションを列挙していく際には、

① 国家としての対応上の留意事項を念頭に置く。これは、より強制力の強い法律を作り国民の私権を強く制限すべきかどうか、ということである。この決定をするか否かで、取り得るオプションの幅が変わる為だ。

② いつ、どこに、何を、いかにを含ませて簡潔にオプションを列挙していく。例えば、 1-1) 当面1か月 1-2) 半年間、2-1) 全国を対象に 2-2) 人口集中エリアに、3-1) 国民全員 3-2) 高齢者に対する、4-1) 行動抑制の要請 4-2) 外出禁止 4-3) 全員検査、5-1) 感染症法により、5-2) 新型インフルエンザ特措法改正により、5-3) 新法制定により達成する、といった具合だ。これにより2×2×2×3×2=48通りの行動オプションが列挙される。

この中から、明らかに不当と認められるものや、検討する価値の少ないもの、目的を達成できそうにないもの、実現性がないもの、コスト(努力・予算)上厳しいものを排除し、整理することで数案に絞っていく。実際には、さらに多くの行動オプションと制約事項が入り混じる作業となる。

(4)シミュレーションにより勝敗を分ける評価軸を見出す - 「行動方針の分析」

ここで、例えば3つのコロナウィルスの影響パターンと、3つの行動オプションが出てきたとする。その場合、合計9通りの「戦いの様相」が出現することになる。

例えば、「当面1か月間、人口集中エリアの高齢者のみに対して外出禁止措置を取り、そのための新法を制定する」という行動オプションがあるが、それに対し、コロナウィルスは「世界では致死率が7%以上と観測され、日本全国でエアロゾルにより急速に拡大する」だとしよう。

ここで、わが方がとる行動オプションと敵方(コロナウィルス)の出方を掛け合わせて想像力を働かせる。そうすると、「1か月後には国民の1%に当たる13万人が罹患し、死者数が1万人弱となり、ワクチンがない現状において、半年で6万人の国民が死亡し東日本大震災の死亡・行方不明者の2倍となり、重症患者も激増して一般医療機能に大きな制約を伴う」という結果が見えてくる。国民の経済的困窮度についても、同様の考察を行う。

このような机上シミュレーション結果が、今回は9パターン出すことになる。そして、この描写を通じて明らかになる勝敗ポイントは、例えば①ワクチン・治療薬の入手、②死者数、③生活困窮者数、④行動制限の成否、⑤重症患者用の病床数の確保、などである。そして、例示したこれら①〜⑤は、行動オプションを最終選定する際に、順位付けする為の評価軸となる。

(5)評価軸を優劣判定するための全分野総合判定 - 「行動方針の検討」

ここからが国家としての総合調整機能が最も必要とされる局面である。それは、①〜⑤の行動オプションを順位付けするための評価軸のどれに重きを置くかを決めなければならないからである。

例えば、当面の緊急避難措置として、1位:死者数、2位:重症患者用の病床数確保、3位:行動制限の成否、4位:重症患者用の病床数の確保、5位:生活困窮者数、とされる。

これにより、「ミッションの確認」で発出されたリーダーのインテンションを踏まえ、この作戦の初期における決勝点を日本国民の死者数の極限とし、具体的な行動オプションを選択していくことになる。

この評価要素の順位付けは、実に難しい。軍事作戦においては、指揮官の作戦における勝敗のターニングポイントとなり、指揮官と作戦幕僚たちの腕の見せ所となることは、戦史上、枚挙にいとまがない。

現在の日本の政策機構では、この総合的な評価順位の決定が困難であると考えられる。それは、単に「全ての活動を統括・指揮すべき機能を果たす一元的なシステム」が無いだけではない。日本としての「ミッション」が国民に浸透せず、評価軸を見出したり評価要素の優先順位付けをする方法論が備わっていないからである。なぜなら、今の日本では、官僚の母校である東大や京大でこの方法論を教えてくれないからだ。

(6)最後は国家のリーダーの決断に委ねる - 「判決」

絞られた行動オプション3案に対し、優先度が示された評価要素に基づき最適な行動オプションが示される。今度は、リーダーが最終的にどのオプションを選択するかを決定する。ここで重要なのは、リーダー(指揮官)の洞察力や決断を、政策立案者(幕僚)は信じるべきであることだ。なぜなら、それこそがリーダーである所以だからである。

リーダーとは、人々に影響を与え、感化し、導く存在である。危機的な状況下においては、100点は取れない。必ず何らかの犠牲を伴うものである。そんな中で命に関わる最善の方策を「決定」していくというのは、重大な責任であり、重圧である。その部分はリーダーに任せなければならない。

リーダーとしての政治家、時の総理大臣や大統領が歴史上の英雄になるのは、このような決断を経てきているからであって、決して内閣支持率の浮き沈みの結果ではないだろう。

8 3250万人が感染しても耐え抜く日本になる為に

もし、日本がこのような危機管理上の意思決定機構と能力を備えていれば、当初想定されている国民の25%が罹患する事態になっても、国民が日本人として十分に満足して行動していくことが可能になるものだと考えている。

その域に達するまでは、はるか遠い道のり目前に見える。しかし、一歩ずつ進まなければ、その山に到達することはできない。その一歩を決して馬鹿にしてはならないし、その高みに到達した時の景色を早く見てみたいものだ。

9 コロナの次は地政学的リスク

危機管理の観点から、日本にとっての次の最悪シナリオを想定することも必要だ。コロナウィルス感染症は、幸いに対抗手段としてのワクチンや治療薬の登場により、初期段階と比較すれば状況は好転している。

日本では地震災害が最も現実的なリスクとして捉えられてきて久しい。パンデミックも想定されたものの、本当に起こるのか懐疑的な見方も多く、感覚的には筆者もその部類に入っていた。その意味で、自戒も込めて新たなリスクを真剣に捉える必要性をここで訴えたいと思う。

次の危機シナリオは、地政学的リスクに起因するものになるだろう。具体的には、台湾、南シナ海及び東シナ海などの地域における米中紛争のリスクである。このリスクの特性は、感染症と比較して、殺傷兵器の使用による被害の推移が早い可能性があるということと、感染症のように見えないグレーな戦い(認知ドメインにおける戦い)も含まれる点である。

兵器による物理的な被害は、決して軍事目標に限られたものではない為、今回のパンデミックのように社会が包括的な対応を迫られるだろうし、被害程度の烈度がより激しくなることが予測される為、国民と「ミッション」を共有出来るリーダーが必須であり、それを整える為の政策機構と方法論が不可欠である。

10 「シンゴジラ」じゃない、真にレジリエンスある国家造りのために

私は、シンゴジラに登場するスタッフやリーダーが好きだ。「ゴジラ」という分かりやすい敵が今の日本を襲ってきて、対応に右往左往する姿が現実に近い形でコミカルに描かれているからだ。

しかし、シンゴジラで描かれている状況は、実際の有事よりもずっとシンプルであり、現実はそんなものではない。作品に許された短い時間枠で描き切ることはできないのだろうが、ここで紹介した「状況判断」という方法論を始め、目に見えないが重要なことが多くある。

私たちが、今後、後世により良き日本社会を残していくとするならば、国家としての国益に基づく「戦略」を策定し、戦略と完全にリンクした「ミッション」を定義し、そして適切な危機管理組織と方法論「状況判断」プロトコルを持つ要員とカルチャーを準備しなければならない。そして、真のリーダーたる政治家を、私たち国民自らが送り出していく眼が必要なのである。


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