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コートに舞いおりた王子様

「推し。」

自分が応援しているターゲットのことを

いつの頃から「推し」と呼ぶようになったのかな。


そんな事をふと考えたのは、

応援しているバスケットボールのチームがようやく有観客で試合を行ったつい先日のことだ。


コートの上に立つ推しを目の前にしたのは約1年ぶりだった。


推しは1年前と変わらず「王子」だった。


相変わらず王子のオーラをバリバリに放つ彼を見ていたら

いつから推しが推しと呼ばれるようになったのか、もうそんな事はどうでも良くなった。

ただ、やっぱり

推しのことを「推し」と初めて名付けた人は凄いな、と思う。


岐阜にはプロバスケットボールのチームがある。

名前は岐阜スゥープスという。


Bリーグの下部組織、B3リーグで3年目のシーズンを戦っている。


私は、岐阜スゥープスがB3リーグに参入する直前のプロとしてリーグを戦うための前哨戦、

プレシーズンマッチを観に行ったのが最初で

それから足しげく応援に通うようになった。

岐阜スゥープスの歴史は長く

アマチュア時代から応援されている方も多い。


スポーツ観戦を含むエンターテイメントは

昨年からコロナの影響で規制が厳しくなった。

昨年のB3リーグはシーズン終盤、

全ての日程をこなすことが出来ないままあっけなく終わりを迎えることになった。


それまでは県外へも応援に出向いていたが

感染リスクを考えてそれも出来なくなった。



応援する行為全ては、感染リスクが高い。

大きな声を出すこと。

推しの選手の横断幕を貼ること。

試合後に仲間や選手とハイタッチをすること。


それら全ては禁止となった。


頭の中で分かってはいるのだが

今までの応援行為を突然遮断されたようだった。

コンセントを突然引き抜かれたように

私は一時的ではあるがチームに対して推しに対して、さまざまな感情が全く湧いてこなくなった。今までに無い経験だった。


推しの応援とは、最大の自己満足である。


応援する気持ちを表現したい、形にしたい、

横断幕、ゲートフラッグ、似顔絵。

全ては自己満足の表現だと思っている。


冒頭、推しのことを王子と表現したが

彼は岐阜スゥープスの王子と認知されている。


コートに立った瞬間、彼は王子と化す。


本人も言っているが

本当のところ、王子様ではない。(笑)


ただ、

シュートをする時の佇まいや

ボールを放つ時に美しく伸びる白い腕、

フリースローの時の淡々とした表情、

彼の汗は驚くほどにキラキラと輝く。


それらの総称が「王子様」なのである。


私はそれを横断幕に出来ないかと考えた。

コートに舞いおりた王子様

ある日、このフレーズが

すっと自分の頭の中に降ってきた。

これだ、と思った。

すぐに横断幕にした。

毎回試合でこの横断幕を掲げる事が

私を高揚させ、応援のモチベーションとなった。



横断幕を掲げた昨年のシーズンは

試合中継をしているケーブルテレビの実況の方から王子様のフレーズが出るほど

周りのブースターにも浸透していった。


この横断幕を掲げることは

応援する気持ちを貫き、私らしく表現出来る、

唯一の手段だった。


だが、今季

横断幕を掲げることは禁止事項となった。


待ちに待った先日の有観客試合。

周りのブースターの方々はとても前向きで大人で、規制の中で出来る最大限を楽しんでいるように見えた。


今までの試合前のルーティン

(試合開始のかなり前から待機する、

渾身の気持ちを込めて横断幕を結ぶ、

グッズを買い漁る、など。)


が全く無い自分はどこか拍子抜けしていて

周りとの寒暖差アレルギーに思い悩んだ。


試合はGAME1GAME2両日とも

無事に開催され、1勝1敗で終了した。


試合前に高揚感を高めていたルーティンが無くなったことや、一時的ではあるが応援する気持ちのスイッチがオフになったことで

自分自身のモチベーションがどこにも見出だせないまま

両日ともあっけなく終わってしまったのが正直なところではある。


それでも画面越しで見るより

目の前には推しがいて

空間を共有出来るというのは

何物にも変え難かった。


我が家で待機中の横断幕を思った。


掲げられなくても試合に連れてこよう。

また「コートに舞いおりた王子様」

を掲げられる、その時まで。


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