2022/02/27

二月は人間が何かを為すにはあまりにも短すぎる。

所属している短歌会の歌会(他大学との合同歌会)と、永井陽子『なよたけ拾遺』の読書会があり、どちらも普段話すことのない人たちと話すことができておもしろかった。『なよたけ拾遺』には「!」や「・・・」のような記号が出てきて、当世風なものが実はかなり前から実践されていたことを知ったのだけど、この手のことはわりとどの界隈においてもあるあるで、「あたらしいな!」と思うことが「もうやられてますが、、」みたいなのは本当によくあることなのだろう。この勘違いは、知識がなくてハズいみたいなことではなく、これまでやられてきた「当世風な」表現をいかに「今」・「自分」が先鋭化できるかにかかっているのだろうなと思う。

人間にとって短すぎる二月がもうすぐ終わり、三月がやってくるにあたって目標や決まりをつくっておく。
・今買うと決めている本以外新しい本を買わない
・Amazonを利用しない
・予定のない日は散歩をする
この3つでいこうと思う。まず積ん読がけっこう積まれてきてるので本の流入をストップするために上の2つ、そして運動不足解消のために3つめ。
二月は短すぎるなりに「越冬隊」vol.2の発表や、読書、俳句を始めてみるなど色々できた気がする。この調子で三月を迎えたい。

土間土間がいちばんすきな居酒屋だ。土間もすきだ。土間土間に行った思い出も好きだ。
/谷川由里子『SOUR MASH』

5・7・5・6・8・8の韻律をすんなり読むことができるのは句点の効果と意味がしっかりと3分割されていることに由来すると思う。
「土間土間がいちばんすき」というのは、おそらく土間土間のメニューや空間性などのトータルな性質に対しての感情だと思うけれど、「土間土間に行った思い出も好きだ。」を後に置いていることで、もっと土間土間の本質的なことを言っているように思えてくる。なぜなら、ふつう「土間土間がいちばんすきな居酒屋だ。」と思うとき、それは土間土間にまつわる思い出のことを指しているからである。例えば土間土間にしかないメニューがあったり、ドリンクの提供が早かったり、店員の接客がよかったりといった作中主体の思い出によって「土間土間がいちばんすきな居酒屋だ」と思う。だから引用した歌を上中下の三部にわけたとき、上と下がかぶっている気がするのであるが、それゆえに「土間土間がいちばんすきな居酒屋だ。」という土間土間に対する愛情が、より土間土間そのものに対する愛情であるように感じられてくるのである。この対象への愛情の描き方が谷川由里子の短歌では随所に見られ、とてもおもしろい。
ところで最も好きな連作を考えるとき「サワーマッシュ」を候補に入れてもいいのかでたまーに悩んでいる。好きにすればいいのだけれど。



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