見出し画像

医療費控除は、涙の作業

最近、1年前に勇気を出してやろうとして、途中までやったけどやめてしまった税金の事をやり始めた。

税理士さんに一年ぶりに連絡して、「まだ依頼しても大丈夫でしょうか?」と聞いたら「もちろんです。」と答えが返ってきた。

夫が亡くなってしまって、すぐに色々と手続きがあって触っていた書類の数々だったけど、その時も気持ち的にしんどいなと思いながらやっていたけど、医療費控除の申告に取り掛かってから、もうどうしても耐えられなくて、手が止まってしまった。

最近、やっと、夫のがんが再発した年の医療費の領収書を医療費控除のフォーマットに入力した。

私と夫の2人分を合わせて、1年だけでも100件以上あった。

まず、一枚一枚の領収書を見ることが、辛い。
ずっと側にいたのでその時の事を、どんな事を彼が話していたか、どんな情景だったかもありありと思い出す。

この一枚一枚の治療がどんなに大変だったか、
点滴の一回一回がどんなに辛いものだったか、
動かなくなっていく身体をこころが受け入れられなくて、それがどんなに怖くて不安で、眠れなかったか。
狂いそうなくらいの不安と向き合う彼の事を隣で見守ることしか出来なかったこと。

そして、どんなに辛い治療にも文句ひとつ言わなかった姿を思い出す。

薬の領収書を入力していたら、最後に水も飲めなくなってしまった日の事を思い出した。

「もうお薬飲まなくていいんだよ。」って言ったら、夫は珍しく嬉しそうに「よかった。」って言った。

今まで沢山のお薬を飲まされて、きっと辛かったんだなって思って、文句ひとつ言わずに飲んでいたから、すごく切なくて、可哀想で、悲しくて、息を殺して泣いたんだった。

「お薬を飲まない事=生きる事を諦める事」だったのに、夫もきっとそれを分かっていたのに。

再発が分かって絶望した日のMRIの領収書もあった。

あの日の初めて予約した介護タクシーから帰る時の風景も、MRIから出てきた時に珍しく「長く感じた。」と言った時の事も、家についてから力無く言った彼の言葉も、、全て頭に浮かんでくる。

タクシーの中で無言だった彼が、家について「ついてないなぁ。」って一言ぼそっと言ったんだ。それがすごくすごく切なかった。

その時にもう終わりを告げられたようなものだった。

医療費の領収書には、彼の闘いの記録と、私たちの日々の思い出が詰まっていた。

どうしようもないことだけど、なんで彼がこんな思いをしなきゃいけなかったの?
なんで神様はこんな仕打ちをしたの?
私が何かしてはいけない事をしてしまったからなのかとか、色んなことが頭をぐるぐると駆けめぐってしまう。
無駄なことだと分かっていても。
思考を止めることはできない。

年を跨いで、3月に亡くなってしまった。
仕分けてるだけでも泣けてくる。

彼を見送った日は、桜が満開の日で、彼は桜が大好きで、今年の3回忌もきっと桜が満開になるだろう。

もうすぐ、2年が経とうとしているけど、私の心の中の穴はぽっかりとあいたままで、何でうめたらいいかなんてまだ分からない。
心のなかの空洞にあらためて気付かされると、ものすごく孤独を感じる。

でも痛くても、これを終わらせていかないとだめだ。そうしなければずっとずっと不安なままだ。

確定申告が遅れてしまうと、延滞税とか無申告に対するペナルティとかいうのがあるらしい。
もう2年遅れてる。恐ろしい。自業自得。

それを考えたら胃が痛いし、自分が情けなくなる。

一個の事で頭がいっぱいで他のことが手につかなくなる。
そんな自分が情け無いし、色んなことが不安になる。

でも、泣きながらでも生きなくちゃいけない。
なんとか乗り越えなくては。

もうがんばれないといいながら、なんとかやってきたじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?