見出し画像

SS 94 「深く深く」

新型艇の操縦依頼が来たが、断った。周りはあの事故で怖くなったのだろうと言う。そうじゃない。事故はこの仕事には付きもの。覚悟は前からできている。そうじゃないんだ。

1年前、当時最新の深海探索艇に僕は乗り込んだ。一人乗りなので自分がもし動けない事態になったら、バックアップはいない。艇の強度優先の結果、内部の大きさに限界があったと聞いた。それは仕方のないことだ。この仕事を選んだ時から、通常の安全保障が無いことはわかっている。そして、暗闇の深海に降りていく恐怖に勝てる操縦者は数少ない。私はその中でも操縦技術では一番と自負している。なので、この依頼を断る理由などなかった。

ゆっくりと沈んでいく。2年前に発見された地球上で最深の海溝12500mに向かって降りていく。その深さは無人探査艇で確認されているが、その艇は戻ってこれなかった。いまだにその理由は不明。もう一度無人艇を送る案が当然有力だったが、有人艇を送ること事態に意味があるとの主張が通ったらしい。まあ、有人艇が開発できたからそれを世界に誇りたい、なんて欲もあったのだろう。私にとっては、この機会を得たことが何よりの価値。最深部に到達した人間になること。それが生き甲斐になっている。

11000mを越えたところで事故が起こった。電気系統がおかしい。推進機が止まり、艇内の照明が消えた。深海流に流されるまま、ゆっくりと落ちていく。船体は水圧にきしむことすら無い。しかし、私がその中で何もできない。懐中電灯を使って修理を試みたが、推進機に近いところの故障のようで、艇内から直接手が届く場所では無いとわかっただけだった。無線も使えない。こうなると、電動になっている錘の切り離しも駄目だろう。

それでもいい。このまま落ちていけば、最深部に到達した人間にはなれる。帰れなくとも構わない。

ガコンと音がした。

艇が上に引っ張られている。ゆっくりと。海面が見えて来た。地上の世界に帰ってしまった。

強力な磁石が4個ついたワイヤーを海面の船から下ろして、潜航艇を捕まえたそうだ。マスコミのインタビューに技師が答えている。
「こんな小さな潜水艇をソナーも届かないような深海でよく見つけられましたね」
「奇跡なんです。おそらくこの辺りだろうと、とにかく可能性は低くても救出策はやり切ろうとワイヤーを下ろしたのが本音です。ところが11000mまで出したところから、まるで引っ張られるようにワイヤーが速く延びていき、潜水艇にたどり着いたのです。」
私にも、同じ質問がきたが、「なぜかはわからない」と答えた。

しかし、私は知っている。この目で見たのだから。
朧に光る腕のようなものがワイヤーを引っ張って来た。そして、顔の様な物も見えた。怒っていた。この深さに人間が来ることは許さない。とっとと帰れ。そんな意思が頭の中に響いた、様な気がした。

もう一度行ったら、殺されるんだろう。それも最深部にたどり着く前に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?