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なぜ、今更、自ら歌うのか。

ひと月前に書いた
『「CHILLい」に飽きた話。』に、多くの反響をいただいた。

これまでインスト( = 歌のない楽器だけで構成された音楽)が僕の表現手法の中心にあり、その表現活動の中で着地し、自分の居場所のように思えていた「CHILL」というジャンル。居心地は良く、おかげさまで知名度の割に、僕の音楽は物凄く沢山の、世界中のリスナーの方々の耳に触れた。


実は、この話には大事な大事な続きがある。


前回の記事の中で書いた

「僕自身のメッセージを具体的に表現する」
「表現したいのは、もっとダサくて洗練されていない自分」

について、今日は書いていこうと思う。


僕は新人アーティストになる

実は、ごく限られた身内にしか話さず、今日という日を迎えた。


音楽のプロになって9年目、
僕は初めて「シンガーソングライター」として
「KOTARO SAITOとは別名義で」アーティスト活動を開始します。


・・・。

音楽をやったことがない方は、
作曲家をしている僕が作詞して歌うことについて、

「へー。で?」

くらいにしか思わないかもしれない。

でも幾ばくか音楽に関わったことがある人、特にプロの皆さんは、僕が今発した言葉の意味を、わかってくれるんじゃないかと思う。


僕はこれから、ものすごく大変な道を進むことになる。
わざわざ、自ら、すすんで。


音楽活動で最も尊い存在

「歌う」という行為は、音楽の中でも圧倒的に特別な存在。

僕は、特にプロになった頃からずっとそう思っていた。発声さえできれば、誰もが挑戦できる。だからこそ、最も音楽の本質を突いていて、最も挑戦することに高いハードルを感じる。今も、気持ちは変わらない。


数々のレコーディングを通じて、いろんなシンガーの方々と仕事をしてきた。いつも、僕がいたのは録音の出来をチェックして、一番いい歌に仕上げていく「コントロールルーム」と呼ばれるブースだ。

それが今、多くの時間を「録音される側」として過ごしている。(宅録だから録音しているのも僕だけど)マイクに向かい、自ら書いた歌詞を浮かべ、声を発し続けている。



客観的に、「歌手活動」を始める年齢としては、おそろしく後発。

「夢だった、歌手になりたい!」


・・・というわけでは、全くない。
天真爛漫にそう発言するには、音楽の経験を積みすぎた。


それでも今、僕は本気で、歌に向き合っている。


人生始まって以来、一番の葛藤の中で生まれた「歌う」というアイデアが、どれほど苦しく、でも必要だと思えたかを、今日は書いていく。


少し、長くなるかもしれない。


音楽を辞めようとしてしまった自分

インスト音楽を主に活動してきた僕は、KOTARO SAITOとしての最新アルバム『STELLAR』をリリースし、やりたい音楽に「納得しきった」。

STELLARのアートワーク

このアルバムは、僕にとって一番の「空気」を表現したアルバムだ。

このアルバムが似合う最高のシチュエーションは、僕が家族と過ごすリビングだ。朝起きて、コーヒーを飲みながら何気なく部屋に漂う香りのような存在。吸い込んで、癒されて、フラットに整う。そんな感じのアルバムだ。

極めて個人的な動機を起点に作ったアルバム。

そんなアルバムが生まれたのは、
完成直後に入籍したからかもしれない。


僕は自分の音楽表現自体が完結した気持ちになっていた。以後、仕事を通じてクリエイティブな挑戦はできていたものの、

KOTARO SAITOは、この後何を生み出したいのか?

という自問に、何ヶ月も答えられないままだった。


音楽でなくとも、やりたいことはできる?

そのうち、noteやインスタグラムを通じて行う発信活動がとても純度が高くいられるようになった。それ以前までと比べ物にならない自らの心の芯を食った表現ができて、かつありがたいことに、リアクションが良かった。

これらの記事で書いたことを、一言でまとめる。


心に浮かんだメッセージを、具体的に形に残したい。


そんな感情が、強く芽生えた。

アルバム『STELLAR』で自分史上最高の「空気」を生み出せた僕は、
更に突き詰めた結果「言葉」にしたいと思うように。

思い返せば、僕にとってはごく自然な流れだった。


見つけたテーマ

有料記事で書いたのだが、描きたいテーマ探しに足を止め数ヶ月。次に臨む題材を見つけることができた。

このアルバムタイトルを思いついた時、そして兼ねてから書いてきたnoteやインスタでの表現を通じて、次にやりたいのは「自分の奥にある"弱さ"や"ダサさ"」を認めた上での表現だと思えた。


10代の頃からのコンプレックス


時は思春期まで遡る。

実は、僕は音楽を始めた当時、ピアノを弾いて歌うという表現に強く憧れていた。うっすらと、音楽に出会った中学の頃、高校時代は、ピアノ弾き語りの歌手になりたいと思っていた。


でも、早々に気づいた。自分には歌の才能がないって。限られたお小遣いで初めて自分の曲をレコーディングしてもらったときに、強く思った。「え、俺の歌、全然ダメじゃん」って。

素人だった僕は、自分が超大声で「イケてる」と思い込んで歌っていた歌が、めちゃくちゃイマイチだったことに、本当にショックを受けた。


「もう、歌うのは辞めよう。」
「歌うこと以外で音楽に向き合おう。」


あっさり、バッサリと憧れを断ち切り、僕は自分がフロントマンにならず、
作曲のプロを目指し、今に至った。



そんな僕がだ。
プロとして、しかも音楽プロデューサーとして、
日々とても歌が上手な人たちの声を聴き、
録音してミックスする立場にいながら、自分が歌う決断をした。


今はもう、腹を括れているから、こうして胸を張って言える。


でも、ここに至る約一年、ただただ自信を喪失した。

自分がゼロになってしまった気がした。
関係者にも友人にも、打ち明けられず、会う気にさえなれず。
恥ずかしく、苦しく、やり場がなかった。


そんな「恥」「弱さ」「コンプレックス」に向き合うことこそが、
僕が今、シンガーとして表現したいテーマだ。
それらに向き合い切り、僕は思春期から引きずり続けた
コンプレックスと仲直りし始めたって思えてる。


だから、僕は歌手活動を発表することにした。


従来の自分を否定しないために

ロゴデザイン 伊藤裕平

シンガーソングライターとしての新名義、
「leift(レフト)」という名前を自らに名付けた。

以前から僕のことを追ってくれているみなさんには、
どちらで呼んでもらっても構いません。

以後、「leift」として"も"、よろしくお願いします。
なぜ"も"なのかは、このあと。


「名前をつけて保存」

「従来の僕」を「新しい僕」が上書きしないよう、
別ファイルとフォルダを作った。

そんなイメージでいて欲しい。
どちらも大切で、決して相容れない存在だから、人格を分けた。

仕事関係の人たちも読むかもしれないので強調しておくと、僕は作曲家・プロデューサーとしての活動をやめるわけでは決してない。むしろ、この半年間「自分らしさとは?」と作業を止めたり、断ってきたようなお仕事も、ようやく前向きに引き受け、全力で臨める喜びを感じてる。

この一年、最も悩ましかったのは
僕がKOTARO SAITOとして活動する上での「自分らしさ」の定義だ。


職業作家の自分と共存しない自分

CM音楽の制作を通じて、僕は本当に多くの作曲技法を学ぶことができた。

どこを切り取っても、僕は自分らしいと思っている反面、ことアーティストという側面で考えると自分の音楽性が散漫だったことが気になっていた。「できること」と「やるべきこと」の違いと呼ぼう。

今振り返れば、僕という音楽人はフロントマンを名乗るにはメッセージレスだったように思う。いろんなアプローチができることは作ることの職人としては技能上必要なこと。でもアーティストとなれば、そこにメッセージがなければ「何となくいろんな音楽をやってる人」として映るだろう。


事実、過去リリースしてきた楽曲の中には、

・シンセにこだわっています!
・チルな空気のインスト音楽ができました!
・ドリンクを片手に聴いてください!

くらいしか、楽曲紹介で書けない曲もあった。

悪いことだとは思わないけど、それって単に「ムード」や「バイブス」を
音にしてただけって思う。具体的に伝えたいことは、そこにない。



正直、やり切った。もう、そんな音楽には飽きた。
だからもっと、テーマを突き詰めた音楽をやろう。

KOTARO SAITOという作曲家としての活動整理を追い求めた結果、
より「自分の心の内側」を表現したいという切り口に出会う。

その解決策として湧き出てきたのが、歌と歌詞だ。


お前は何がしたいの?

自分で、自分のことを簡潔に説明できない活動になりかけていた。
もう、収拾がつかない。散漫だったのに、今度は歌?
KOTARO SAITOって、こんなにすぐ、
それまでと違うことを始める人でいいのか?


こんなことばかりしていたら、アーティストとしての佇まいだけでなく、作曲や音楽制作で仕事に関わるスタンスにも影響する。それは、KOTARO SAITOという在り方にも良くない。

一方、培ってきた配信サイト上の良好なアルゴリズムを自身のボーカル曲に活かさないのか?など、実利も加味し最後の最後まで可能性を考え抜いた。

その上で、僕は別名義を名乗り、
シンガーソングライターとしての活動を開始すると決意した。


再出発というより、「別世界の人生」な感覚だ。


「心の」棲み分け

シンガーソングライターとして活動していく上で、
僕の心の中がどのような景色なのかを、きちんと皆さんに話しておきたい。


①人間として

全ての人格の根源は、間違いなく僕そのものにある。僕は音楽をやろうとやらなかろうと、全ての発信に自分の気持ちを乗せたいし、可能な限り忖度せずに生きていきたい。何をやろうと、この芯は絶対に不変だ。

当然ながら、作曲家としてもシンガーソングライターとしても、僕の中にない音や言葉は出ようがない。それを基本原則にしつつ、僕自身は心情の変化や外的な刺激には非常に柔軟な人間だと思っている。


「人間 齊藤 耕太郎」は喩えるなら、真っ白な器。
盛りつけたい料理は、和洋問わず受け止められるような
無垢さ、温かみ、洗練さの多面を持ち合わせた人間でいたい。


②作曲家・音楽プロデューサーとして

年末に撮影したKOTARO SAITOのセルフポートレイト

一言で表すなら、「究極の橋渡し役」になろうと思っている。

アーティストや楽器が持つ魅力を俯瞰して、音楽で最適解に導く人。僕はプロになってから今に至るまで、ずっとこの精神で音楽をやってきた。この一面は今後も見失わずにいたいし、むしろleiftという「自らを語る存在」を生み出せたことでより「客観的」になれる。

僕がソロ作品でピアノソロやチルインストに走ったのも、
僕自身がリスナーの皆さんと音楽の「橋渡し」になろうとしたからだ。
「空気であること」は、作曲家としての僕個人の究極体だ、
今はそう考えられるから、今後もこの活動は続けられると思えてる。


少しアプローチは変わるけど、
ことクライアントワークやコラボワークでも、
KOTARO SAITOらしさが出せる。
僕の中に、他の誰かによって目覚める要素がある。


例えば僕発信で生まれていないメッセージ、つまりクライアントがメッセージを持つ曲作りは「KOTARO SAITO」で引き受けようと思っている。


少し話が飛ぶが、
僕以外の要素が加わる瞬間に、
僕の中で大きくスイッチの入れ方が変わる。

僕がKOTARO SAITOとして培ってきた一番の自信は、音楽に限らず主義主張に対する「理路整然さ」「品位」「熱量」僕が僕のスイッチを「ON」にしたときの「キレッキレ具合」がそれ。

KOTARO SAITO名義の2ndアルバム『BRAINSTORM』
3rdアルバム『VOYAGER』(with Hajime Uchiyama

クライアントワークで言えば、これもそう。
昨年作ったMIKIMOTOのオートクチュールコレクション映像。

これらの作品は、まさに僕の「ON」の塊だ。

僕は主に「他の誰か」と一緒に音楽をやっている時、誰かの才能を俯瞰しながら自分のメッセージや全体の主張を構築すべく、頭がキレッキレの状態になる。才能同士の融合や全体の仕上げに求める上質さを担保しながら、たぎる熱量を呑み込むように集約する。それがプロデューサーの僕らしさ。


他の誰かがそこに居れば、僕は客観的になる。
「ON」の熱量を、自由自在にコントロールできる。


また、クライアントがいる場合、必要に応じてどこまでも職人になれるバランス感覚を強く保っていたい。もちろん「人間 齊藤耕太郎」が相容れない仕事は引き受けるつもりはないが、共鳴できる範囲は割と広い。


③シンガーソングライターとして

leift アーティスト写真(撮影:佐々木康太 スタイリング:Minoru 監修:妻)

逆にleiftには、心に何もバリアがなく、かつ心の内側に存在しないものは歌えない。黎明期のテーマは「弱さを受け入れること」。自分の奥底にずっと沈殿していた嫌な自分を、歌詞と歌で絞り出す。

プロデューサーの僕が「ON」「客観的」「キレッキレ」なのに対して、leiftは完璧な「off」であり、「主観的」だ。leiftの音楽を作っていて「僕にはこんなにも頑固で、他人を相容れない一面があるのか」驚いたほど。


leiftが生まれるまでの「移行期間」に生まれた表現といえば、
僕にとっては以下のnote。

このnoteを書いた頃、僕は完全に自信を失っていた。アルバムの曲は組み上げられていくのに、肝心な歌唱力が全く追いつかない日々。何度も諦めようとしていたし、この頃は今以上に「歌う」と発言するのが怖かった。

「え、今更、歌?」
「あいつ、(話)聞かないと思ったら、別の道に逃げたの?」
「ってか、ナルシストだな」
「うわー、アラフォーなのに歌なんて、痛すぎ」

僕の音楽やnoteを普段から聴いてくれる人が
こんなことを言うわけない。そう信じているのだけど、

僕の音楽を聴かない、僕のことを直接知る、一部の知人が、こういうことを言いそうな気がした。冷静に考えれば、そんなやつ、どーでもいい。でもそれが、とても怖くて、恥ずかしかった。


これらの恐怖から自分を解き放つには、
ただ、とにかく、歌を練習し、自分の音に自信を持つしかない。
解決できるかどうかは、全て自分の能力次第だった。


2022年3月7日 ミキシングが終わった、leiftのシングル第一弾

この、シンガーとしての1曲目が完成した瞬間に、僕の覚悟は決まった。腹に溜めていたコンプレックスや弱さを、歌詞とメロディ、歌で出し切れたからだ。培ってきたKOTARO SAITOサウンドの完全上位互換かつ、僕の言葉が歌声として乗った音楽。

僕は今、leiftとして込めたメッセージに自信がある。世間に受けようが、そうでなかろうが、僕はベストを尽くせた。それだけで、課題はクリアだ。


アーティスト名の由来

3つの意味がある。

①左手(left)

僕は矯正されても直らなかったタチの左利きだ。

親がつけてくれた名前と別名義を名乗ると決めた時、今までそんなことを考えたこともなく、不思議な気持ちだった。

その中で、一番大事にしたかったのは「生涯自分にとって変わらない存在」を名前に入れることだった。左手を起点に歌詞を紡ぐこと、アイデアを練り上げることは、僕の誇れるアイデンティティだと思えた。


②手放す(left)

左手の話を全く相反するが、
僕は、自分の古い価値観を常にアップデートし続けたい。

腐れ縁や忖度で断れない人間関係。
事例や前例ばかり求められる意思決定。
わからないことをそのままにする、逃げの姿勢。
無思考なルール、無意味なルーティン。
年齢論、経験至上論。

僕の中にも、つい言い訳のように使ってしまうこれらの要素を、
手放し、新しい自分でい続けられることを戒めるよう、名前に込めた。


③中心の「i」

左という言葉には、

・二番手(左大臣的な意味)
・隅に追いやる(左遷)

みたいなニュアンスがある。

僕にとっては、
外部要因で、自分の居場所が脇に外れる感覚だ。

だから、僕は楔(くさび)のように
「left」の中心に、自分を意味する「i」という文字を入れた。
レフトとは読まないかもしれないが、造語でいいから、
「leift」で「レフト」と読むことにした。

と、高らかに我がもの言葉で言ったのだが、
実はこのアイデアは僕の友人がくれたものだ。
この素敵な思想をくれた友人には、頭が上がらない。

社会の濁流で脇に寄せられようとも、
自分だけは、自分の中心は自分だといつでも思えるように。

僕はこのプロジェクトに、そんな覚悟で臨んでいる。




シンガーソングライター「leift」の楽曲リリース

まずは、僕の新しいアーティスト活動を知ってもらいたく、先ほど紹介した楽曲含め、まずはシングルをリリースする。

1stシングルは、6月10日(金)に配信開始。
その話はまた、改めて。


「αとβ」

leiftとしての
1stアルバムリリースまでの活動を「α(アルファ)」
以後を「β(ベータ)」と呼んでいる。

「α」のフェーズでは、楽曲を通じて僕がなぜ歌うに至ったか、名義を変えて自分を新たにしようと試みたか、悩みながら進めてきた思考過程そのものを歌にしている。「β」では、僕がアルバムという「作品群」を通じて伝えたい「変化によって公に胸を張れる"新しい自分"」「その変化でさえ"途中"でしかない」という想いを込める。

僕にとって「α」が完了したと思えたら、「β」に移行しようと思う。


楽曲クレジットについて

leiftの制作体制は現状、
可能な限り僕以外の要素を削ぎ落とすため、

作詞・作曲・歌唱 leift
編曲・プロデュース KOTARO SAITO

という、一人5役を担う作り方をしている。

シングルリリース、言うなればシーズン「α」、アルバムリリース、通称「β」までは、基本的にこのスタイルを貫くつもりだ。

作詞作曲と、編曲プロデュースのクレジットを同一人物で2つに分けるのは、先述の通り作る人格と関わる立場がそれぞれ異なるから。

このスタイルで、まずはleiftのキャラクターを明確にしたい。
それが、当面の目標となりそうだ。

シンガーとしてのキャラクターが明確になり、他人を受容できる技術的な余裕と余白が生まれたと思えたら、別のシンガーやプロデューサーの方々とも是非コラボさせてもらえたら嬉しい。


伝えることに、妥協しない


インストだけで満足できなくなったのは、
僕にそもそも「内なる言葉」が常にあったと気づいたからだ。


僕は作曲家として、音楽制作への技術やノウハウは、プロになって8年ほどである程度習得できた自信がある。技術をさらに追究する人生もあり得た。


でも僕にとって
曲を作ることは、あくまで一番好きな「手段」だ。


何度も言うけど、僕は「メッセージを届ける」ことに、
何よりも興味があり、その行為のベストを尽くし続けたい。
今の僕にとって、歌は最適解だ。


メッセージの発信という面において、音楽と掛け算できる余地は、1年前に想像していたより遥かに存在した。

結果的に今、ものすごく音楽に夢中になれている自分を見返して、歌を、作詞をやるって決意して、本当によかったって思えてる。


さらに。


作詞が、楽しくて仕方ない

実は、僕は長年培ってきた作編曲のスキルより、
今は作詞の方が自分らしいと思えてる。

それほど、言葉に重きを置ける自分が今、好きだ。シンガーソングライターとしてのデビュー作からそう思えたのは、間違いなくnoteを書いてきたから。環境に、機会に、感謝しかない。


と言いつつ、音源を公開できない中先に言っておくと、
leiftの音楽はパッと聴いて歌詞が耳に入ってくるような音楽じゃない。
せっかくストリーミングで聴けるから、音で興味を持った方に、
歌詞をチェックしてもらう、くらいの感覚でいてもらえたら嬉しい。

SNSについて

名義と共にアカウントを分けることも考えたが、僕は全てのSNSを

①人間「齊藤 耕太郎」

という人格で楽しんでいるため、
2つの名義を共存させる形で続けることにした。

僕の中では筋が通っているし、noteやYouTubeには「マガジン」「再生リスト」機能があるため、互いのコンテンツが溜まってきたら、それぞれに振り分けて楽しんでもらえやすいよう整理するつもりだ。

僕のインスタグラム

インスタグラムに関しては、いずれにせよ今のスタイルが僕のありのままの全てなので、こちらもこのまま続けていくつもりだ。

さらに。
実は、インスタグラムでは僕の「裏アカ」を最近よく更新している。

この @kotaro_saito_ura というアカウント。

noteの有料記事同様に、僕が「まだ、表立って言えない自信が固まっていないこと」や「計画段階で情報解禁できないこと」を、自分が言いたいときに自由に言える場として使っている。こうして表側のアカウントに貼っているので、基本的には素性がわかる方はフォローリクエストを許可している。今となっては、「leiftのリアルタイムの感情」という意味合いが強い。


leift 今後の予定

1stシングル『bleαch』に続く「α」シリーズのシングルを、7月・8月と2曲リリースする予定だ。両楽曲とも、既に完成している。

その間に、アルバムは歌唱力を磨きながら制作していく。シングル3作品は作り終え思うのは、1曲作るたびにスキルが向上している。黎明期だから、時期的な成長感が極端。今となっては最初のシングルは歌い直したいが、その経過を感じてもらうことを含め、僕はleiftの黎明期的だと思う。


本来はアルバムの方が先に曲を書いていたのだが、楽曲のクオリティを「α」シリーズより高めたいという想いがあり、歌はもちろんトラックも全曲作り直している。とても大変だけど、歌が向上したらトラックはそれを越えなくちゃ僕の満足度には至らない。必ず最高だと思えるものを完成させる。

leiftとしての1stアルバムは、今年の後半にリリース予定だ。


・・・・。はぁ・・・

ようやく言えた、僕の新しいプロジェクト。
自分の中で、言えたことで更に整理できた感情が溢れている。
leiftも、KOTARO SAITOという作曲家としての活動も、
これから加速させていくつもりです。

改めて、みなさん、よろしくお願いします。


leift / KOTARO SAITO


よろしければサポートをお願いいたします。サポートいただけましたら機材投資、音源制作に回させていただき、更に良い音楽を届けられるよう遣わせていただきます。