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連載小説 「死神捕物帖」(3)

 予想していたとおり、一時間の残業が課された。工員たちは業務の最後に検査ブースの整理整頓をすることになっていたが、いつもながらそこに岸本の姿はなかった。おそらくは休憩室で着替えながら時間調整でもしているのだろう。
「平塚さん、今日は宮本さんと飲みにいくんですよね」
 川端はデスクをウェットティッシュで拭きながら、こちらを見ずにそう言った。
「ああ。最近行ってなかったから付き合うつもりだよ」
「平塚さんは性格良いですよね。こんだけ宮本さんと一緒にいて、ひと言も悪口を言わないのは、平塚さんくらいですよ」
「そう? 自分の性格には自信ないけどね」
「宮本さんって奢ってくれるんですか?」
「いや、割り勘だね。たまに俺が多く出すこともある」
「信じられないっすね。ほんとに性格良いなあ」
「そう言われても、自分の性格なんてわからないからな」
 事実、ぼくはこれまでの人生の中で、他人の悪口を言ったことが一度もなかった。
 物心がついていない頃には何かしらの悪態を両親に向けて吐いたことはあるのかもしれないが、当然記憶になく、そもそもそれは悪口と呼べたものではない。確かにぼくは頭の中で他人を「馬鹿だ」「愚かだ」「低脳だ」などといった言葉を伴わせて区別している。しかし、これらの言葉はあくまで悪口ととられてしまうニュアンスをはらんでいるだけの言葉であって、悪口ではない。ぼくに言わせれば赤い風船を見て「赤い風船だ」、白い鳩を見て「白い鳩だ」とそのまま叙述しているに過ぎず、つまりはぼくが馬鹿を見て「馬鹿だ」と感じたとき、そこにまったく悪意はないのである。もちろん、悪意がないからとその言葉を口に出すつもりもない。だいたいからして他人の悪口を吹聴してしまうと誰かを殺したときに「遺恨の関係」を疑われる可能性もある。気軽に誰かの悪口を言う人は、その人を殺すという選択肢を持っていないか、勢いに任せて殺してしまったあとに自分がどうなるのかがわかっていない、短絡的なタイプなのだろう。
 ぼくが初めて人を殺したのは、小学二年生の時だった。
 まさにあの日、現在に続くぼくが生まれた。あの日ぼくが殺人に失敗していたら、今はない。殺人をしたあとに世界がこれっぽちも変わっていなかったとしても、今のぼくはいない。あの日ぼくは殺人に成功し、実際に世界は変わったのだ。
 ぼくは東北の小さな街でうまれた。小さな街には小さな小学校がいくつかあった。バブル期に誕生した子供の数はなかなかのもので、小さいながらも学校はいつもやかましかった。
 マエちゃんはクラスの中でずば抜けて厄介な存在だった。本名が前園健太だったか、前川健二だったかはもう思い出せない。マエちゃんは授業中に席を立ち、あちらこちらのクラスメイトにちょっかいを出したかと思えば、それをいさめる担任教諭に対して暴言を叫んだ。休み時間にも、すぐに他人の頭を叩いたり背中を蹴ったりしていた。よく肥えたマエちゃんの暴力は堪えがたいものだった。誰もが困り果て、ぼくはマエちゃんがいなくなればいいのにと思った。
 ぼくはマエちゃんを貯水池に突き落として殺した。
 放課後、ぼくを貯水池に誘ったのはマエちゃんだった。下校途中に突然ランドセルをこづかれ、振り返るとマエちゃんがいた。
 ぼくたちは民家と民家のわずかな間を抜けて、裏山に入った。
 裏山を西に向けて三十分ほど歩くと貯水池に着く。裏山は街の子供たちにとって大人の目が及ばない聖域だった。子供たちは裏山から街を望むことができる。しかし、街は木々に守られたぼくたちを見つけることができない。
 貯水池に近づくため、ぼくたちは崖をおりた。
 二人で立ち入り禁止のフェンスを越えてから、ぼくは「魚がいる」「ほら見て」などと適当なことを言ってマエちゃんを水際まで誘った。そして、背中をトンと押すだけでそれは終わった。マエちゃんはポチャンと音を立てて池に落ち、そして、まるで自分の帰るべき場所が最初からそこであったかのように、静かに池に沈んでいった。地べたに置かれたマエちゃんのランドセルを残して、ぼくは悠々と裏山を歩いて家に戻った。
 世界を苦しめる存在を、この世から消す行為こそが政治だ。
 ぼくはずっと、そうやってあるべき世界に近づけるための調整を取っている。無論、ぼくの行為を独善的と感じる方もいるだろうがそれは断じて違う。ぼくはほとんど多数決を取っているに等しいほど、周囲のことを考えて殺人を行っている。その証拠に、マエちゃんがいなくなってからのクラスはとても活気があり、それでいて小学二年生らしからぬ秩序と理性があった。笑いが絶えず、皆が一丸となって学業にいそしんでいた。これはマエちゃんがいたクラスの在り方では叶わないことだった。
 見るべき点を「全」とした殺人は、やはり政治なのだ。
 決して、自警団を気取っているわけでもなければ、自分に何か特別な権限、免許があるとは考えていない。初の殺人行為を果たしたときの気持ちと、今の自分の気持ちはまったく変わらない。いつだって、やれることをやるだけなのだ。
 マエちゃんの死体は二日後に見つかった。
 校長だったか教頭だったが貯水池に気をつけるように注意喚起した記憶がある。
 そしてそれ以上の記憶はない。
 小さなぼくは自分が警察に捕まるかもしれない未来を想像するだけの思考力がなかったゆえに、わずかな怯えも感じていなかった。
 とにかくマエちゃんのいないクラスの明るさを喜んでいた。
 この成功体験がぼくに選択肢を与えている。
 悪をこの世からなくする。
 とてもシンプルで効果のある選択肢をぼくは持っている。

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