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自分はどこにいるのか

ようやく冬を抜けたような暖かさのある週末。
25年冬を繰り返しても寒いものは寒いし、いつが寒さのピークなんだっけと毎年のように考えている気がする。

暖かくなった気候とか、晴れている空とか、美味しいご飯とか。
それらを前にしながら、それらを味わっているようで本当はあまり味わえていないのではないかと感じる。

久しぶりに晴れたので洗濯物を外に干す。
側からみると紛れもなく僕は洗濯物干している人。
行為としては洗濯物を干しているのだけど、意識があるのはSpotifyから流れるポッドキャスト。

手を動かし、洗濯物を等間隔に乾くように並べるという行為事態には気がいっているものの自分がどんな服を干したのか?毎回の洗濯で徐々に劣化していく服の変化には気づくことがない。
それよりもポッドキャストから流れてくる音に神経が向いている。

そして、洗濯物が干し終わりようやくポッドキャスト一本に向き合うかと思いきや今度はSNSをみるという行為がメインになりポッドキャストはただただ流れているノイズになる。
これが日常的によく起きる行為。
だから映画で2時間座って映画だけに集中するという行為が難しい人が増えているのだと感じる。

通勤中、ご飯を食べているとき、場合によっては人と話している時ですら“今この瞬間”にいないことが多々あるなと思う。(当たり前だが、自分自身の身体はそこにある)

24時間ずっととは言わないが少しずつ自分の中で意識的に目の前の現象に向き合う時間を暮らしの中で作っていきたい。
それが洗濯、家事、散歩中なんでもいいと思う。
行っている行為自体に目を向けることで、気づかなかった発見や感情の揺れが動きがあると思うから。

そしてそんな発見があった時、自分の中で言語化してこうやってnoteに帰ってきたい。

春はもう目の前。

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