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【世界一周の学び③&人としてどう生きるか⑤アートとは、アートのあり方】

誰かの表現は、他の誰かの新たな表現のために。

ピースボートの特色のひとつ、それは「表現がより身近にある」ということ。
いつもどこかでプロのピアノ演奏がされていて、水先案内人として期間限定で乗船してくるプロフェッショナルも、アーティストが少なくない。

また、寄港地でアートを目にすることもたくさんある。

そして何より、自分たちが表現する機会も、陸にいるときと比べて圧倒的に多い。
例えば、誰でも参加できるバンドフェスやダンスフェスが開催されたり、船内で行う企画を自分で開催することができる「自主企画」もある。
自主企画で場を開いて、自分の表現をしている乗客も多い。

そんなこんなで表現に触れる機会の多かった3ヶ月半、少しばかり表現・アートというものの輪郭、手触り感が出てきた。

人がより良く生きるには、アートが大事。

(※ここで言う「表現・アート」は、絵画や音楽などの芸術に限らず、その人が心からしたいと思ったすべての活動を指します。)
そんな漠然とした感覚をこの1年くらい持ち続けてきたが、少し前に進めた気がする。

きっと、アート作品で世界を変えることはできない。
それは、アーティストが本気で届けたいメッセージは、比較的尖っていて重たく、広く広まりにくいから。
そのメッセージが意味するその周辺に、すでに関心がある人にしか届きにくい。

いや、できないは言いすぎた。
もちろんアート作品で人に影響を及ぼすことも多いだろう。
しかし、それでは届かない層には絶対に届かないような気がするのだ。

ではアートとはなんなのか、どういうものとして捉えたらいいのか。
なぜ、アートは大事なのか。

現時点での自分の結論。
それは

「1人ひとりが表現者であることが何より重要であり、すべてである」

ということ。
そしてアート・表現は、
他の人が表現者になるための、聖火リレーの聖火のようなものである
ということ。

人の本気の表現に触れると、魂が震えるような感動を覚える。
思わず胸が熱くなる。
そして胸を熱くしたその熱はそのまま、自分が自分の形で表現をするためのモチベーション、動力源になる。

そして人は、イメージできないものを現実にすることはできない。
人の表現に触れることで、自分の表現のイメージが湧くのだと思う。

ちょうど自分も、屋久島で写真家さんの写真展を見て、知り合いの写真家さんの写真展を訪れて、たまたまシェアハウスに宿泊した人が開いた絵画展に足を運んだことが、自分の写真展につながった感覚がある。

つまり表現は、自分の表現をすると同時に、人の表現を引き出すための営みなのだ。

そう思うと、表現は誰かに受け取ってもらうことで、初めて本当の意味で完成するのかもしれない。
もちろん、その人自身の手のひらの中で生まれた瞬間に、ある意味ではその作品は完成する。

しかし、表現が人の表現を引き出すための営みであるならば、生まれ落ちただけでは営みは完成しない。
然るべきたましいに届いて、その人とその作品との間に何かが起こることで本当の意味で表現は生まれ、そして完成するのではないか。

そうなるとひとつの表現だったとしても、長く触れられ続ければ、その表現は長い年月、何度も何度も完成し続けることになる。
逆に人の目に触れられない、もしくは人の心に何も生まないものであれば、そこにモノは存在していたとしても、永遠に完成しないとも言える。

しかしなぜ、「1人ひとりが表現者であること」が「人類がより良く生きること」につながるのか、まだうまく言葉にできていない。
が、せっかくなのでトライしてみた。

すると3つの理由に至った。
見出しをつけるとするとこんな感じ。

  1. 人生奪還

  2. 私の表現ではあなたに火をつなげない

  3. 人類の運命

ひとつずつ見ていこう。

①人生奪還

表現者であることが人類をより良くする理由のひとつ、
それはおそらく、それぞれが表現者になるということはすなわち、
それぞれがそれぞれの人生を取り戻すということになるから
だと思う。
なぜ表現者になることが、人生を取り戻すことになるのか。

表現を表す英語である”express”の語源は「外に押し出す」。
表現というのは、自分の内側からしか出てこない。

つまり、表現をするためには自分の中にあるものと向き合い、そのために孤独と向き合い、自分の中のいくつかのハードルを超えなければいけない。
その過程で、自分は何者なのか、何を大切にしたくて、何がしたいのかが明確になる。
人間的に、成長する。

その成長の道程で、これまで自分の行動選択の基準であったお金や固定観念、周囲の影響、などの自分ではない外的要素、そういったものから少しずつ解放されるのではないだろうか。
つまりは、「本当の意味で自分として生きる」ことにつながる。

そしてなぜこれが人類がより良く生きることの理由になるのか、それは③につながってくる。

②私の表現ではあなたに火をつなげない

人は、人それぞれ異なるメガネを通して世界とふれあう。
どんなものがその人に刺さるかは、人の数だけ異なる。

だからこそ、一人ひとりが表現者であることで、
あの人には届かないものを私は届けられるかもしれないし、
私の表現では届かないあの人に、あなたの表現であれば火を灯すことができるかもしれない。

そうやって、より広く、多くの人に聖火をつなぐことができるのだと思う。

③人類の運命

そしてもうひとつ、それぞれが表現者であることが大切な理由。
それは、それぞれの人生を、つまり自分の人生を生きるということ(①の要素)は、人類として生きるということにつながるから。

岡本太郎さんの言葉を借りると、「人類の運命を背負って生きる」ということ。
岡本太郎さんの本を読んでいても、そんな人を増やすために活動していたことが伺える。

本当の意味で自分の人生を生きるようになると、それまでとは違った、自分自身の開いた目で世界を見ることになる。

自分の人生さえ、半分他人事のような感覚で生きているとしたら、世の中の問題など別の星の出来事のように感じるだろう。
人生を奪還することで、なんとなく流れで生きていたり、お金のために生きていたり、合わせて生きている時には生まれえない、この世界に生きる一員としての自覚が生まれる。

言うなれば、
きちんと「個」になって初めて「全」とつながることができる。

これまで気にも留めなかった世の中の問題も、自分ごととして取り組む意味を見出せるようになる。

今の自分に思いつくのはこの3つだが、語りきれない感覚はまだまだある。
今の社会で、もっとそれぞれがそれぞれの表現をできるようになれば、世の中は絶対に良くなると思う。

自分は、これからさらに表現を大事にして生きていく。
そしてそれらを通じて、表現を広めていく活動をしていけたらと思う。

そして、自分の表現がちゃんと表現として生まれ、完成できるように、届けていく努力もしていこうと、この文章を書いていて思えた。
99%の人にバカにされたとしても、たったひとりの胸に絶えることのない聖火をつなげたのなら、それだけで私が生まれた意味は十分にあったと笑って死ねる。

この文章も表現のひとつ。
ここまで読んで、受け取ってくれた方がいたら、ありがとうを伝えたい。

ありがとうございます。

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