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大学に向いていないのだろうかと考えた

 最近の、コロナ禍のせいなのだろうか。難しい学科に所属されたからだろうか。私は大学の授業についていくこと、課題をこなしていくことが今年になってから非常に難しくなった。

 ずっと家で、ずっと部屋で、ずっとパソコンを見つめ、顔さえ映らない文字列と少々の画像と音声でできた授業を見て、動画の終わりに指定された課題を、指定された時間までに部屋で、一人でパソコンで書き、パソコンのウェブサイト上にアップロードする。毎週毎週同じルーティン。初めの週は問題なく授業を受け、課題を提出できた。

 2週目になってすぐ、そのリズムは崩れた。授業通りの時間に動画を見なかった。むしろその日のうちに見るのがやっと。課題は期限ぎりぎりに慌てて不完全なものを提出。そして一番大きな存在感を放つ実験レポート。


 そう、この実験レポートに私は狂わされていた。


 一度でも提出しなければ落単であり、尚且つ落単すれば即留年の授業、実験である。月曜日の朝9時が提出期限のそれを、私は日曜日の夜に始め、寝ずに踏ん張って書いていた。そのせいで寝不足なまま一週間が始まり、精神状態が不安定なまま週末を迎える負のサイクルが始まっていた。

 この2週目に最初の事件が起きた。指定時間内の資料ダウンロードを忘れ、オンライン実験の授業が欠席扱いとなったのだ。普通ならば実験の授業を休むなどもってのほか、一気に落単へと近づく恐怖の一歩である。幸い今年はオンライン授業の制度により他の生徒も混乱があり、一つの欠席は大きな影響を与えなさそうであることがわかった。

 しかし4週目、さらなる失態を侵すこととなった。レポートの提出ができなかったのである。レポートなど、まあ、普通に考えてすればいいだけのものである。その日曜日もいつものように徹夜でレポートを完成させようと意気込んでいた。だがそうは行かなかった。以前の欠席レポートや、適当にこなしてしまった他のレポートの減点によって落単するのではないかと怖くて怖くて、新たなレポートが手につかなかった。

 あほみたいな話だが事実である。

 次の週もうまくレポートが書けず、その次の週になった。今週である。今週のレポートは一番難しくて時間がかかると噂の実験である。恐怖。私はなんとかこなそうといつもより少しだけ頑張り、平日中に少し授業動画を見たり、実験レポートの始めの文字を少し書いたり、自分なりの努力をした。

 そして今日、日曜日になって私は絶望感を味わうことになった。その努力ではもちろん足りていなかった。知っていた。日曜日に絶望を味わいたくなくて土曜日に一生懸命Wordと向かい合った。だというのに、ここではすでに1000字書けているのに、そのWordでは見つめ合っても1文字も書けないまま土曜日の夜と、そしてそのまま朝を過ごした。

 このままでは明らかに留年。このレポートとさらに先週の分の書き直しがあるというのに。来週はさらに自分の欠席分を補うために二つのレポートがあるのに。その次の週にはまだ提出できていなかったレポートをやる予定なのに。未来は詰め詰めだった。今、今週分をしっかりこなせなければ来週の分もそれ以降もできるわけがない。日曜日の夜、今、ほとんど進んでいないWordの文書にこうして自責しているのである。そして、こんなことを考えていたのである。

 私は大学に向いていないのだろうか。

 他のみんながこれらをこなせているのならば、こなせていない私は、留年するであろう私は、このまま苦しい拷問のような課題に追われる生活を続ける必要があるのだろうか。

 こうして私がnoteを書いている間にも締切りが近づいてきている。もう、どうしようもないのだ。

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