三十にして立つという孔子の教え

突然ですが、この論語を聞いたことがありますか。

 子曰く、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順したがう。七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず。

 現代語訳すると、こんな感じです。「先生はおっしゃいました。私は15歳の時に学問を志し始めた。30歳になった時に独り立ちをし、40歳になった時には、惑わされなくなった。50歳の時に自分の天命を理解し、60歳になりようやく人の意見に素直に耳を傾けられるようになった。そして、70歳にして、自分の思うように行動をしても人の道をはずすことはなくなった。」

 いつ習ったか覚えていませんが、教育テレビでコニチャンが子供達と歌っていたのを覚えています。コニチャン知っていますか??オレンジのツンツンの衣装きた元お相撲さんのことです(笑)。この記事を通して何が言いたいかというと

「生き急ぎすぎないで」

 ということです。最近の自分は、早く成功しなければならない、立派な社会人になるために一生懸命頑張らなければならないと肩に力が入りすぎてしまい、視野が狭くなっていたと感じます。この、「成功」とか「立派」というのは他者から自分を見た時の評価だと思います。この他者からの見た目を気にして生きていくのは辛いです。他者からの評価は、自分自身で考えて行動して失敗して、そこからまた考えて行動するということを繰り返していくうちに自然と高まっていくものだと自分は思います。ですが、生きていく限り、この他者からの評価というのは、切っても切り離すことはできないと思います。スポーツにしても、勉強にしても、仕事にしても、評価するのは自分以外の人です。自分は頑張ったと思っても、周りから見たらそうでもなかったら、それは正当な努力と言えません。しかし、そのことに囚われて生きていくのはしんどいし楽しくないと思います。こんなことを考えていた時にふと、こにちゃんの論語を思い出しました。自分でも、不思議です(笑)。

 「孔子でも30にして立ったんだから何にもできない俺が、今すぐ活躍しようなんて無理だ。」という考えになった途端、とても気が楽になりました。と同時に、自分が本当にやりたいことや極めたいこと、知識や経験をじっくりかつしっかり身につけいくことが大事だとも思いました。信念やなりたい自分をあやふやにしてしまっていた自分を情けないと思いますが、今更、そのことを言っても仕方ないので、ここからは先のことを考えて行動します。

 それにしても、60歳にしてようやく人の意見に耳を傾けるようになったって、孔子という人はどれだけ頑固おやじだったんでしょうね、、、。

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