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終わりと始まり

B3リーグの全試合日程が終了した。

岐阜スゥープスの最終順位は8位。

目標としていた勝率5割には及ばなかった。


試合が終わった後には、シーズンの終わりのセレモニーと、私の推しである「王子様」こと園田大祐キャプテンの引退セレモニーが行われた。


最終節の2日間を迎えた王子は

いつもの王子よりもなんだか感情を表に出しているように見受けられたけれど、私の気のせいかもしれない。


最終節のGAME1、試合前には

わざわざ席まで駆け寄って「3年の間、応援ありがとうございました!」と伝えに来て下さった。


以前書いた王子とのファーストコンタクトを彷彿させたが、挨拶の時に見せた表情はいつになく清々しかった。


試合中は積極的にコートの隅々まで動き回り、引退までのタイムリミットを王子自身の中で刻んでいるのが分かった。


フリースローの時、SWOOPY(岐阜スゥープスのブースターの呼び名)から沸き上がるクラップに合わせて王子も一緒に手拍子をしているのを見つけては泣き、

今までにないような気迫の溢れた数々の表情を見ては泣いた。試合終了が永遠に来なければ良いのに・・・と思った。


1秒1秒を見逃さないようにしたかったけれど


涙がどんどん流れてくるので王子の姿を捉えるのが途中から難しくなった。


そして試合は終了した。王子のタイムリミットと共に、私が王子を応援出来るタイムリミットもあっという間に終わりを迎えた。



試合の後にはセレモニーが無事に行われ、

王子様はコートから去っていったのだった。


引退を見届けることが出来た安堵感と王子がいなくなってしまう空虚感で少しの間は動けなかったが


しばらくして退場のアナウンスがあった。


岐阜スゥープスはコロナ禍の試合開催において、入場時の検温から始まり、入場時や館内での消毒はもちろん、席数の制限、飲食の制限、退場に至るまでの感染対策を徹底している。


観にきた人の退場は、通路や出口で密にならないようにブロックごとにきっちりとアナウンスがされる。


このアナウンスをするのが

岐阜スゥープスの2人のMC、山下ユウジさんとFALCONさん。


この2人の退場時のアナウンスでは帰路を急ぐ人達が密にならないよう、ブロックごと着席している人達を飽きさせないよう、細やかに注意を払いながら気を配りながら先導する。


私の席も退場の時間となり、MCの2人に手を振っていたその時

ユウジさんがマイクをふせて、しかしながら私に聞こえるように

「コタさん(私のSWOOPYネームです)

 手術、頑張ってね!!」

と言葉をかけてくれたのだった。


私の涙腺はそこで崩壊した。


この2日間は、

入院に向けての心配をしてくれたり

王子の引退のことで心配してくれたり

ガチャガチャで出た王子のバッジをプレゼントしに来てくれたり

周りに心配してもらっていることを痛感した。


もう1人のMC、岐阜を代表する歌い手でもあるFALCONさんは

試合前に毎回会場の士気を上げる自身の曲、「IGNITE」で

私が掲げる園田大祐幕の前に立ち「いくぞ、園田の時間だ!」と歌って鼓舞してくれた。

実はこの時すでに結構泣いた。


号泣し過ぎてずっと手を振ってくれている2人の姿もぼやけてしまった。


とめどなく流れてきてしまう涙をマスクに浸透させながら帰宅して、シーズンは終わった。



そして、最後に1つ。

誰もが気になったであろう那須社長の言葉。


「B2ライセンスの申請」


熱い想いと覚悟が詰まった言葉だった。

率直に思った。茨の道を行くんだな、と。

変わらなければいけない時期が来ている。


3年目の始まり。

王子がキャプテンに就任した時のインタビューから、実はずっと気になっていたことがある。


それは王子が田中HCを「先生」と呼ぶこと。

他の選手も「田中先生」と呼んでいるのを見たことがある。


HC(ヘッドコーチ)は先生ではない。

部活の顧問の先生ではないのだから。

岐阜スゥープスはプロのバスケットボールチームである。

興行試合であり、チケットを買って観に来るものであり、そこは最低限の自覚が必要である。

私の認識や捉え方が少しばかり違うのかもしれないけれど、HCを先生と呼ぶことには違和感しかなかった。

今季の岐阜スゥープスは顧問の先生と選手という関係性が抜けないでいたのではないのかな。(外側から見ていた私の偏見なので、プロチームがHCを先生と呼ぶことに対して違和感があったということだけご理解頂きたい)


それでも、田中HCには3年目の岐阜スゥープスの舵取りをして下さったこと、心から感謝しています。

田中HCが岐阜農林高校のバスケ部の一時代を築いたという伝説は色々なところで聞いたことがある。

実は私の父親も定年を迎えるまでずっと高校教師をしていて、スポーツは違えどずっと部活の顧問をしていた。

全国的にも強い時代を築き上げたこともあり、鬼と呼ばれるほどに教え子には本当に怖い存在だった。

父親の姿と田中HCの姿が重なって見えることがたびたびあったので、指導者の立場の苦労やそれを越えて見えてくる景色は家族として見ていた分、少しは理解出来る気持ちでいます。

田中HC、本当にお疲れ様でした。

ありがとうございました。


岐阜スゥープスの3年目が終わる。


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