仏教学のゴシップ戦

仏教学の世界で騒がれた馬場清水問題であるが、
ここにきて馬場先生が申し入れをしたそうである。
本件については清水先生がアカハラ被害者として告発することで大いに注目を集めた。

しかしながら聞くとこによると仏教学界内で馬場先生の責任を問う者は皆無である。
世間では馬場先生の一方的な噂話が取り上げられるだけで、その真偽についても、その理由についても未だ明らかではない。清水先生のツイッターでの攻撃性を見れば、普通に考えて一方的な被害者だったという性格ではなく、馬場先生にも何かしらあったのではないかと思う次第である。本来であれば当事者同士の話し合いや裁判によって決着をつければいいだけなのだが、それをせずに騒ぎ立て、結果として書籍の広告として大成功しているのは清水先生と出版社である。
東大でも印仏学会でも問題視され聞き取り等の調査がされたことは聞いているが、結論として馬場先生に問題がなかったということになろう。

清水先生からの情報発信が強烈なために学界外の人々はそれに煽られて大いに書籍の売り上げに貢献しているようだが、このような形での研究成果の発表については個人的には疑問である。いずれ出版社や編集者の倫理や社会的責任が問われるべきであろう。
佐々木閑先生など極一部(もしかしたら一人?)の学者が清水氏を擁護しているが、私の聞いてる限りではそれ以外ではいない。
東大や印仏学会にも問題がある。
ここまで注目を集めてしまったのであるから、何かしら声明文を出してもいいだろう。
それでも双方が違うと主張するのであるならば、当事者同士で話し合うか、裁判でもすればいいと思う。
本の後書きで暴露し合うなど低俗の極みである。

清水先生についてはよく存じ上げない。
『業論の研究』は素晴らしい研究であるというのは仏教教理を研究している関係者からよく聞いていた。
最近の著書等については、いたるとことから「歪曲した引用が目立つ」という旨の評価を聞いている。
「そんなこと言ってないのに、そう言ってると引用されても困る」といった思いがあるのだろう。
なるほど。自由に先行研究を決めつければいくらでも革新的な書物はできる。
だが、これは単なる負け惜しみの可能性もあるのかもしれない。
けれども私でも読める最近のちくまから出した本については、著者の斬新な研究成果を誇張するために、先行研究を歪曲して捉える傾向があるように思う。

他人を無闇に小馬鹿にしたりするのは良くない。
本を出版するたびに誰かを攻撃するようなこともあってはならない。
あのような端書きや後書きを書くような本を世に出す出版社もよく考えなくてはならない。
一番驚いたのはこのような噂話の暴露を仏教好きの読者が受け入れていたと言うことだ。学者の質が下がれば、読者の質も下がると言うわけであろうか。反省しなくてはならない。

数年もすれば評価も落ち着くと思うが、ひろく世の中に仏教について知ってもらったという社会的な意義があったとしても、学術的意義は未知数である。先行研究の取り扱い方が不安定である以上、誰も参照しないのではないかと思う。

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