書き初めと言葉の意味

冬休みということで、息子は書き初めの宿題があったようです。お題は「将来の夢」

僕は子供の頃から、書き初めのお題や教室に教室に貼ってある標語めいた言葉に違和感がありました。その違和感を思い出したので、そのことについて書きたいと思います。

「明るい心」とか書かされたり貼ってあったりするじゃないですか。黒板の上とかに。

明るい心ってなんだよ、と。
今にして思うと
「明るい心」とは何か(意味・定義が不明)
「明るい心」をどうすればよいのか(活用・運用が不明)
「明るい心」をどうしたらどうなるのか(結果・目標が不明)
というところにモヤモヤしていたのでしょう

意味の込められてない言葉を掲げたり繰り返し書いたりするのは、言葉を薄めることになります。これならば、「チンピロスピョーン」など、元から意味のない言葉を書いたり掲げたりする方が、無意味という意味や、意味はないが語感がある分マシです。

小5か小6の時、「悲惨」という言葉を習い、クラスで「悲惨」という言葉が流行ったことがあります。先生がこれから漢字テストですと言うと、「うわー悲惨だー」と言うような感じです。なんでもかんでも使っていたために、見かねた先生が、「悲惨というのは戦争とか本当にどうしょうもない状況を指して使うものですよ」とたしなめました。

言葉は生き物で、変化は避けられません。表現というのは自然とインフレし、意味は希薄化します。だからこそ、使う側が気をつけないと、使える言葉がもうない、ということになってしまうと言うことでしょう。

書道は全く分からないのですが、「将来の夢」という文字は「とめ・はね・はらい」などがバランスよく内包されている単語なのでしょうか? デジタルフォント、特にゴシック体系ではこれらの情報は失われがちなので、漢字本来の字形を知る意味で書道には一定の意味があるとは思います。ですが、繰り返し書かせるのであれば意味のある言葉にして欲しいものです。

将来の夢というお題で、それぞれがなりたいものを書くなら心もこもるし良んさそうですが、「野球選手」や「寿司職人」ならともかく、「YouTuber」とか毛筆で書いても書道の役には立たなそうですね。


というわけで、今年も些細な違和感を大事にし、記憶や経験を繋ぎながら妄想妄言を紡ぎ出していきたいと思います。

プログラミングを学ぶと、機械が苦手とすること、可能だがかかって時間がかかることもわかる気がします。比喩や例え話もその一つではないでしょうか。プログラミングは引き続き学び自動化できることは自動化しつつ、人間がやった方がベターな領域も磨いていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。




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