2022/08/08

夏休みが昨日から始まっています。「なつやすみ」、声に出したい日本語。バイトやインターンをそこそこ頑張りつつ、本を読んだり人に会ったりしていきたい。「なつやすみ」「なつやすみ」

夏休みにしたいことの一つにジュディス・バトラー「問題=物質となる身体」の読破があり、今日から読みはじめたのだけれど、とても難しくて一日で20ページぐらいしかすすめられなかった。それもそのはずで、例えば

この意味で、性化された身体を指示する言語的能力は否定されていないが、「指示性」の意味そのものが変化している。哲学用語で言えば、事実確認的(コンスタンティブ)な主張は、常にある程度は行為遂行的(パフォーマティブ)なのである。

ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体』,p17

これを理解するためにコンスタンティブとパフォーマティブの意味を調べまくったり、どうやら構築主義の知識が前提として要求されてるっぽいので構築主義の入門書をAmazonで買ったりしていると平気で何時間もかかる。しかし、恐ろしいのはこの読み方がたぶん間違っていない、ということである。さて、okは夏休み中にこの本を読み終えることができるのか、乞うご期待。

さわやかな語彙で夕日をうたうのをやめろオムライスを食って寝ろ
/新上達也「手動式転居」『穀物』第2号

「うたう」は短歌に限らず、この世界に存在するあらゆる歌を包含していると思う。目の前の綺麗な景を「さわやかな語彙」で表現することに対して反発している。それにも関わらず「オムライス」を食べるように命令する(「オムライスを食って寝ろ」はほんとうに「食って寝ろ」と命令しているわけではないが)ところ、「いいものを良さげな言葉で表現するな」といいながら「オムライス」を用いて罵倒するのがおもしろいと思った。考えてみると、オムライスはまずチキンライスをつくり、卵を焼いてそれで包むという複雑な食べ物だから「さわやかな語彙」→「オムライス」の飛躍が成立しているのかもしれない。うまいメタ短歌を読めると興奮しますね。

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