街の匂いとあちこちで迫られる二択の質問
街の匂い
先週末、両祖母に会いに地元に行ってきた。父方の祖母とだらだらと話し込んだ後、タリーズで水出しコーヒーを飲みながら読書をし、母方の祖母の仕事が終わるのを待った。
祖母と惣菜を食べながら祖父に献杯をし、あれこれと他愛もない話をして帰った。
特に何をしたわけでもない、強いて言えば髪の毛を切っただけの一日だった。それでも地元にふらっと帰れたし、両祖母に顔を見せることができて良かったかなと思っている。
地元に移動するために自宅から最寄り駅に歩いて向かっている時に、汚くて臭い街だなーと思ってしまった。今私が住んでいる街はそれなりに大きな繁華街もあって、普段仕事が終わって帰宅するときにも賑やかな街だ。そんな街の朝となると夜の残骸が残っている。残骸が堆積されることによって街に薄汚い匂いが染み着いている。煙草やゴミの生臭さが漂っていたりもする。新鮮な吐瀉物の泉を目にすることもある。そんな街から地元に来ると違和感のある匂いがしなかった。風が吹きそこには爽やかな夏を感じさせられた。
街の匂いというものがあるのだなと久しぶりに気づかされた。
今月は出張もなく、休日もだらだらと家で過ごすことが多かったので、街の外へあまり出なかった。だけど、それでは五感を通した季節の変化には気づけない。街へ出よう。街の外へ出よう。
アンドレ・ジッドの「地の糧」で書かれていたように。
二択の質問
父方の祖母と話している時に何となく感じた圧。AかBか、白か黒か、時折答えがどちらかしかない質問をされて答えに戸惑った。
これは祖母が自分のもの差しでしか他人を推し量れない性質にも起因していることではあるが、自身の常識の中で持ち合わせた答え以外には驚きと拒否反応を示す。自分がスタンダードだと疑わない姿勢が強い。それでも私は理由を説明しながらあなたの想像する答えではないということを伝える。
祖母だけでなく、日常生活の中で割とこうした二者択一的な問いをぶつけられることが多いことに気がついた。
「彼女はいるのか」「結婚しないのか」「車は買わないのか」「家は買わないのか」「持ち家は一軒家かマンションか」など
私よりも1回り以上年齢が上の層からぶつけられがちな質問の代表例だ。
彼らが若かった頃に当たり前だったことを今の若者にも聞いているだけなのは充分理解しているが、第三の選択肢も社会として認知されつつある中でぶつけられるとどこか違和感を覚える。
特に会社の飲み会でよく聞かれたりする(彼女云々はセクハラでは?とも思う)。適当に応えたりしつつも、私の中で明確化されているものに関しては自分なりの答えを言うと「今の若い人はそうなんだねえ」とぼやく。
ジェネレーションギャップを感じるのが分かっているのだからわざわざ聞くんじゃねえ!という声が出そうになるのを堪えながら適当にあしらう。
高度経済成長期に形成されたごく最近の"当たり前"を「ずっとこうしてきた」みたいなトーンで語られるのが基本的に好きではない。だから、年齢層上の人たちの当たり前の二者択一的問いにはうんざりする。
私たちの世代は選択肢が増えて0か100かのような単純な答えでなくてもよくなっている。だからこそ、よく考え周囲に惑わされることなく自分の答えを出していきたいなと思っている。
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