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久しく主人公でなかった気がする

 パナマに行って気がついたことがある。最近自分が主役で何かをやることが少なかった気がする。
 それに気づいたのはパナマに行く途中に日記を書いていた時だ。久々に大人数で海外に行くのが久しぶりな気がしたが、去年の6月に実は韓国に行ってるのである。しかも100人越えの大所帯で。
 でも、なにかが違う。それは自分が主体か否かである。先日、この前のセメスターの相棒がありがたいことに記事を書いてくれた。その記事の内容に「TAマスター」と書いてあった。個人的には嬉しい限りだし、それだけ大学生活の多くをTA活動に費やしてきたと自負している。
ただTAという性質上、あくまで主役は受講生。言うならばTAは脇役である。この関係性は崩れることのない絶対的なものといっても過言ではない。
 そんな脇役に不満足ということではない。むしろ、人をサポートできるこの仕事にやりがいを感じ、多くのものを得てきた。ただ、ここ最近停滞を感じる部分がある。それはTAという仕事に慣れてしまったのも大きいのかもしれない。原因は正直よくわからない。
 よく自分のことを説明する際に「高校生の時はもっと尖っていた」と冗談混じりで使う。これは半分冗談で半分本当である。高校の時から知る友人に聞けば、多分納得する部分もあるだろう。高校生の時の自分は今の倍くらいとんがっていて、いい意味でも悪い意味でもイケイケだったのではないか。
 こんな感じで少し停滞を感じながら過ごした秋セメスターの終わり、教授からメールでこんなメッセージをいただいた。

「人当たりの良さの裏に隠れている野性とどう向き合っていくのか。解放したらどうですか。」

最初にこのメッセージを見た時、思わず笑ってしまった。だが、同時に胸にどーんと来るメッセージでもあった。この人は人のことをよく見てるなと、改めて実感した。なぜならこのメッセージは図星だったからである。痛いところを突かれたなと思った。 

 いつからか、他者の態度を気にするようになったのは。いつからか自分が主体ではなくなったのは。次が大学最後のセメスター。そして次もTAをやる。また自分が主体でなくなってしまうかもしれない。次は少しだけ自分の「野生」を解放しようと思う。自分の人生、自分が主人公であってもいいじゃないか。

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