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振り返ると、いつもそこにカメラがあった。

ついこの間、Twitterを見てたらこんなツイートが流れてきた。

写真を始めた理由…。
あんまりちゃんと考えたことが無かったけど、なんとなく面白そうだったので、理由を考えてみた。

そんなタイミングで、noteのタイムラインに出てきた、ぽんずさんのnote。

なんの因果か、ぽんずさんとは不思議といろいろタイミングが合う。なんでだろう。笑

僕はぽんずさんほど明確なタイミングがあって写真を始めたわけじゃない。

上に乗せたツイートへの僕の返信がこれだ。

振り返ってみると、いつもそばにカメラがあった。

✱ ✱ ✱

幼稚園の時、小学生の時は、自分では写真を撮らなかったけど、親父がいつだってビデオカメラを回してた。運動会が終わった夜、そのビデオを見たがったのをハッキリ覚えてる。

当時はまだカセットテープみたいな、VHSの小さいやつみたいな、ミニテープがカメラに入っていて、それにデータが入ってる。ダビングもしてないから、そのテープのまま実家の戸棚にしまってある。

日本に帰ったらダビングしてあげようかなぁと思いつつ、テープ自体に思い出があって、わざとしないのかななんて、親父の想いを想像したりする。大人になったもんだ…。

ボクの記憶が正しければ、小学5年生の林間学校の時は「写ルンです」を使ってたと思う。当時は「バカチョン」って言ってたけど、今はそう呼んじゃいけないんだってね。

✱ ✱ ✱

小学6年生の時、親父がSONYのコンパクトデジカメを買った。ヤマダ電機だったと思う。一緒に買いに行ったのを覚えてる。下にスライドするとレンズが出てくるやつ。「これがカッコイイ!」っておねだりした。ちなみに、僕に買ってくれた訳ではなく、親父が使いたいからだったと思う。機種名は忘れちゃった。

そんな大事なカメラを、修学旅行に持っていかせてくれたも覚えてる。写ルンですとは違う高画質な写真にワクワクして、しかもたくさん撮れて、ディズニーランドでめちゃくちゃ撮ったような覚えがある。

✱ ✱ ✱

中学3年間もそのコンデジを使ってた。中学の修学旅行で行った、京都・奈良の写真もめちゃくちゃたくさん撮ったんだよね。その時のデータはどこにあるのか分からないけど。笑

✱ ✱ ✱

高校2年生の時、修学旅行前に一眼レフを買ってくれって親父にお願いしたのを覚えてる。家族で使うことを条件に、しぶしぶ承知してくれた親父も、ヤマダ電機に一緒に行った時はノリノリだったような気がしている。この時には僕もなんとなく、カメラが欲しいなって思っていたらしい。

その時に買ったのは、やっぱりSONY。親父のSONY好きもここまでのものかと思ったけど、しっかりとその血を受け継いでいるのがこの僕だ。(昔のビデオカメラもSONY、テレビもSONY、パソコンももちろんVAIO)

SONY全盛期を生きた親父だから、ミノルタを買収してカメラ事業に力を入れてたのも知ってたのかな。だからαを選んだのだろうか…しらないけど。笑

「α300」という機種だった。当時は最新モデルだったこいつも、今はもう当然廃盤。10年選手のAPS-Cカメラだけど、キットレンズの18-50mmと共に、実家では未だに現役機。俺も物持ちがいいけど、そこもしっかり親父の血を受け継いだらしい。(いや、さすがSONYか?笑)

閉店時間を過ぎてから、お会計を終えた僕らはウキウキして家に帰った。キットレンズをはめて夢中で撮った。

当時のSONYはSDカードが使えなくて、memory card Duoか、コンパクトフラッシュだった。Nikon・CanonはSDが使えてたはずだから、SONYのソニー製品しか使わせないその姿勢に、カッコイイななんて思ってた。

どちらも、今のSDに比べると高くて、10年前はそんなに買えるものじゃなかった。ちなみに、当時のコンパクトフラッシュも未だに現役で頑張ってる。データをパソコンに移しながら。きっと実家に行けば、僕の当時の写真も残ってるはず。

そんな親父の大切なカメラを高校の修学旅行に持っていった。修学旅行にそんないいカメラを持ってくるやつはいなくて、ほかのクラスにもう1人いただけだった。もちろんクラスの友達からは、はやし立てられたけど、すごく居心地悪かったのを覚えてる。

静かに写真撮らせろ!って思ってた。

そんな修学旅行で、僕はカメラのモニターを壊してしまった。正確には、琉球ガラス体験の時、荷物置き場にカバンと一緒に置いといて、戻ってきたら、モニターが映らなくなっていた。

もちろん親父は大激怒。幸いSONYの保証が効いたので無償修理をしてくれたけど、その後僕がそのカメラを使うことは無かった。

✱ ✱ ✱

高校を卒業後、専門学校に進んだ僕は、どうしても自分のカメラが欲しかった。バイトをして買おう!なんて出来た子供じゃなかったから、当然親父におねだり。

一眼レフを壊した前科があったし、お前には贅沢だ!と言われ、買ってもらったのはコンデジ。やっぱりSONY。HX5Vという機種だった。初めて、「自分だけのカメラ」を手にした僕はずっと持ち歩いていた。

初めて出来た彼女の写真も撮ったし、19歳の時に始めた旅でもいつも相棒になった。

✱ ✱ ✱

初めての彼女と横浜デートかなたぶん。笑

卒業旅行で行った茨城の海。

西日本1周で立ち寄った淡路島の海

西日本一周で立ち寄った鳥取砂丘

西日本一周で立ち寄った、京都の天橋立

✱ ✱ ✱

これらが当時の写真。下の3枚は、のちに「レタッチ」を覚えてから加工したものだと思う。元データはなかった。それでも、構図もシャッタースピードもF値の知識も無かった当時を思うと、なかなか良い写真じゃない?って自画自賛。

そして20歳で就職してから、頑張って貯金をして、その年の12月、初めて自分のお金でカメラを買った。向かった先は、銀座のSONYビル。「α65」と出会った。

こいつは本当に名機だと思っていて、2012年〜2018年まで6年間使い倒した。振り返るとたった6年なのに、小さい頃からずっとそばにいてくれたような、そんな気がする。今は実家で大切に保管してる。俺の大好きな相棒。カメラの面白さを教えてくれたのは、まぎれもなくこいつ。あぁ、65大好き。

それからは、どこに行くにも連れてった。九州、再びの近畿・中国地方、北陸・東北一周もこいつだ。そして、台湾、パリ、ベルギー、オーストラリア。全部こいつと行った。何万枚撮ったか分からない。

富士山も何万枚も撮ったし、当時大好きだった彼女も京都で撮った。オーストラリアワーホリでも1年目を共に過ごしたのもこいつだ。

HX5Vとα65の奇跡の共演。カメラを買ってきたその夜のことだったなぁ。懐かしい。カメラと一緒に35mm単焦点を買った。こいつに鍛えられたなぁ。ずっと単焦点しか使ってなかった。

写真って思い出だね。だいすき。

✱ ✱ ✱

河口湖。富士山にはまってた。

パリの街並み。また行きたい。

台湾の九份。三脚立ててがんばったよ。

飛騨高山も好きだなぁ。

愛媛の下灘。きれいだった。

Australia Noosa

オーストラリアの初めてのひとり旅。一緒にいてくれたのはα65だった。

✱ ✱ ✱

そして、去年の9月。ずっと欲しいと思っていた、新しい相棒を手に入れた。それが「α7III」。念願のフルサイズ機。本当は「α99II」を買おうと思ってたけど、海外拠点・旅を考慮した時に、軽くて持ち運びしやすい、ミラーレスかなって。発売日に一目惚れ。日本への一時帰国でお買い上げ。チャリーン。やっぱりSONYを選ぶんだよね。

こいつは、一生の相棒になると思うんだ。

✱ ✱ ✱

Brisbane Story Bridge 

大好きなNoosa

ポートレートにも挑戦

✱ ✱ ✱

また新しい世界を僕に見せてくれた。65も今だって大好きだから、65の写真もまだまだ現像してるよ。

7IIIはまだまだ使いこなせてない。今の僕には、まだまだ高嶺の花なんだ。きみに見合うように腕を磨こうって、そう思ってるよ。

✱ ✱ ✱

こうして振り返ってみると、物心ついた時からずっと傍にはカメラがあった。だから、僕がカメラを始めたのは自然の摂理ってやつなのかなって、今は思ってる。

ガジェットが好きだし、誰かに写真すごいね!って言われたからカメラをやってるんだ!なんて、もっともらしい理由を言っていたこともあったけど、それは全部みてくれだけの上っ面で、カメラがそばにない人生ってのが想像できないんだよね。

カメラで食っていこうとは思ってない。でも撮りたい写真がある。カメラを握ってるその時間が好き。あの人みたいなドラマチックで、アーティスティックな写真が撮りたくて、でもファインダーを覗いても撮れなくて。うぅ…!って思う、その悔しい感情さえも愛おしい。

きっと僕とカメラは切っても切り離せない、親友みたいなもんなんだよね。ってちょっとキザな事も言えちゃうのが僕にとってのカメラ。

ちょっと長くなったね。語ると長くなるらしい。そんな僕とカメラのストーリー。

あぁ、いいな。写真を撮るって。カメラを持つって。幸せだァ。

α65 Airlie Beach

こーた

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