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八百万の経験

こんにちは。

このnoteで占星術について書きはじめて3ヶ月ほどがたちました。

私が占星術について学びはじめてからは10ヶ月ほどがたちました。

それなりの期間です。
その間、28歳という年齢に相応しく、なのかはわかりませんが、私という人間の人格や価値観、人生、目指す生き方について色々と考えることができました。

それには、日々の生活や仕事、いろんな出来事や、人との交流はもちろんのこと、占星術について学び考える時間からも大きく影響を受けた実感を持っています。

占星術は自分や人生についての豊富で鮮やかなイメージを与えてくれるものですので、あるいは当然のことなのかもしれません。

それとも、純粋に好奇心を満たしてくれる新しい分野との出会いが、新たな気づきを与えてくれただけのことなのかもしれません。

いずれにせよ

私は占星術が私の価値観や生き方に影響を与えたという事実に対してわくわくや驚きの気持ちがある一方、ある種の恐れのようなものを抱いてきました。

それは、この燃え上がる好奇心が、無知や未熟さから生まれたものなのではないかという恐れであり、また、これは私の目指すもの、求めるものからの逸脱なのではないかという恐れでもあります。

占星術が、私や私の関わる人々、人類にとって価値のないものだったら、どうしよう!というわけです。

そういうわけで、「占星術について考えたり、話したり、表現したりする時間がいかにして私や人々に価値をもたらすのか?」という命題がしばらくの間、パソコンの画面に現れるアラートのように、私の意識の端に点滅し続けていました。

それが、私が今現在、占星術についての具体的な知識の探索に及び腰であること、すなわちこのnoteをあまり書き進められていない理由です(実際のところは、資本主義ゲームに意識を集中せざるを得ない近頃の状況が大きいかもしれませんが)。

もちろん、そんな難しいこと考えずに楽しめばいいじゃない!という一言で片付けることもできますが、私は占星術に「楽しい」以上のものを求めていますし、もっともっと楽しくあるべきだという想いもあるので、そう簡単には片付けられないのです。

占星術に意識のリソースをこんなにも捧げて、世界観や考え方に大きな影響を受けてしまった以上、私にとって占星術にどう価値を見出していくかは死活問題になります。

冗談めかしてあえて大袈裟に書きましたが、要するに自分のやってること、好きになったことを自信を持って肯定したいのです。

これこそがこの記事のテーマです。

では始めます。


まずは日本の神様をとっかかりに話をはじめ、9月のとある出来事をきっかけに得たインスピレーションから、最終的に占星術へのやんわりとした肯定へと結び、この記事を終わりたいと思います。

要するに長い雑談です。暇つぶし程度に読んでいただければありがたき幸せです。





先日、父と長野県にある古い大きな神社を巡って参りました。

これまで、私は父と二人きりでの旅行というものをあまりしてこなかったのですが、この時はたまたま二人とも時間があって、私がどこか自然と触れ合えて神社のある土地に行きたいと急に思い立ったので土曜日の夕方に車を借り、車の中で宿を取り、沈み行く太陽を追いかけるようなかたちで西へ西へとアクセルを踏んで、その日の夜21時ごろには湖のほとりの宿に着いてしまいました。

父の牡羊座の天体たちと私の射手座太陽アセンとのトラインのもたらした弾丸旅行とでも言えましょう。

チェックインを済ませてからは、夜の散歩に出かけ、うどんを食べて、温泉に入り、二人で煙草をふかしながらYouTubeで日本神話についての動画を観てあれこれと意見を述べ合いました。

このとき、わたしの関心は日本の神様に向いていました。たとえば、古事記にはたくさんの神様の名前が出てきます。

アメノミナカヌシノカミ
タカミムスヒノカミ
カミムスヒノカミ

から始まって、

ウマシアシカビヒコヂノカミ
アメノトコタチノカミ
クニノトコタチノカミ

などなど、えんえんと神様の名前が羅列されています。

冒頭だけでなく、物語が進んでいくなか沢山の神々が登場します。

まさに八百万の神といった感じです。
私は日本神話やそれに関連する歴史についてはほとんど無学です。

ですが、日本最古の歴史書と呼ばている古事記にこんなに多くの神々の名が出てきているということから、

日本には昔から、人々に神として崇め畏れられた存在が沢山いたということ。

そして、歴史を後世に紡ぐ立場にある者たちが、その神々の名をあげ、物語の中に収めることを重要視していたということ。

が想像できます。

八百万の神は存在し、力のある者がそれを重視していた。

つまり、日本では神という存在が人々に大きな影響力を持っていたわけです。当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、私にはまず、この事実がとても新鮮に思えました。

では、神は人々に対してどんなふうな影響を持っていたのでしょうか?

少ない知識をつぎはぎして私なりに想像力をはたらかせて整理をしてみると、日本において神が影響力を持つに至った経緯とは、こういうことなのではないかと思っています。

まず石器時代、狩猟採集の時代の人々は、自然の恵みや脅威、不思議な出来事、因果、五感から感じるエネルギー、死後の世界、目に見えない力を畏れ、崇めた。そしてそれをカミと捉えた。

日本列島は、実に多様な自然の恵みや脅威が溢れ、言ってみれば、人々に、良きも悪しきも、多様で豊かな経験を生むポテンシャルのある土地だったはずです。

考えてもみてください。この列島に広がる風土や自然環境の多様さ、私たちの踏む土のずっと深くに活発に活動するマグマの力を。そこに暮らす感受性の豊かな人々のことを。

人々は、そんな環境でさまざまな事象をカミに置き換えていった。やはり人には、物事を、意識なり、霊魂なり、アニマなり、そういう人の核心にある性質と共通の何かをもつ存在に置き換えることでこそ把握できる世界があるのでしょう。

このアニミズム的な世界観については、八百万の神だけでなく、アイヌのカムイ、ラスコーの洞窟壁画やネイティブアメリカン、世界各地の神話にある様々な逸話など、私の知る限りでも、想像力を掻き立ててくれる素材が今もたくさん残っています(本当はじっくりと体系的に勉強してみたい)。

さて、日本におけるカミと人との関わりにはその後二つの大きな変化があったのではないかと思います。

一つ目は、農耕による変化です。農耕が始まったことで、人々と自然、宇宙との関係性が大きく変わり、人々は新たなカミを生み、新たなカミの力を意識するようになりました。

二つ目は、国ができたことによる変化です。人々はどの国に属し、その国の主による支配がどんなであるかによって、自らの生命が左右されるようになりました。すると、自然を司るカミよりも、国や支配者、その一族、国を発展させ、庇護してくれているカミの重要度が増してきます。

このように原初のアニミズム的世界観から始まって、カミと人々との関係性に大きな変化を経ながら、農や政や戦、テクノロジーの発展に伴い、大きな国、強き国が、小さき国、弱き国を吸収してひとつになってゆくなかで、仏教や文字の伝来も重なり、カミは古事記に記述されているようなかたちで体系化されていった。もちろん、八百万の神すべてにこの変化の流れが当てはまるわけではないでしょうが、すくなくとも、カミを扱い、記録する立場の人々は、彼らなりの意図を持って古事記的にカミを捉えたのでしょう。


宿で日本神話についてのYouTubeを見ながら父と会話をしていくなかで、私はカミに対してこのような認識を持つようになりました。

そして、翌朝から歴史の古い神社を巡ることがとても楽しみになりました。



その神社は湖を囲うように二社四宮が鎮座されており、私たちはそれを車でひとつひとつ巡って行きました。

ひとつひとつの社殿には御柱と呼ばれる大きな木の柱が四本建てられており、私たちは巡る度、その御柱のひとつひとつを拝みました。

私も父も特に信心深い人間ではありませんが、祀られている神様を拝むことがとても気持ちよく、私たちは歩いては拝み、拝んでは歩きを繰り返しました。

父のする、深々とした礼や、パンッパンッという大きな柏手が何となく、いいな、と思い、私もそれに負けじと、拝礼のイデアを求めてお祈りを捧げました。

社殿や御柱だけでなく、境内にある御神木や御影石など、目についた御神体とおぼしきものには、片っ端からお祈りを捧げました。

最初の方は父と二人で楽しく会話をしたり、雰囲気についての感想を述べたり、感動を共有したりしながらまわっていたのですが、いつのまにか二人ともまるで取り憑かれたように、お辞儀をし、手を叩き、またお辞儀をし、を各々のペースで繰返し、満足してからようやく合流するようになりました。

父の拝み方が、拝礼のイデアに限りなく近い、実に美しいかたちに仕上がってゆく姿を遠目に眺めながら、自分の拝み方のぎこちなさに悔しさを感じながらも、大事なのは心から感謝と敬意を捧げようという心意気、無為自然、そして私らしい拝礼を全力で捧げることだ!との境地に達した頃に、全ての御神体への拝礼を終えました。


車に戻る道すがら、ふと、ここまで狂ったようにお祈りを捧げた私たちは、いったい何に対して、何を求めて、何をやっていたのだろうという疑問が湧いてきました。

その神社に祀られた神様に祈ったのだ、それ以上もそれ以下もない。と言ってしまえばそれまでですが、どんな力が私たちをそうさせたのでしょうか?

そのことについて閃きが舞い降りたのは、帰り道に立ち寄った湖のほとりの鰻屋でのことでした。

蒲焼の香りに誘われて何となく入ったお店でしたが、この土地は昔から美味しい鰻で有名らしく、鰻が大好物の私たちにとっては思わぬ幸運でした。

お店に入り、注文を済ませ、私たちはふうっとひと息つきました。

卓上に現れた肝吸、お新香、玉手箱のように輝く鰻重。

一口食べて、私は美味しさのあまり、思わず神社でそうしたように手を合わせて祈りを捧げました。

この美味しさと、喜びに満ちたこの経験に。

そしてその経験を与えてくださった鰻の生命に、こんなにも美味しい鰻重に仕上げてしまう鰻屋さん、ここまで脈々と受け継がれてきたその技術や文化、そしてこれら全てを与えてくれた自然の恵みと人の営みに。

そしてその時、これこそが、神への祈りの原型だと感じました。

生命の営みの根底にある、この偉大なる循環、流れ、それを司ることわり、言葉にし難い圧倒的な力、八百万の神への感謝と畏敬の念!
それこそが、私たちをあんなふうに拝礼させる力なのだ。

大昔の人々も同じだったはずです。
神様が私たちの生命を輝かせるたくさんの経験を与えてくださった。美味しい鰻が輝く小川、毎年豊かな獲物を恵んでくださる山や森、冬を越すに十分な作物を育んでくださる雲と太陽によってもたらされる、美味しい、幸せだ、安心だ、楽しいなどの経験。
それを昔の人々は、遠く自然から離れ情報に溢れた都市に住む私たちよりもずっと高い解像度で実感していたはずです。

同じように、生命を死へと導く力、怖い、憎い、苦しい、悲しい、そういった「経験」を心の底から恐れたことでしょう。

だからこそ人々は、美味しい、幸せだ、安心だ、楽しいなどの「経験」を恵んでくださる八百万の神にともに喜んでもらおうと、そして八百万の神が怖い、憎い、苦しい、悲しいなどの「経験」を人々にもたらさず、穏やかに安らぎとともにあられるよう、当時の知的霊的才能を総動員してあらゆる工夫を凝らしたのでしょう。

人々は「八百万の神」を通してを生命を「経験」していた。
極端ですが、こう言うことができるかもしれません。

では、現代に生きる我々は、いったい何を通して生命を「経験」しているのでしょうか?

安心だ、幸せだ、楽しい、苦しい、憎い、怖い。こう感じた時に、我々は何と繋がっているのでしょうか?

もはや神々ではないとすれば、一体何でしょうか?

おそらく八百万の答えがあると思います。
それが今という時代の素晴らしいところのひとつです。

ですが、現代に生きる多くの人々は、そもそも何かを通して「生命」を「経験」しているということを自覚すらしていないのではないかと思います。

それは、もしかしたら私たちが、「生命」であるというこの「経験」その一切を還元できる偉大なる循環や流れ、それを司ることわり、言葉にし難い圧倒的な力。そう言ったものの存在を特に感じていないし、重視もしていないからなのかもしれません。

しょうがないですよね。そんなものなくたって楽しく生きていけるわけですから。

ただ、私は何かそういうものについて思いを巡らせ、それにときめいたり、感謝したり、畏敬の念を抱いたりできたらいいなと思います。さらに、できることならそれを自分なりに表現して、共有したい。

そして占星術という体系がそれを助けてくれる可能性のある限り、私はそれに価値を見出していきたい。

そうんなふうに思っているのです。

ふう、なんとかこの記事の結論である「占星術へのやんわりとした肯定」に行き着くことができました。

書いていて、途中から、おやおや、これは一体どこに向かってるんだ?と少々不安に思っていたので、一安心です。

たとえ八百万の神が普遍性を失い、人々から畏れ敬われなくなっても、私たちが「生命」を「経験」するという真理はあり続けますね。

八百万の経験は、ただそこにあり続けるのですね。

ヨカッタ、ヨカッタ

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