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リトル・シングス感想 (ややネタバレあり)

2022年1月11日述。

Netflixで新着作品「リトル・シングス」を観た。

デンゼル・ワシントンもラミ・マレックも刑事サスペンスものも好きなので飛びついて観た。

結果は、うーん。個人的評価は作品単体としては5段階中2。
キャストが好みだったのと、脇役やカメラワークは良かったのでトータルでは2.8というところだろうか。

作品のテーマは「小さな出来事や物事(リトル・シングス)」が人生を狂わせる、でまず間違いはないはずだが、そのリトル・シングスを全然回収できていない。

・若い刑事(ラミ・マレック)は何やら葛藤や心の闇を抱えているように描写されていて犯人ぽいやつもそこをいやらしく突いて来るが、それが一体何なのか描かれていない。嘘でしょ。そこがラミを迂闊な行動に駆り立ててしまう源なんだから、そこはちゃんとはっきりと描かれてないとダメでしょ!

・デンゼル・ワシントンは自身の暗い過去(失敗)にずっと囚われているが、最後まで囚われたままで、その上新たな秘密を抱える(その事でラミを一応助けた(だが救ってはいないし救われてもいない))事になるのだが、うーん。

まずデンゼルがひょんな事からその暗い過去を共有している古巣の同僚と働く(巻き込み、思い出させる)以上は、それが彼らにも変化を及ぼさないと本来いけないと思うんですよね(物語に銃が出てきたらそれは使用されねばならない理論)。ところが秘密を共有する同僚を巻き込んでおきながら、秘密がなんだったかが最終的にわかる彼らがデンゼルと再会する事による彼らの人生の変化は何も起きないわけですね(というかその秘密が構成上のクライマックスの位置に充たってしまっているのだけど、それは違うでしょと。そこ主題じゃないでしょと。主題は昔の俺みたいなラミをどうするかでしょ、と)。

元同僚達は名前も過去も描かれているのだから、少なくともデンゼルと彼らでラミの失敗を防ぐか救うかしないと描く意味がなくなってしまうわけですが、結果としてラミはデンゼルと同じ失敗をし(だがその失敗に至る源は説明されないorz)、しかも元同僚達はそこに全く無関係で、二重にいる意味がない、という状態で、これはストーリーや設定としては破綻してると言っていいのではないだろうか。

「実際事件や人生ではわからずじまいの事も多い」とか「彼が本当に犯人だったかは観る側の想像力に委ねたい」とかそういう表現は僕は全然アリ派なんですが、それとストーリーや設定の破綻をごっちゃになってしまってはいかんとぞ思う(誤用)佐山です。2000年以降くらいからちょくちょくこういう作品を目にするようになったように思います。本作もその類なように感じました。

基本的に設定に大きな破綻がなく、描かれた人物はそれなりにストーリーに関係してくる、という前提がないと、セリフや行動の解釈(そういう非言語的なメッセージの解読こそが映画の楽しみなので)も成り立たくなってしまうので、そこが崩れている作品は俳優の演技力云々以前に楽しみにくいですね〜。



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