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今しか見れない光景を見に観光客が殺到する南極 | 今週気になったトピックス

昔は、探検家達が、決死の覚悟で挑んだ南極大陸。
しかし、今は観光として安全に訪れることのできる場所。

また、昨今の地球温暖化の影響で、南極の氷が溶け始めています。

そして、「氷がある南極を見れるのは今しかない」と、
そういう貴重性を旅行会社が謳い、観光客が殺到しているのだとか。

中国の観光客が巨大なクルーズ船からゴムボートに乗り換えていた。遠くで、氷河が海に崩れ落ちる音がした。ザフィーロは物憂げにこう言った。

「これが目の前の現実。観光客で溢れかえった湾と氷河の崩壊」

彼女は、気候モデルが悪循環に陥っていると話す。

観光客の多くは、大陸の方。南極に、それほど近いとは思えないし、よく行くなぁと思うわけですが、長時間の移動もなんのそので、僻地にまで行ってしまう。

当然、飛行機と船での移動で、温暖化ガスが生じてしまい、将来の南極にも影響してきます。

仲間の若いドイツ人のカローラ・ラケテが「ソラスタルジア」の話をした。

「ソラスタルジア」とは、哲学者グレン・アルブレヒトの造語で、目の前の美しい自然が環境破壊で失われてしまうと思い、先回りして喪失感に陥ることをいう。ラケテはこう説明する。

「次に来たときは見る影もなく変わっていると思うからこそ、楽しめる。喪失の予感がついてまわり、悲しくなる」

南極では、ソラスタルジアの念から逃れられない。

自分たちの行動が、目の前の光景に影響を及ぼしているわけですが、それがまた、その光景の価値を生む。簡単に言えば「悪循環」。


しかし、こういうのは南極に限らず、起こり得ることだと思います。

何年か前に、オーストラリアを訪れたとき、先住民アボリジニのアートショップがあって、店の前で、裸に近い格好をした先住民が、民族の伝統楽器ディジュリドゥを演奏していました。この部分だけ見ると、先住民アボリジニの雰囲気を感じられました。しかし、夕方になると、その先住民の担当時間が終わったのか、Tシャツなどの姿に着替えて、街の中に消えていきました。結局、先住民のようには暮らしてはいなく、あくまで演出での話。オーストラリアの奥地に行けば、昔のように暮らしているアボリジニもいるでしょうが。

南極のような環境への影響だけでなく、僻地への文化の襲来というのも、似たような結果になりえます。素のままの光景や文化に出会うことを求めるニーズに応えるため、いわゆるテーマパーク化していく感じです。