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「『怪と鬱』日記」 5月13日(木) 日記再開

noteで連載小説ばかり書いていたのだが、今日から日記もぼちぼち再開しようと思う。
連載中の自作小説に触れると、完結前に変な色がついてしまうかもしれないので、日記では触れません。

弘前の夜はまだ寒い。
なんなら日中もちょっと肌寒い日があったり。

娘が恐ろしく負けず嫌いに育っていて、一緒にSwitchをやって私に負けると、物も言わずにつつーっと涙を流す。
その姿を見るたびに「うわー、生き辛い人生になりそー」と思ってしまうのだが、もう8歳ともなればかなり人間で、「果たして私が父だからと、この性格の軌道修正できるのかな?」と疑問に感じて、泣かせたままにしている。
負けず嫌いは辛いことが多くあるだろうが、きっと良いこともあるだろう。
強い子でも弱い子でもいいし、どんな性格になってもいいから、たまに起きた良いことを宝物にしなさい。

サラリーマン、noteで小説執筆、怪談作家仕事、身体を休める、などと繰り返しているといつの間にか海外ドラマを余り見なくなった。今noteで小説を書いてる時間がかつてはNetflixに充てられていたんだろうな。もうちょい体力があれば、海外ドラマも楽しめるのに。

終盤になって読むのを中断していたミシェル・ウエルベック「セロトニン」をやっと読了。結果、数ヶ月かかった気がする。
底知れぬ絶望。ゆっくり人が死ぬ途中を描いた物語。
フランス人、こんなのをベストセラーにすんのね。
傑作でございました。

私は「セロトニン」の主人公同様に良いものにせよ、悪いものにせよ、思い出に囚われるタイプだ。
他人のことは分からないので、これが一般的な記憶との付き合い方なのか不明だが、例えば小学校の頃にあった嫌なことを思い出しても、まだ気持ちが暗くなったりする。
いじめにあっていたわけではない。
サボってばかりで教室の掃除をしない女子に「掃除をしろ」と言ったら、本格的な泣き真似をしだしてなぜか自分が先生に怒られたことや、親しみやすい先生にいつもと同じ距離感で話しかけたら、急に「なんだその口の聞き方」と言われたことなど、どう考えても今思い出して心を動かすべきではない記憶が、まだ自分に影響を与えているのだ。
過去は変えられないことくらい、流石に分かっているのだがそういう思考回路なのだからしょうがない。

これが長年自分で気になっている部分で、娘に負けず我ながら生き辛いパーソナリティーだと思っていたところ、こんな記事を見つけた。

おい。
発達障害じゃねえか。

まあ、いいや。

本日はサラリーマン(有償)を終えてから、怪談仕事(有償)も終え、所属している俳句結社の会報用原稿(無償)と日記(投げ銭あったら有償)もこなしている。
生産的な1日になりました。



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