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【人としてどう生きるか ④よく動きよく学べ】

私たちは、私たちの中にもう一つの世界を持っている。
現実に存在する世界とは別の、「私たちが脳の中で認識している」世界。

今日はその世界のお話。

事実として存在する世界がひとつであるのに対して、私たちがそれぞれ持つ世界は誇張ではなく人間の数だけある。

そして、人間が引き起こす全ての問題は、そのそれぞれの世界が原因だと言っても過言ではないと思う。

例えば、
・戦争なんかはそれぞれの世界の中の正義が違うことで起こるし、
・企業が他国の労働者や自然環境から過剰な搾取を行うのは、その企業の意思決定者の中の世界から現地のことが除外されていたり、その人の世界の中でお金の比重があまりに大きかったりといったことがあるように思う。

何が言いたいのかというと、
「私たちの頭の中の世界を現実の世界に近づけていくこと」は、人がより良く生きていくためにめちゃくちゃ大切なんじゃないかということ。

極端な例えになるが、世界の行く末を左右するボタンを、
・「家から出たこともなくて社会のことも世界のことも知らない人間に託す」か、
・「世界各地を見て周り、勉強を続けて現代の問題やその原因に向き合っている人間に託す」か、
どちらがいいかと問われたら、きっとほぼ全員が後者だと答えるだろう。

私がここで声を大にして言いたいのは、
私たち全員が小さいながらもその世界の行く末を左右するボタンをその手に持っているということ。

「人間のお金の使い方はある種の投票行為だ」

なんて時々聞くが、お金の使い方どころか、人間の行動全てはある種の投票行為であると思う。

例えば
・就職活動だったら、若者がどの産業にどのくらい就くかでこの国の未来は大きく変わるし、
・どこに住むかだってそうだし、
・どんな時間の使い方をするのか、ゲームして過ごすのか本を読んで過ごすのか、
・ネットでネガティブなことを吐くのかポジティブな影響をもたらそうと発信するのか、
・他者の悪意ある言動に対し笑いながら同調するのか、自分の姿勢を示すのか。

それぞれ意識していようがなかろうが、全ての行為は「あなたはどんな世界を望むのか」という内容の投票行為だと思っている。
私たちの世界は、私たちの行動によって形作られるのだから。

1人の人間が変わったところで、世の中は大して変わらない。
それは確かだが、それが100万人、1億人になったら世界は、日本はどうなるのか。
その100万人は、たった1人の積み重ねであることを忘れてはいけない。
何より、私たち自身がその1人であることを、忘れてはいけない。

そして、本当に世の中を良くしていこうと思ったら、その世界を変える小さなボタンを持っている私たちがどれだけ今の世界を正しく認識するかにかかっている。

そのために、良く動き、良く学ぶことが不可欠であると感じている。

動くだけでも、学ぶだけでも足りない。
両方行うことが大切である。

まず動くことについて。
先日対談番組を見ていたら、こんな言葉を耳にした。

「世界平和を成し遂げるのは、観光だと思う」

なるほど、と思った。
確かに、観光に行って好感を持っている国と戦いたいとは思わない。
人間の行動を変えうる、その「好き」という感情・執着は行動がもたらす。

しかし、旅番組を見ているだけでは、なかなかその感情は生まれない。
やはり人間にとって生の体験は大切である。
つまり体験、動くことは感情を動かすことを意味する。

しかし、体験するだけでは足りないことも多い。
例えば、田舎に観光に行ったときに過疎化と高齢化を実感して、何かしたいと思ったとしても、そのまま闇雲に行動しては的外れなことをしてしまうことが少なくない。

そこには、現地だけでは見えない原因と複数の要因が絡み合っているから。
物事をより良くするための選択には、もっと俯瞰した視点が必要になる。
そしてそこを補うのが学びである。

体験というひとつの起点の周りに、網の目状に知識で物事を繋げ、全体の俯瞰を可能にする。

しかし逆に学びだけでは、実感と感情のない網の目が出来上がるだけで、そこにたいして何かしたいとか、自分の行動を変化させるだけのモチベーション、「熱」が生まれない。

つまり、「熱」を与えるのが「体験」で、その熱を正しく届けるための「俯瞰・道」を作るのが「学び」である。

行動と学びの効用はそれだけではない。
「今自分が置かれている状況、環境を正しく把握する」という、選択を変える以上に大切な効果もある。

例えば豪華客船に乗っていて、窓のない自室でイヤホンをして音楽を聴いていたら、船が沈もうとしていることにも気がつかないかもしれない。

他の言い方をするならば、青以外の色を知らなければ青がどんな色をしているのか真に知ることはない。

良くわからない例えを繰り返してしまったが、何が言いたいかというと、
「日本、東京、もしくはとある田舎にずっといて、学ぶ意識がなかったら、日本や東京、とある田舎がどんな場所で今どんな状況であるか、把握するのは難しい」ということ。
もう少し違う目線に変えてみると、
「他者と関わるのを避け続けたら、自分がどんな人間か永遠にわからない」とも言える。

私自身、オーストラリアで生活してみて、日本に来る様々な国からの外国人と話してみて、そして日本の経済状況について少し勉強してみたことで、日本の状況が以前と比べると肌感覚で掴めた。

田舎で仕事をしながら車で周辺を回ってみて過疎化と高齢化を実感し、本を読んで日本の問題、危機的状況の情報に触れることで、危機感がはっきりとした。

どんな世界も適者生存。
幸い人間は自分や環境を変えることで、自分を「適者」にすることができる。
自分が「適者」になるには今の状況や環境を把握しないことには始まらない。

そういう意味も含めて、「人としてより良く生きるにはシリーズ」の4番目は「よく動きよく学べ」にした。
別に誰も待っていないだろうが、個人的にはこのシリーズを書きためることに意味と面白さを感じている。笑

20くらいたまったら紙媒体にしてみたい。

久しぶりに書けて満足です。
おやすみなさい。

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