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SS 81 「人生はマラソン、なのか?」

年に2、3回フルマラソンの大会に出る。
健康維持のために30歳からジョギングを始めたが、とにかく退屈で続かない。ある日河川敷公園で見かけた市民マラソン、面白そうだなと思って翌月の大会にエントリー。10kmの部を走ってみたが、ゴールする瞬間に思わず笑った。そして、自分のゴールタイムが入った完走証をその場でもらう。公認記録でも何でもないし、ポータブルプリンターで印刷されたA4の簡素なものだけど、何だか嬉しい。達成感とでも言うのだろうか。

これに味をしめて、毎月大会に出るようになった。大会があることで日々のランニングも続けられる。体重も体脂肪率も下がってきた。そして、フルマラソンに挑戦する。

初めて走ったフルマラソン、練習は積んできたつもりだが、キツかった。ゴールはしたもののフラフラ。翌日から2日感は全身が強張って、まともに動けない。それでも、達成感は半端ない。

そのフルマラソンも、5回目からはゴールの瞬間だけが楽しみになっていた。もともと、走ること自体は楽しくない。健康維持目的で続けているのだから。20km、30kmと経過していくと辛さも積み上がっていく。大会ではついついペースアップしてしまうので、余計にしんどい。そんな思いで走っていると、A市で開催されたマラソン大会、最初の10kmを過ぎたところから記憶が無く、気がつくとゴール前100m地点を走っていた。GPSウオッチは42km走りきっているので、ワープした訳じゃない。意識が飛んで、身体が勝手に走っていたようだ。

なんか損してる様な気がしないでもないが、これが良い。マラソンの一番辛い区間は意識が無くて、疲労感をしっかり感じながらゴール前の気持ち良いところはしっかり体感できる。すっかり味を占めて、フルマラソンへの出場回数が増えていく。

ある日、目覚めると病院のベッドに寝ていた。あれ、マラソン走ってたはずなのに。看護師さんが驚いている。「先生、意識が戻りました!」

信じがたいが、35歳の誕生日に走ったマラソンで意識が戻らなかったらしい。記憶は10kmの給水までしかない。病院に担ぎ込まれ、そこから5年間植物状態だったと医者が言う。横に立っている妻はもちろん最愛の女性のままであるが、自分の記憶よりも年齢を重ねている。2歳のはずの娘は小学生らしい。失った5年間の重さが押し寄せてくる。

辛くても、しんどくても、それを意識して受け止める。その中を進んで行くからこそ、その時間に意味ができる。家族や友人、同じ時間をともに歩んだ大切な人たちとともに振り返る嬉しさ。マラソンも人生もそこに楽しさがあることに気がついた。

ありがたいことに私の身体に病はなく、落ちた筋力以外は健康そのものだ。40歳からの人生を、ここまで沿道で待っていてくれた家族とともに歩んでいこう。フルマラソンもまたやりたい気持ちはあるが、とりあえず妻は猛反対。そりゃそうだよな。

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